扉の向こう
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hoheishain.bsky.social
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音楽や本の事をメインに語ります 他にも色々と
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徐々にではあるがExcelで手順書や資料を作らなくなってくれて助かっている。特に手順書はExcelで作られると、編集や付け足しが発生した場合、紙で印刷した場合の事も考えて編集しなきゃらならんから面倒この上ないから、昨今の脱Excelの流れは大歓迎。
西村氏はそれでも自身が書く私小説を求道者が書くものとして美化したりはしない。あくまで自分が書きたくて書いている、そしてそれが私淑する藤澤清造の為になると思い書き続けていたのが凄い。
西村賢太氏が亡くなった後にNHKで作られた追悼番組で西村氏が古本や部屋を綺麗に整頓している様子を見て「根は律儀な真面目な人」と評した事について、それは単に彼の性格の為であり、彼が本当に律儀で真面目だったのは私淑する藤澤清造と彼自身が書く私小説のみであろう。
やらなければならない事があっても、現実に向き合いたくなく、好きな事をし続けてしまう。
三連休最後のの夜はビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビィ』を聴きながら過ごそう。
そんな卒業式で泣いている俺から見たら碌でもない連中を見ていて「こんなクソの塊みたいな所から離れるというだけの事で何を泣いているんだこの低脳共が!」と泣いている連中を心の中で嘲笑っていたが、それと同時に学校を卒業するという事に泣く、といういわゆる当たり前の事が出来る境遇である同級生の幸せさが猛烈に羨ましく、出来ない境遇にいる自分が惨めったらしく、所詮、強がっていても、そんな当たり前の感情を抱く事が出来ない自分の惨めな境遇が惨めに思えて仕方なく、結局は清々した気分より辛い思いをする羽目になってしまった。
中学、いじめやらなんやらで悪い記憶しかなく、当然、卒業式では当然泣く事は無く、心の中では「今日を最後に、こんな産業廃棄物廃棄物並みの碌でもない、通う意味の無い所と今日を最後におさらば出来る」と清々した気分であった。
その時、俺は「高市総理は保守派だから、リベラルの人は気に入らないんだろうね。」と答えた。すると他のキャスト達は「でも、あんなに酷い批判は良くないんじゃない?」と口々に言った。それを俺は良いとか悪いというつもりは無い。ただ、何故、彼女達はあんなに高市総理を支持するのか?は気になった。
昨日、久しぶりに馴染みのラウンジに行ったとき、キャストとの会話の中で高市総理の話題になった。すると彼女(30歳)は「なんで早苗はあんなに悪く言われるの?」と不思議そうに言った。
世論調査では10代から30代の世代で高市総理への支持が強いと聞いてはいたが、実際に目の当たりにした瞬間だった。
山田玲司氏、自分の中では「何を生業にしているか分からない胡散臭い人」という枠に入っている。
アシスタントに丸投げする前にはずっと自分で素晴らしい絵を書いていたのが、数年間?人に丸投げしていたら、かつての様な絵を描く事は出来なくなってしまうというという事実に、創作の恐ろしさを感じる。長年培ったはずの技術や感覚も、手を動かさなくなれば確実に鈍っていく。創作という行為の厳しさを感じた。
Amazonで全巻セットで安く売っていたので大人買いした、ひかわ博一が書いた「星のカービィ」。連載途中から作画をほとんど丸投げしていたアシスタントの人が辞めた後の24巻以降は作画が異常に簡略化されているという事はネットで知っていたけど、アシスタントに丸投げしていた時期の作画と自分が書かざるを得ない簡略化された時期の絵を実際に見比べると、事前に知っていたとはいえ、その落差の大きさに驚くしかない。
好きなミュージシャンが影響を受けたアーティストを聴くのが昔から好きだ。ほとんどの場合そうしている。けれど不思議なことに、ビートルズを聴いてもエルヴィスやチャック・ベリー、モータウンを掘ろうとは思わなかった。ビートルズの音楽を素晴らしいと思ったのに。ところがストーンズの場合は自然とそうしたいと思った。なぜそう感じたのか、自分でもよく分からない。
村上龍の「希望の国のエクソダス」の登場人物の少年が「この国には何でもある。でも希望が無い」というセリフがあるんだけど、年々そのセリフの重みを感じるなぁ。と何年か前にXでつぶやいたけど、"この国には何でもある"という事を簡単に言えなくなる未来がこの国で見えつつあるのかもしれんな。
村上龍の『村上龍映画小説集』どこまでも暗い作品で、村上龍作品ではお馴染みのセックスやドラッグに溺れる描写はいつも通りだが、今回はそれ以上に暗さが濃い。
上を見ても下を見ても、左右を見ても崖しかないような──そんな行き止まりの青春を過ごす、作者の分身ヤザキの途方に暮れた姿に、村上龍作品にはまっていた高校生の時の自分はどうしようもなく引き込まれた。
太宰はどれを読んでもピンとこず、すぐに買った全ての本を売り払ってしまい、それきり読む事もない。それに反して安吾の作品はとても面白く今でも時々、読み返す事がある。太宰はウジウジしてるのが気に入らないのかも(自分を見ている様な感じ)安吾は突き抜けているというか、あっけらかんとしていて太々しい感じが自分とは真逆だからかもしれん。
西村賢太、実生活では絶対に付き合いたくない人間で、はっきり言ってクズではあるが、そんな彼の書く私小説はべらぼうに面白い。
幸運な事に何気なく読んでいた雑誌がきっかけで芥川賞を受賞して一躍時の人になる前から西村賢太の私小説を読む事が出来た。時の人になる前はほとんどの作品は文庫化されておらず、大きい書店で一冊だけあったのが「暗渠の宿」で、買って読んだら、これがまたべらぼうに面白く、何とかそれまで出版された作品を中古で何とか手に入れて読んでいたが、芥川賞を受賞した後はそれまでの作品が一斉に文庫化されたので非常に助かった。
ダウンタウンチャンネル、会社の同僚(一回り以上、年上)の方は「これで松っちゃんが成功したらテレビは土下座して謝らなあかんで」と言っていたが、そうなる事はないだろう。ダウンタウンがすごいのは認めるし、日本のお笑いを変えたとは思うが、かつての様な勢いやキレはない以上、これ以上の成功は望めないだろう。
私小説の西村賢太の青年時代だった日本の経済が絶好調だった80年代でも中卒だとコンビニや立ち食い蕎麦屋でも面接すら受けられない、求人で「学歴不問」と記載されている仕事にも関わらず面接の時点で「中卒はダメ」と門前払いされると書いてあり、結果、港で働く日雇人足か本の仕分けぐらいしか働ける所が無いと言っていたなぁ。RP
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あと「昭和は貧しかったけど希望があった」というのも半分以上フィクションでで、神武景気と岩戸景気の間には「なべ底不況」があり、岩戸景気といざなぎ景気の間には証券不況があり、その都度大規模なリストラが行われて失業が発生していた。ドルショックの直後にはこの世の終わりみたいな騒ぎだったし、石油ショックの後は節電で東京中が真っ暗になった。毎日のように公害報道があって終末観に満ちていた、それが昭和。ちなみに自営をやっていた実家では、発注元に夜逃げされて、一ヶ月収入が途切れたこともあった。
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昭和礼賛論者は昭和時代には全員終身雇用だったとでも思っているのか。むしろサラリーマンは少数派だったはずだが。まあ、今の50歳は1975年生まれだから、物心ついたときにはもう80年代だったわけで、それを昭和の基準と思っているのかも知れないが。
永ちゃんの「P.M.9」参加したメンバーが錚々たるメンバーだな。TOTOのスティーヴ・ルカサーにジェフ・ポーカロ。永ちゃんのバンドのバンマスになるドゥービーのジョン・マクフィーなど凄まじく豪華。
今日ブックオフで購入。永ちゃんのアルバムの中で1番好きな「P.M.9」のレコードと何故かサブスクで配信されていない「安全地帯V」のCDを割と安く手に入れる事が出来たから大満足。
いわゆる海外のインディーロックもネット上では作品について盛んに取り上げられてますけど、リアルではさっぱりですもんね。おっしゃられる様にピッチフォークも意図的に目立たない、華が無いバンドばかり絶賛する事が続いていたりするみたいだし…日本に目を向けてみればロキノンは昔のバンドばかり取り上げるし、クロスビートもバーンも年齢層高めの人に向けて出版してる感じですしねぇ…