むす
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生活のことなどをつぶやきます。 ブログもかいています https://minartsuzuki.hateblo.jp/
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アムリタ11『∞人姉妹/夜を泳ぐ』を早稲田どらま館で観た。
生活と地続きな感じが、なんというか、素朴で信頼できるというか、面白く観た。
休みの日、ショート動画を面白くもないのに延々と観続ける、みたいな、労働の描写がグッと来た、コロナのあたりの話も面白かった。
コロナ禍のことを直接的に描いてくれている作品って少ないような気がしている。コロナ禍の演劇業界のあれこれは、今や、ほとんど、なかったことのようなっているけども、コロナ禍に演劇を離れた人は本当はたくさんいるはずだ。(私も半分くらいその一人である)
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京都から帰ってきた
これから早稲田で劇を見る
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月曜日だと思ってた劇、来月だったでござる…
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非常勤終わってそのまま京都へ…。あそびたい
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そして「属性Xかつ属性Y」みたいな人がそもそも存在しないことが前提とされているように見えるけども,その前提はどこから来ているのか,とかは(劇を見る前から既に)気になる.
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「属性Xの人々と,属性Yの人々は,分かり合うことはできるのか?」みたいな問い,具体的に何を問おうとしているのかわけがわからないし,その問いかけ事態が,「属性X」「属性Y」と名指された集団内部の差異を隠蔽する働きを持っていそうだなという直観はある.
(翌週の観劇に向けた,観劇前のメモ)
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ラボットカフェに行った、店中ラボットだらけだった
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「いつまでも、自分自身が健康で善良な社会の一員でいられる」と思うのは、わたしは端的に間違いだと思う。
ちょっとしたことで、不健康になったり、必ずしも善良とは言い難いような生き方を強いられるようになったりすることは、誰にでも起こりうるわけで…。
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この一年で、(アーレント的な意味での)労働に対する自分のなかでの捉え方がだいぶ変わっていて、労働も良いことだよなとおもう、
生きていくために創意工夫を凝らしていくこと、ふつうに大切だ
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非常勤、毎度毎度ちゃんと緊張しているというか、演劇の本番前みたいな気持ちになる。
(たぶん、演劇と一緒で、どういう人が聴き手なのかが完全には分からないことからくる緊張なのだとおもう)
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演劇(やアート周り)の「対話」概念、なんか変なところで倫理的な負荷が乗っかって使われている感じがするんですよね。とくに宣伝文句などで…。
そのわりに、行ってみると、仲間内のおしゃべりを見せられる場合が多いという…。

とくに倫理とか関係なさそうなコミュニケーションを、ちょっとインテリっぽくするための味付けとして宣伝文句などで使われている感じがちょっと嫌な感じがするのかましれません、、
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関係性の再編という目的に対する手段として、「対話」は「暴力」との対比関係のなかで意味付けられる言葉でもあると思うけども、そもそも「暴力的解決」を採用しようとしていない芸術場面で「対話」をことさらに強調することの違和感もある。
むしろ「暴力」以外のさまざまな問題が見えなくなることすら(わりとよく)ありそう。
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触覚的(身体感覚的な)感覚に意識を向けることは、日常生活のなかでは、あんまりないけれど、たまに、そういう身体の感覚に注意を向けることは精神の健康のためにけっこう大事な感じはする。

たんに身体を動かすというだけでなく、普段素通りしている身体にときどき意識を向けることは、なんとなくメンタルによい気がする。
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エンドレスエイトがはじまった、
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明日はAAPAのボディーワーク(自分の身体と向き合うみたいな、そういう体操みたいな)に行く予定、
www.aapa.jp/reservation
ご予約 | AAPA / Away At Performing Arts
www.aapa.jp
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「涼宮ハルヒの憂鬱」を、いまさら見始めた。
あれはこれが元ネタだったのかあ、とか、あの人はこれに憧れていたのかあ、とか、なにか過去の自分の経験の解像度が上がっていく、ちょっと変な感じがする。

見たことないけど、ちょっと懐かしい感じがするのは、当時のネットカルチャーが、色んな形でこの作品に影響を受けていたからなのだろう。
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東京ヘテロトピアに触発されて、自分の個人的な思い出をマッピングしていく地図をつくってみた。
www.google.com/maps/d/u/0/e...

参加したい人いたらおしえてください。なんか色んな人の個人的な思い出みたいなのが地図みたいなのが作れたら楽しいかなと・・。
(昔の喫茶店にあった、お客さんが書き残していくノートの地図版、みたいな。)
個人誌としての地図 - Google My Maps
このMAPは、参加者の思い出の場所を、ちょっとしたコメントとともにマッピングしたものです。
www.google.com
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面白そう、今日か・・。(前の予定があるので多分行けないのだけど)
nanori.jp/woodman/
about – Nanori
nanori.jp
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「作劇術として対話を描こう」というのも、まあ、分かるのだけれど、「関係性の再編や状況の再定義を描こう」といったほうが、(外野から見ていると)現象をうまく捉えられている感じはする。
そういう、再編や再定義のバリエーションの一つとして、「対話」による再編・再定義が描かれることもある、くらいの方が、なんとなく、日常的な語感には近い感じがする。
(どうでもいいことですが)
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ただの語感の話かもしれないけど、「対話」って、基本的に何がしかの関係性の再編や、状況の再定義を伴うことを目的の一つとして行なわれることが多いような気がしていて(だからこそ、しばしば政治的な実践であるわけですが)、演劇でよくあるような、電車のボックス席ではじめて会った人と喋ることを、わざわざ「対話」と呼ぶことに、そこそこの違和感はある。
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池袋と新大久保のあたりを中心に、5つくらい回ったのでした、

その人のその場所での個人的な思い出が聴けるGoogleマップみたいなのがあったらいいのになと思うなどした
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これ、明日の夜、新宿の近くでやろうとおもいます
来たい人いたら連絡ください