ばみから
@hekc18.bsky.social
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デがひーろー活動中の勝のことを
だいばくさつしんダイナマイトと呼ぶ←ちゃんと正式名称で呼んでるのいい〜萌える〜
だいなまと呼ぶ←正式名称じゃなくて略称で呼んじゃうの他の人にはしないよね〜萌える〜
勝ちゃんと呼ぶ←もうそれが一番慣れ親しんでるんたもんね〜萌える〜

ちょろいオタク
勝が「どんだけ拒絶してもついてくるデに対する嫌悪感」を絶対に持ってない、とは言わないし多かれ少なかれあるのでは、とは思うものの、そこを押し出して「デってこういうとこあるしそりゃあ勝も気味悪がる」という語りは原作に描かれてあるものの読解としては不適では…?っていう…
勝の不快感、「デが後ろにいること」ではなく「デは後ろにいるべきはずの存在なのにそれがまるで俺の前にいるかのように思わせてくること」と読まないと話通らなくない?になる
てか私闘の中にある「どんだけぶっ叩いてもいつも背中に張り付いてやがったのに」の部分って話の前後考えれば「どんだけぶっ叩いても拒絶してもいつも気づいたら背中にいる異常者で不気味」という話ではなく、「どんだけぶっ叩いてもいつも背中に張り付いてきており、何してもデは自分の後ろにいる存在だったはずなのに、それが今やまるでデが自分の前を行ってるようでそれが受け入れ難く不快」という話では?にしかなれなさすぎるからここ根拠に、そりゃあどんだけぶっ叩いても張り付いてくるやつは怖いしストレスだし余計嫌になっても仕方ないよね〜みたいな語り、よくわかんない…何の話?になってしまう
私闘まわり、いつもウダウダちょびっと言葉変えながら同じ話してしまうので一旦全部まとめるか、と思ってやり出したけど本題に入る前からこのザマで終わってる
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私闘について | Notion
爆豪と緑谷のグラウンド・βでの闘い(13巻117話〜14巻121話まで)を私闘とする
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マジでデってひーろー活動中他の人はひーろーねーむで呼ぶのに勝のことははずっと勝ちゃんって呼んでそうだし勝も他の人が略した呼び方したら訂正してくるくせにデの勝ちゃん呼びはそんまま受け入れてそうとしか思えず萌苦しい
確定させて欲しい
どう転んでも萌えるけど
自分に「こうでなくてはならない(償わなければ、や、過去を忘れるな)」をつきつけてくる人ではなく、自分の「こうありたい」を思い起こさせてくれる人、みたいな
勝にとってのデ、もちろんデにやったこと自体は忘れないだろうが勝にとってのデって罪の証であり自身の不甲斐なさと後悔を常に思い起こさせる人、というより、自分の未来を思い描く時に当たり前のように隣で競い合って欲しい人で、ネガティブな面を思い起こさせるというよりむしろ自分がどうありたいか、というポジティブな麺を思い起こさせる存在なんだろうな〜てとこが良くて……
デ、自分が誰かを助ける時に助けることのメリットというか、この人を助けたらこういう利があるから助ける、という風に考えたり、被害者の有用性で助ける優先順位決めたり、より強く守らなきゃ、ってなるタイプでは全然ないのに、ザワ先にこうたくん託す時「水の"個性"です 絶対に守ってください」とか言ってんのいつも、んぅ…になってしまう
誰かに助けを求める時価値を示す必要がある、のような感覚…
オルもだけど"無個性"であることは「何も無い」「何も出来ない」「役割がない」という価値観由来なのかなぁ、と思ってしまうというか…
自身の有用性と価値を示せてようやくスタートラインに立てるという経験をしてしまったというか…
飯くん、デの友だちになってくれてありがとう
切くん、勝の友だちになってくれてありがとう

この気持ちがだいぶある
それはそれとしてオタクは本当に、特に最終決戦における黒デ編での飯くんの手の大切さが本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に好きだしあそこが最もこの最後の戦いにきいてくると思っているので黒デのとこの真ん中は飯くんが良かったと思ってしまうというかてかあのぎが特典で勝とデの特集です‼️ヅラしといて真ん中に飯くんとデの手があったの全然許せてないというか何?どういうつもり?文脈の上書きやめてくれん?勝ではなく飯くんの手だからこそなんですが…?で暴れちゃうから……
ほんま、笑、かわいすぎ、笑うしかない、笑、人ってかわいすぎるものみたら笑いしか出なくなるらしい、笑
「ばくごうと同時に引き当てたおーるまいとのレアカードはいずくの宝物で、今でも大事に飾られている。」←大好き文言
勝「しまいにゃ仮免てめェは受かって俺は落ちた。なんだこりゃあ。なあ?」
オタク「いやそれデどうこうではなく勝の態度やろ」
デ「それは実力ってよりも…」
オタク「そうだそうだ!!」
勝「黙って聞いてろクソカスが!!」
オタク「酷すぎる!!」
デ「ごめん…!!」
オタク「謝るな!!(⁉️)」

私闘のここ、いつもこれになる
二次創作も大好きな上でどのような二次創作でも原作を超える萌は存在しないという事実に日々萌えてる(?)から…
自分の好きなカプ浴びたい時は原作読み返せばいい←これガチ助かる
ただこれは原作は好きなカプだ‼️公式だ‼️と言いたい訳ではなく、全然そんなことないという前提の上で、でも私がそもそも萌えるものの根幹はここにあるんだよな、という……
私は解釈割とめちゃくちゃ変わってるしそれもそれでどうかと思うけど、そもそも情報の開示が少ないかつ作者自身長期連載の中で考えが変わっていると明言している中で「自分は1話から解釈が変わってない‼️」と強く主張するのは、それは誇らしいことでもなんでもなく、単にかなり浅い、作品によって大差のない割と普遍的に近しい事を言っているか、もしくは大半を妄想で補っており、解釈ではなく自分の妄想に囚われてるかの2択だしそういうこと強く主張する人の大半はまぁ後者だよな、と思う
閉鎖的であったり依存的な関係性も好きなのだけれど勝とデはそういう関係性がゴールじゃないことは目に見えていたし、そうなって欲しくないという思いもあったので、ということはつまり割と離れてくんだろな〜と思ってたけど閉鎖的でも依存的でもない関係性でありながら、解放された状態で、お前と、と手を伸ばしたとこが毎回脳みそぐちゃぐちゃにされる
萌で
こういった、デとの比較からの解放というか、デはデであり勝は勝であるためデがどうであろうと勝には関係なくまた逆も然りであり、勝の行動指針や自己評価にデの存在を組み込むことをする必要はない、の方向にいくのかと思っていたが、
勝が義肢を選択しないのにも、あいつは持ってすらなかったんだから、があったり、デとこれからの未来でも競い合うことを当たり前に思っていたりと、かなりデの存在はくい込んでて、
でもそれが、デに縛られてる(これ、デがそうしようと働きかけているのではなく勝の自縄自縛なのだけれど)のではなく、デの存在が勝の行動に前向きに働いているという方向にいってるのが良かったな、になるんよな
勝、オルに「相対評価に晒され続けるこの世界で普遍の絶対評価を持ち続ける人間はそう多くない」と言われるし、誰かより上だったら良しとかそうではなく、俺の納得いく形での勝利じゃなきゃ意味ねぇ‼️という点では絶対評価の面もあるがそれと同時に、幼少期何かと「デは⁉️」でデが自分より下であることを確認して優越感得てたり、体育祭での「自分が納得いく勝利」の形も、デより上に行かねえと意味ねぇ、だったりするし、私闘の時も、なんで俺じゃないんだ、と言うより、なんで俺より下のハズのデが認められて選ばれてるのに俺は…‼️なので、かなりデとの比較が価値観の中に組み込まれており、
私はデと勝の関係性が良くなるということは
話全体の流れから見ても「実際にデは勝を見下していた(勝視点そうとられても仕方ないような言動をデが繰り返していた)」というよりも、「実際のところデは勝を見下したり等していなかったが、勝の誇大化した自尊心や優位性が崩れる恐怖等勝の精神的な弱さ(未熟さ)がそう感じさせた」と受け取るのが自然じゃないかな、と思う
俯瞰したような目で見てきやがって、とか見下ろしてるような、とか、ああいう「俺を見下しやがって」のような感情って、まぁもちろんガチでそうな時もあるんだけど「自分が見下してるからこそそう感じる」という面が大いにあるんだよな
自分が相手を見下して、こいつは俺より下だ、と思ってるからこそ、それが逆転するんじゃないかと感じる時、その優位性が崩れるという恐れや不安が生じた時に、見下しやがって、に反転する事象は多くみうけらているし、感覚としてもそう理解から遠いものでは無いんじゃないかな、と思う
「気の小さい人ほど自分が弱いのを隠したがります」「自分を強くみせたくて他人を上から見下すのです」ってとがちゃんのセリフは割と中身は多少違えど勝にも刺さる部分あるな〜と思う
※作者が勝にもささるセリフとして意図してるとは全く思わないが私は重なる部分あると感じるという話
「君たちの力は人を傷つける為にあるのではない」「救けるためにあるのだと心得て帰ってくださいな」の話とか聞いてる時何考えてたんだろうな
それでも全く一切気づかないのではなく、それだけじゃない、と薄々感じる面もあったからこそデのあの手に、自分よりもこいつの方が、を感じたのだろうし、あの幼少期にその方向性では俺はこいつに勝てない(こいつの先を行くことは出来ない)と本能的に察したからこそ尚のこと頑なに救ける方向でのヒーロー像には目もくれずただひたすらに強くなって勝つ、の方に執心していった面もあるのかな