@hamodayo.bsky.social
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10/19開催の夏虎オンリーで頒布予定の新刊サンプルです。
※ベタやトーン途中です
※なんでもありな方向け
※ツリー末の部数アンケご協力お願いします🙇‍♀️

CP:夏虎
年齢制限:全年齢
シチュ:大学生パロ
ボリューム:32P
価格:未定

スペース:東4ホール キ26a
サークル名:ドライブスルー
もっと美しいだろうがよ…
夜に勢いで描いた絵のツラが左右非対称すぎた時、己のツラがそうなるくらいボコボコにしてやろうかと思い、やらずにふて寝します
あさとでそじが…笑い合えてよかったっす…
マロもありがとうございました!エックスで返信しました
うぇぼお返事しました!スタンプも嬉しいです。ありがとうございます😭
日食って月が太陽を食べるし、月食は地球が月を食べるんだ
日食や月食に立ち会うことって、途方もなく遠い過去から続く宇宙の一端を目にしている気がして、その出来事の一員になれた気がして嬉しいのかも。
ぬーこーびにけんこうしんだんぶっこむ🏢が悪いよね!
明日の健康診断、初手でミスをしてしまい、良い年した社会人として恥。
ぬーこーした
部数アンケ閉めました!ありがとうございました
ごとかゆがでてると噂を耳にして楽しみ楽しみ
モジュは単行本待ちなので楽しみ
虎杖は月とセットの描写があるけど、五条は太陽ぽいのかな?なんとなく漠然と術式が核融合っぽくてそれが太陽っぽく見えてるだけかも。五条=太陽と仮定する。太陽の光を反射して存在を示す月。虎杖=月とすると、2人は対として描かれていてきれいだね。対照。
マジで本をパッションのままに描きすぎ。猛省。私の記憶力がカスカスすぎて、本当に妄想を印刷してるだけ。ウワーン。多分低気圧と生理前でこんな仕上がりになっています。
離反後は私たち家族(呪術師)のために非術師を消す、利用していたと思う。そして彼の体の結末である。羂索に乗っ取られ、羂索のまましんでしまった。仏になれず輪廻転生できなかったことを思わせる。五条の場合は肉体を乙骨に利用されるも、その後の乙骨は無事元の体に戻り、五条の肉体は五条悟のまま命を終えたことになる。この違いは対比されている気がする。額の縫い目もそっくりだし。
五条が成仏した者(仏または釈迦となった者)、夏油が成仏できなかった者と仮定する。仏になる条件の一つに「我」への執着を完全に断ち切ることがあるらしい。「諸法無我。すべてのものに固定的な我はないこと」紫を会得した五条の精神状態はこれに近いものだった気がする。(もちろん彼らは修行僧ではなく呪術師なので、すべての仏教の話が当てはまるわけはないという前提はあるが。夏油にこいつらこ⚪︎すか?と問うってことは夏油が他と違う(我がある)と認識しているとも取れるし)一方夏油は、一貫して「我」かそうで無いかで人間を分類していた。離反前は私たち(呪術師)があはれな
非術師を救う義務があるような思想だったように思うし、
虎杖が菩薩(修行の身)のまま宿儺を倒して、そのままの宿儺と共に生きようと提案したこと。これがこの世に1人しかいない釈迦(五条悟)ではなく、菩薩(沢山いる、誰しもがなり得る)である虎杖悠仁が成そうとしたこと。ってところがまた効いてくる。改めてすごいなゆうじ……。人も宿儺も呪いも非術師も呪術師も、もれなく全てを救おうとする姿よ。よもや夢みがちまたは傲慢に映るかもしれないが、それでこそ虎杖悠仁は唯我独尊なのだ。これがまた夏油との対比にもなるね。夏油は離反前も後も、呪術師と非術師を分けて考えていた。そして呪術師のために非術師を切り捨てる選択は、地蔵菩薩の存在と反する。袈裟や福耳は皮肉?多分
左手の小指の意味、ホンマでっかー?

仏教において左手小指は、合掌の際の五元素「地」を表します。また、左手は「衆生(しゅじょう)」や「迷いの世界」を象徴し、右手(仏)と合わせることで衆生と仏が一体になることを願う意味合いを持ちます。合掌は、五指に地水火風空の五元素を割り当てる考え方に基づいています。
釈迦(仏)と菩薩(地蔵菩薩から)の違いは、釈迦は悟りを開いたもの(実在した人物、最初に悟りを開いた)、菩薩は悟りを開く前の修行中の身。唯一ではなくたくさんいる存在。唯一かそうで無いか。虎杖がパチやってたり、けつとタッパのでかい女の子が好きって言ったり、自室にビキニの女性のポスター飾ったりしてるのはこの俗世寄りな存在感(まだ成っていない修行の身)を伝える為の演出なのかな?
おそらくそう)この時の五条のポジションに虎杖がいたらどうなっただろうか。きっとしゃがみ込み幼い伏黒に目線を合わせてニカッと笑う。そして彼ともっと会話をするのではないか。他愛無い話をして目の前の子供の状況をもっと詳細に知ろうとするかもしれないと思った。(私は今、記憶を頼りにこれを打ち込んでいるので、たくさん間違いがあると思う)そして、虎杖は会話の後に伏黒に何を提案するのか?はたまた何も提案せずに帰るのか。とは言え結局は、五条の提案と同じ結果になったかもしれないが。過程が違うと人の気持ちは変わると思うので、もしかしたら伏黒の未来は変わっていたかもしれない。
虎杖のファイトスタイルは一貫して逕庭拳と黒閃。宿儺への最後の一撃もこれだった。最初に得た力で最後を決めるのを際立たせるために、虎杖の領域展開の名称を出さなかった(多分)。あまねく人はそのままで価値があり、かけがえのない存在であることの表現だった?話飛ぶけど、宿儺に体を乗っ取られている伏黒に生きろって言えなかった虎杖は本当に心底優しいやつだと思う。ひたすら伏黒に寄り添っているから出た言葉だよね。これと対比できる良いシーンを思い出せないが、初めて五条が伏黒にとったコミュニケーション。彼は伏黒に選択肢を与え、選ばせた。現状から伏黒が変わることが当然だった。(描かれていない裏事情があるかもしれないが、
読むと、今より解像度高く、物語の本質を読み解くことができそうだ。みんなは当時、これをちゃんと調べて読んでいたんだろうな。一気にわかりやすくなった。一つの言葉に対する二つの対照的な解釈を、1つの物語を担う2人の主人公で表しているんだ。
五条は青→赤→紫と分かりやすくレベルアップ、ステップアップ?進化?していった。そして天上天下唯我独尊。人から仏となった。(元々そうだったけどあの瞬間に初めて自覚しただけなのかもしれないが)カチッとスイッチされた、タガが外れっぱなしになったような明確な変化が五条の内面にもあったような気がする。それを印象付ける描写にしてあるのかもしれない。唯我独尊の意味を調べると「私(釈迦)だけがこの世で唯一尊い存在である」は誤解で、「すべての生きとし生けるものが等しく尊い」という解釈があった。この「天上天下唯我独尊」の二つの解釈が、五条悟と虎杖悠仁という2人の生き様を表している。これインプットしてもう一度原作を