ぼく歩@ぼくの日本の歩き方
banner
bokuaruki.bsky.social
ぼく歩@ぼくの日本の歩き方
@bokuaruki.bsky.social
62 followers 21 following 430 posts
国内一人旅が好きで同じ趣味を持つ方と繋がりたくて始めました。 週末や大型連休には大阪発で日本全国を回っており、自分用の備忘録として訪ねたスポットの概要や感想など書いてます。 #一人旅 #観光 #神社 #寺 #歴史 #日本史 #古代史 #温泉 #ご当地グルメ 《お知らせ》 #mixi2 mixi2はじめてみました。 向こうでは主に関西圏の神社仏閣好きコミュニティーでも作って繋がりたいと思います。
Posts Media Videos Starter Packs
Pinned
取┃り┃扱┃い┃説┃明┃書┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛

休日を利用して日本全国の名所、グルメ、温泉を軸に一人旅を楽しんでいます。

#一人旅 #国内旅行 #温泉

神社仏閣を参拝するのも好きで、特に一之宮を制覇するのが夢です。

#神社仏閣 #一之宮

また史跡探訪も好きです。

#歴史 #日本史 #古代史

同じ趣味をお持ちの方はフォローさせてください。

以下の追加ポストからこれまでに訪ねたスポットを辿れます。
興味のある方は参考にしてください。
【辨天神社】

昔この辺りは白砂青松「天橋立」のような風景が広がっていたそうで、その美しさに惹かれてか天女が舞い降りたのだとか。
人々は天女にこの地に留まるよう懇願しますが、どういうわけだか天女は駿河の三保の松原へ立ち去ってしまった、なんて伝承が残ります。
ところで個人的に驚いたのは当社から南西方向に見える巨大な鳥居。
高さ18mにも及ぶ立派な鳥居が浜名湖の湖中にそびえる姿は圧巻ですが、この鳥居は神社とは何の関係もなく、観光協会が地域振興のために建造したもの、正式名称は「弁天島観光シンボルタワー」だそうです、、。

#辨天神社
#静岡県ぼく歩
#静岡県浜松市
【天白磐座遺跡】

渭伊神社境内裏手、薬師山の頂に位置する40m四方にわたって群在する巨石群。
古くは古墳時代前期から平安時代に至るまで使われたと見られる古代祭祀場跡です。
周囲を神宮寺川が囲む立地環境、さらに渭伊神社の元の祭神が水神であったことを考え合わせると、なるほど遺跡と神社の関連を指摘する説にも頷けます。
また面白いのは鉄矛の出土。
出土例は九州が圧倒的、対して近畿以東では数少ない鉄矛がこの遺跡から出土しています。

#静岡県ぼく歩
#静岡県浜松市
【渭伊神社】

元は蟾渭神と呼ばれる神さまが祀られていたそうで、蟾とはヒキガエルとも読みますが、文字としては「水差し」や「水を注ぐ」という意味があり、つまりは元来水を司る神さまであったのではないかという見方ができるようです。
事実当社が現在の鎮座地に遷座した経緯に鑑みるに一定の説得力があるように思えます。
ところで個人的に気になったのは境内に設置された境内案内図。
「モロード様」と記された下に伊豆社とあり、祭神は瓊瓊杵尊とあります。
「モロード」とは「まろうど」、つまり客人神であり、天孫に属する神さまとの歴史的な交わりがここでも見て取れます。

#渭伊神社
#静岡県ぼく歩
#静岡県浜松市
【濱名惣社神明宮】

倭姫命が天照大神の鎮座地を求めていたところ、この地を統治していた太田命の導きにより鎮座するに至ったのだとか。
一方で当社々伝によれば元々は浜名縣主が自らの祖神である太田命を祀っていたものが、のちにこの地方が伊勢神領になったことで主祭神が天照大神に替わり、太田命は従的位置になったとします。
塗り替えられたという表現が適当なのかわかりませんが、神社巡りをしているとちょくちょくこういうの目にしますよね。

#濱名惣社神明宮
#静岡県ぼく歩
#静岡県浜松市
【中山神社】

美作国一之宮。
元々は「ちゅうざん」と音読みしていたそうで、今昔物語集の中参、あるいは宇治拾遺物語の中山として登場する猿神を祀った神社だったのではないかとする見方があり、現在でも本殿裏手に猿神社が鎮座します。
猿神社で見られる赤いのは一見飛騨地方のさるぼぼのようですが「くくり猿」と呼ばれるこの地域の守り神。
また当社に伝わる猿と犬の逸話は全国各地にその類話がみられ、早太郎や悉平太郎といえばピンとくる方もいるのでは。
なぜ遠く離れた各地域に同じような伝承が残るのか、好奇心をくすぐられること受け合いの一社です。

#中山神社
#一之宮
#岡山県ぼく歩
#岡山県津山市
【サムハラ神社】

初見ではまず読めないであろう不思議な四文字。
それもそのはず一見漢字のように見えますが漢字ではなく、文字自体に霊力が宿るとされる神字と呼ばれるものです。
大阪の立売堀にある神環で有名な同名の神社は分社であり、こちらが元宮、奥の宮になります。
神字と呼ばれる「サムハラ」の四文字は当然変換しても出てきませんが、この文字を身に付けていると様々な厄災から守ってくれるそうで、かの加藤清正公も朝鮮出兵の際には自らの槍にこの神字を刻んでいたことで無傷で生還できたのだとか。

#サムハラ神社
#岡山県ぼく歩
#岡山県津山市
【武蔵の里】

剣聖・宮本武蔵の生誕地。
生家跡を中心に武蔵ゆかりのスポットが立ち並びます。
宮本武蔵を主祭した武蔵神社のほか、神職が太鼓を打つ撥捌きから二天一流の着想を得た讃甘神社、武蔵像、現在でも二天一流の稽古を行う武蔵道場、武蔵の墓、さらに巌流島での決闘で知られる佐々木小次郎の墓なんかもあったりします。
歴史に名を刻む稀代の剣豪にぜひ想いを馳せてみては。

#岡山県ぼく歩
#岡山県美作市
【武蔵神社】

昭和46年、武蔵奉賛会に賛同した全国およそ1,300余名の浄財によって建立された宮本武蔵を祀る一社。
境内には武蔵の書幅「戦気」が刻まれた石碑があります。
下に刻まれた流れるような文字は「寒流帯月澄如鏡」、武蔵が好んだ唐代の詩人・白楽天の詩の一節で、己の剣の道を濁りなき澄んだ寒流にたとえ、動中に静を見出す二天一流の心得を表現しています。

#武蔵神社
#岡山県ぼく歩
#岡山県美作市
【伊和神社】

播磨国一之宮。
大己貴神を主祭し、社伝によれば播磨国を開拓した祖神であるとします。
珍しいのは当社々殿は北向きに造られており、これも社伝によれば、その昔この地に神託があり、一夜にして杉や檜が生い茂る聖地となった。
すると上空に鶴が群れを成し、その中でも一際大きなニ羽が降り立ち北を向いて眠りについた。
この鶴を神の化身として社殿を建てて祀ったのがその由来であるとし、またニ羽の鶴が降り立った石は「鶴石」と呼ばれ社殿裏手に安置されています。

#伊和神社
#一之宮
#兵庫県ぼく歩
#兵庫県宍粟市
【朝護孫子寺】

寅年寅月寅日に生まれたことから寅の化身とされる毘沙門天。
そしてそれと同じ日に毘沙門天の加護を受けた聖徳太子が丁未の乱で勝利したことで当寺を創建。
そのため大きな張り子の寅をはじめ、境内では寅にちなんだ様々なものが見られます。
また寅は金運上昇のご利益があるとされ、特に年月日全てで寅が揃う日は最強の開運日として多くの参拝者で賑わいます。
ちなみに次回の寅年は2034年、さらに2月15日は寅月寅日に加えて天が全てを照らすとされる大明日とも重なるまさに最強の開運日となっています。

#朝護孫子寺
#奈良県ぼく歩
#奈良県生駒郡平群町
そういうことか!
わかりました、答えは三日月に向かって左隣の星印ですね!
取っ掛かりさえ掴めない、、何かヒントをくださいー!
【銭司聖天】

大阪と伊賀を結ぶ国道163号線を走ると見えてくる「金運向上」の赤い文字。
通称「銭司聖天」の名で知られる聖天歓喜天を祀った一寺です。
銭を司るとはさぞご利益がありそうですが、元々和同開珎を鋳造した鋳銭場があったことがその由来。
そこへ七代の財を一代で集めるとされる聖天歓喜天が祀られ、金運上昇祈願のメッカとなったようです。

#光明山聖法院
#京都府ぼく歩
#京都府木津川市
【素盞嗚神社】

備後国一之宮。
祇園信仰発祥の地とされ、備後国風土記に記された疫隈國社とは当社境内摂社の「蘇民神社」と「疱瘡神社」に比定されます。
また蘇民将来説話において武塔神(スサノオ)に滅ぼされた巨旦将来の屋敷跡ともいわれます。

#素盞嗚神社
#一之宮
#広島県ぼく歩
#広島県福山市
【安仁神社】

主祭神として神武天皇の兄である五瀬命を祀る一社。
社名の「安仁」は「兄」を仮名書したものが由来であると伝わりますが、これは後世に作成された社誌によるもので、古くは様々な神名が散見されるため本来の祭神はよくわからないようです。
当社は元々備前国一之宮でしたが、藤原純友が瀬戸内海の海賊を率いて朝廷に反旗を翻した天慶の乱において純友勢に加担したため一之宮の地位を剥奪されたという歴史があります。

#安仁神社
#岡山県ぼく歩
#岡山県岡山市
【義士あんどん】

JR播州赤穂駅の南口を出てまず目に飛び込んでくるのが大石内蔵助像。
そこから赤穂城へと続く「お城通り」を進むと見えてくるのが義士あんどんと名付けられたからくり時計。
毎日9時から20時までの毎正時に内部のからくりが作動し、忠臣蔵の概略を見せてくれます。
この駅と城を結ぶ道沿いにはほかにも萱野三平が喉を潤したと伝わる「息継ぎの井戸」や、垂水半左衛門が敷設に着手しのちに日本三大上水道に数えられる旧赤穂上水道のモニュメントなど、赤穂市を知る上で欠かせない見所が多数あります。
赤穂観光の際にはぜひ「お城通り」をぶらり歩いてみることをオススメします。

#兵庫県ぼく歩
#兵庫県赤穂市
【花岳寺】

正保2年、初代赤穂藩々主・浅野長直により建立。
元禄赤穂事件のあとは歴代藩主の菩提寺となりました。
境内には長直の父・長重から続く浅野家三代の墓のほか、義士木造堂や義士墓所など赤穂義士ゆかりの地としても知られます。
また、境内にある梵鐘は長直が父のために鋳造したものですが、元禄事件で見事仇討ちを果たし切腹した赤穂浪士たちの死を悼む町民たちが集結し、止むことなくこの鐘を鳴らし続けたという逸話が残ります。
そのようなことから太平洋戦争の折りにも供出を免れその姿を今に伝えます。

#台雲山花岳寺
#兵庫県ぼく歩
#兵庫県赤穂市
【赤穂大石神社】

主君の仇を討つべく討ち入りを果たした大石内蔵助をはじめとした赤穂浪士を主祭する一社。
四十七士のほか、刃傷事件の第一報をもたらした萱野重実、通称・三平も合祀されています。
余談ですが、北大阪急行電鉄の終点であった千里中央駅から延伸し、令和6年3月に新たな終着駅として開業した箕面萱野駅。
この駅に直結するみのおキューズモールCENTER館とWEST館を繋ぐ新御堂筋に架かる陸橋の名称は「かやのさんぺい橋」。
元々萱野家は現箕面市の豪族であり、ゆかりの地である萱野の地に今もその名が残ります。

#赤穂大石神社
#兵庫県ぼく歩
#兵庫県赤穂市
【赤穂城】

慶安元年より築城に着手し、その後13年の歳月をかけて完成した赤穂藩主の居城。
現在は国指定文化財として城郭は史跡に、庭園は名勝に指定されています。
変わったところでは当城は「いわくつきの城」とも言われており、松の廊下での刃傷事件によって明け渡しとなったほか、正保2年には上水道工事などで功績をあげた二代目赤穂藩主・池田輝興が突如発狂し正室や侍女を斬殺するという怪事件が発生。
時代が下ってもこの城に関わる者が突如として狂乱した末の斬殺事件が起きており、なにやら不穏な影がつきまとっているようです。

#兵庫県ぼく歩
#兵庫県赤穂市
【大石良雄仮寓地跡】

赤穂八幡宮からすぐ、元は大石良雄の家扶であった妹尾孫左衛門の兄・元屋八十右衛門の屋敷があった場所です。
刃傷事件ののち、赤穂城明け渡しの残務整理の間に大石良雄が家族とともに仮住まいをしたと伝わります。
残された書状やその後の動きから察するに、恐らくこの頃の良雄は浅野家再興に向けて思案を巡らせていたのかと思われますが、あるいはすでに主君の無念を晴らす仇討ちの火が心のどこかで燻っていたのかも知れません。

#兵庫県ぼく歩
#兵庫県赤穂市
【赤穂八幡宮】

かつて鳥撫村銭戸島(現赤穂市鷆和地区)に祀られていた八幡神社が、室町時代に当地に御遷座。
その後江戸時代の塩田開発と共に境内地周辺の尾崎地区が発展、当社も規模を拡大し現在に至ります。
寛文元年に始まった秋祭「頭人行列」は市の、「獅子舞」は県のそれぞれ無形文化財に指定され、三百六十余年の歴史を今に伝えます。

#赤穂八幡宮
#兵庫県ぼく歩
#兵庫県赤穂市
【伊和都比売神社】

かつては干潮時に陸続きになる岩礁、現在「畳岩」と呼ばれるあたりに祀られていたものが、初代赤穂藩主・浅野長直によって現境内地に社殿の建立に着手、孫である三代藩主・浅野内匠頭長矩の治世、天和3年に完成、遷座されました。
主祭神の伊和都比売大神は神宮外宮の豊受大神と同神、または伊和大神=大己貴命の比売神(妻なのか娘なのか由緒書からは不明)とも伝えられ、赤穂民の祖神として古くから崇敬を受けているようです。

#伊和都比売神社
#兵庫県ぼく歩
#兵庫県赤穂市
【吉備津神社】

備後国一之宮。
吉備国が分離するにあたり、元来吉備国一之宮であった現岡山市に鎮座する吉備津神社より勧請して創建。
主祭神は同じく大吉備津彦命、相殿に父・孝霊天皇とその后・細比売命、さらに吉備津彦とともに吉備を平定した弟・稚武吉備津彦命が祀られます。
当社では年に二回だけ、御神鏡が朝日を反射し拝殿や随神門の中を真っ直ぐに貫く光の筋が現れる「正中光」と呼ばれる神秘的な現象でも知られます。

#吉備津神社
#一之宮
#広島県ぼく歩
#広島県福山市
【三次もののけミュージアム】

武士の子として生まれ何事にも臆さない度胸満点の稲生平太郎と、魔王・山本五郎左衛門率いる妖怪軍団との攻防を描いた一大絵巻「稲生物怪録」。
いつ、誰が描いたのかわからないロマン溢れる一書の舞台となったのがここ、三次市です。
館内では稲生物怪録の絵巻をはじめ、当館名誉館長を務める妖怪研究家・湯本豪一氏の個人コレクションなど「もののけ」にまつわる展示品が所狭しと並びます。
妖怪や民俗学に興味のある方にとってはまさに聖地といっても過言ではない妖怪一色の博物館です。

#広島県ぼく歩
#広島県三次市
【京都府立丹後郷土資料館】

丹後国分寺跡に建てられた「海の京都」の歴史を伝える郷土資料館。
古代、海路を通じて大陸と交易を行い独自の発展を遂げた失われた大国。
そんな丹後王国の実像に迫る大変貴重な展示品の数々は古代史ファンならずとも一見の価値ありです。
個人的には伴とし子さんの著書を一読されてから訪ねると興奮も一入かと。
現在はリニューアルオープンに向けて臨時閉館中、再開は令和9年を予定しているようです。

#京都府ぼく歩
#京都府宮津市