ジャッパの星
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ジャッパの星
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在伯25年。ブラジル政治経済ウォッチャーかつ音楽愛好家。コリンチアーノ。 モットーは「成るようにしか成らない」 神さま仏さまマリアさまに感謝しながら生きています。 X→ https://x.com/loira294 note→ https://note.com/loira294
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例えば今のブラジル政府はインフレと財政赤字を放置して強引なバラマキで「史上最低の失業率」を達成したとドヤっているわけですが、そんなに景気がいいのならどうして若者が犯罪組織なんかにリクルートされるんですかって話ですよ。ウーバーイーツなんかで日銭を稼いだって、何の展望もないでしょうが。
実は3千字書いてもまだ書きたいことはたくさんあるのですが。これは単なる「悪い組織」があるという話ではない(もちろん為政者は単なる「治安問題」として片付けたいのでしょう)。むしろブラジルという国家そのものの正統性にも関わる大きな問題を孕んでいるので。
社会に変革をもたらす天才は発達障害だったかもしれないという仮説はけっこう知られていますが、もともとそういう人たちを上手に使いこなしてきたとはお世辞にも言えない日本社会で、積極的な「早期発見」とシステムからの「排除」を進めているのは悪い冗談としか言えません。そんなことやってるからいつまで経ってもコスパ・タイパの罠から抜けられないのだとすら思います。
ASDやADHDは社会的不適合を合理的に説明するのに便利な概念で、私もつい頼ってしまいますが、何分に新しい概念なもので、その社会的な意味も原因もまだ確定したものがないような(日々更新されているような)気がします。なのであまり安易に決めつけない方がいいと思うのですが、なのに既成社会の方で勝手に診断や切り離しが進められているのは如何なものかと思いますが。この辺の早急さも、社会の病理のような気がしますね。
つまんないことを考えてないで仕事しろ俺
自我が他者からの承認によって形付けられるのであれば、誰からも認識されない透明人間は自我を形成できないし、かつては見えた人間が透明化した場合、狂うか自我を失うかしてしまうでしょうね。映画の透明人間がだんだんと理性を失っていくのもわかりますね。
あと「昭和は貧しかったけど希望があった」というのも半分以上フィクションでで、神武景気と岩戸景気の間には「なべ底不況」があり、岩戸景気といざなぎ景気の間には証券不況があり、その都度大規模なリストラが行われて失業が発生していた。ドルショックの直後にはこの世の終わりみたいな騒ぎだったし、石油ショックの後は節電で東京中が真っ暗になった。毎日のように公害報道があって終末観に満ちていた、それが昭和。ちなみに自営をやっていた実家では、発注元に夜逃げされて、一ヶ月収入が途切れたこともあった。
昭和礼賛論者は昭和時代には全員終身雇用だったとでも思っているのか。むしろサラリーマンは少数派だったはずだが。まあ、今の50歳は1975年生まれだから、物心ついたときにはもう80年代だったわけで、それを昭和の基準と思っているのかも知れないが。
子どもの頃から「どうしてうちは『普通』じゃないのか」と思っていて、大人になってもずっと「普通」になりたいと思っていたのに、全然普通になれなかった。

でも実は「普通」を諦めたら道が開けたんだよ。「普通」って何だったんだろう。呪いだったのだと思う。
ちなみに日本では「里親」って言いますけど、こちらでは「adoção」(養子にする)と言うんですよね。
マスコミの言う「普通」と自分のそれとを比較して、劣等感を感じたり、焦ったりすることはあると思いますね。
親や世間の「あーすればいい、こーすればいい」と言うのは忘れて自分のしたいことをするようになったら運気が開けたような気がします。今だと「世間」に相当するのはマスコミかな。
これは里親フェアらしい
いつもの公園に行ってきました。
仕事だって「選ばなければある」んですよね。ブラジルも確かに「選ばなければある」んだけど、選ばないで就ける仕事に対する報酬が全然違うから我慢のしがいもあると思うんだけど、その辺は感覚が全然違うみたい。
私は日本生まれの日本育ちだから、日本に帰ってもすぐ順応できるけど、子ども達のように日本生まれじゃない人にとって「日本ってそんなにいい国なのか」と思わないでもなくて。確かに安全で清潔なんだけど、日々プライドをごりごりとすり減らされている感じがするんだよな。これって慣れてない人には意外とキツいんじゃないか。
ブラジルへの移民事業は高度成長期にも途切れることなく続いていて、1970年頃まで実施されていたはず。まあ当時の日本は公害とかかなり酷くて経済成長にもかかわらず将来に希望も持てない人も多かった。「北の国から」のように脱サラして僻地に移住する人もいた。そんな時代があったことなど、もう誰も覚えていないでしょう。日本人もかつては熱い魂を持っていた。今のように経済的な豊かさを失うことを怖れて、「働かないおじさん」などと揶揄されながらも会社にしがみついてなどいなかった。
一言にブラジル日系移民と言っても、移民に至る背景には様々なのものがあって、戦前から戦後すぐまでの移民はそれこそ必要に迫られて来ているわけですが、戦後の50年代から60年代の所謂「戦後移民」と言われる人たちのわけのわからない情熱には驚かされます。そういう歴史が忘れられて、十把ひとかけらに「訳ありの人たち」みたいな捉え方も、日本側の「想像力の貧困化」を物語ってしまいますね。というか、結果として先進国になったことへの驕りとでも言うか。
例えば空気を読めないASDでも、それを自覚して「読めなくて何が悪い」と開き直れる人と「読めないのは自分の努力や心構えが足りないからだ」と思ってしまう人では人生の難易度に雲泥の差があると思うのですが、どうしても日本人は後者になりがちという気がしますね。ただ逆説的ですが、努力で何とかなると思っているうちはまだ絶望が足りないという感じもします。