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防衛省は、小泉大臣と米国ヘグセス氏の会談を機に、氏の肩書きを国防長官から戦争長官に変更したらしい。米国での運用状況や意向を確認したという。
(10月22日)
地方の水道のいわゆる民営化、concessionについて。
民間に業務委託であり民営化ではない、と推進派は述べる。
ところでconcessionとはconcedeする(負けを認めて譲る)事であり、ラテン語のconcedere(共に行く、譲る)から派生する。類語にsuccedere(後を継ぐ)があり、これはsucceedに派生した。
ラテン語でconは「共に」、sucの意味はいくつかあるが、この場合は「すぐ後ろに」みたいな意味で使ってるらしい。
(10月22日)
日本橋ヨヲコ「喫茶牢獄」1巻読了。めちゃ誌連載を4話まで収録。1話ごとに自分から毒気が抜ける。
絵柄が独特で人を選ぶが、露悪趣味のビジュアルと見えて、内容は倫理的に堅実。善悪正邪のバランスは「少女ファイト」からブレてない。読むべし。作中内小説「巌窟嬢」気になる。
(10月22日)
前澤友作さんの、個人投資推進と外国人労働者反対論の組み合わせは新鮮。
しかし思想的にlaissez-faireで、「ヒトは同胞」を掲げる世界人権宣言主義、啓蒙思想と(悪い意味で)相性が良い。
個人的には、ヒトの移動の自由化否定はPolanyi の市場主義批判が妥当と思われ。
(10月22日)
熊による圏央道防衛線突破について。
ドローンや犬で「面を制圧」する体制が必要。
既存の公的機関やボランティアのハンターでは対応しきれない。
民間の熊駆除業を法的に定義し、いくつか認可し、自治体の出す駆除案件を競争入札させてはどうか。
日本の野山に熊が増えるのを手助けしていた動物愛護団体には、駆除利権を見込んだ投資集団のヒトとカネが流入していたオチ。
(10月24日)
退職代行のモームリ社が非弁行為を理由に摘発されたらしい。業務フローの合法性は専門家(弁護士)がチェックしている、みたいな事を標榜していたので腑に落ちない。
モームリが騙されて非弁行為をやってしまった側面があるかも。
(10月25日)
高田馬場の、国鉄駅から戸塚地域センターに行く細い道。西武の線路土手に接する長屋が取り壊されたらしい。かつてそこの二階でおばさんが小さな焼肉屋を一人で切り盛りしていて、味が良かった。肉が厚くて、独特の帽子みたいな金具で焼く。閉店してだいぶになる。建物ごと消えるのはわびしい。
(10月25日)
NHKの「国際報道」の令和7年10月24日放送分で、AI技術に対する一般視聴者の危惧、「規制かイノベーションか」、アメリカと欧州の対比、フィンランド系アメリカ人の法学専門家(Anu H. Bradford)の意見を紹介して面白かった。特にアルゴリズムにより「フェイク、デマ、分断が深まる」とした。
末尾でアンカーマンが「日本はAI開発をリードしていくべき国です」と推進論100%で締めた。
視聴者の危惧を「いずれも簡単には答えの出ない問題です」で片付けたから、慎重論で落とすのかと思われたが、結論が真逆。プロパガンダとして拙劣というか、今のNHKの乱暴さを反映していると思われた。
そもそも回教徒の示威的礼拝は、回教の宗教構造、絶対的な神と信者個人との関係性の重視の構造から生まれた。礼拝にせよ、自爆テロにせよ、個人の自発性が問われる。権威者が何か否定しても、個人が神の心を察して行為する。仏教もまた、個人の単位で解脱を目指す個人主義の構造がある。
回教徒の個人的自発的な示威的礼拝と、仏教徒の自発的な読経は、鏡合わせになりやすい。仮に日本の仏教界が回教徒と衝突を避ける目的で読経禁止の御触れを出した場合でも、権威失墜が起き、読経派の中から新たな指導者が出現するおそれなしとしない。

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(10月25日)
読経派と反読経派のやりとりで、どうも反読経派は自称仏教徒と宗教中立派に分かれるようだが、両者とも分が悪いと見る。
自称仏教徒は、信仰のあり方を決めつけて他者を否定する傲慢。
中立派は、「お前はそれを回教徒に言えるの?」という不公平。
回教徒が欧米で示威的礼拝を成功させ、読経は回教徒のアクションの鏡写しであるから、ここで仏教徒の読経だけを問題視すれば、不当な宗教弾圧として炎上するだろう。むしろ炎上することで、文化侵略の危機感を抱く人々が読経派に流れ込む効果がある。

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(10月25日)
欧米では回教徒が路上で礼拝して自らの存在を誇示しているらしい。これを文化的な侵略として警戒する声がある。
日本の歴史において、寺社勢力が鐘や太鼓を鳴らして実力を誇示した経緯がある。回教徒の示威的礼拝への対抗措置が自然に発生すると思う。
(10月25日)
イオンモールの礼拝室を巡る仏教徒の内紛への雑感。
回教徒対策と思われるが、イオンモールが礼拝室を設置し、ある(自称)仏教徒がそこで般若心経を唱えたい旨を発言。対して別の(自称)仏教徒が「他者の信仰を揶揄妨害」「排外主義」と論難した。
結論が出せない。とりあえず論点のみ列挙する。
・イオンモールへの礼拝室設置は妥当か
・仮に妥当として、そこでの般若心経は妥当か
・読経を他者の信仰の揶揄妨害にあたる、と解するのは妥当か
・仮に揶揄妨害の効果あるとも善行ではないか(読経による功徳が揶揄妨害の悪徳に勝る可能性)
転生する小説とかの最初の死亡理由について、交通事故だの過労死だのあったけど、そのうちクマに襲われるパターンが書かれるのでは。
久しぶりに宮ヶ瀬に行ったら、「クマ出没注意」の立て看板があった。県道64号を北上して、坂道を登り切って湖が見え始めるあたり。
Web API (HTTP API)の問題(problems)概念が整理されてRFC 9457になっていた。文書のステータスはまだPROPOSED STANDARDだけど。
doi.org/10.17487/RFC...
Information on RFC 9457 » RFC Editor
doi.org
これらは平和な日本社会を観察しても分からない。日本人を一人ずつゆっくり処分している場合にも見られない。
集団に絶滅の圧をかけた場合に、一族の遥かな過去の記憶、敵を倒す高リスク行動、正気を失ったかに見える行動がよみがえるのではないか。
同じ事が熊の集団に起きるのではと危惧する。
しかし「熊が野伏をやるかも知れないので、注意してください」などと公言すれば呵呵大笑は必至。
(終わり)

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熊と自衛隊の戦いに関する危惧。
熊について、我々はどこまで理解しているか。
おそらく訓練された兵隊や猟師のチームが熊を取り囲み処分するのは、難しい事でない。すると一つの考えとして、熊の生息地の周縁から見つけた一頭ずつを処分し、包囲を縮めて最終的には全個体を処分できそうである。
この計画に穴は無いか。
仮に日本人の全個体処分を進めた時、ある時点から非日常的な行動を示すはずだ。一カ所に集まり、円陣を組んで女子供を内側に入れる。怪我したフリで逃げて引き寄せ、数的優位の伏兵で返り討ち。攻撃者の兵站を断つ。指揮官の暗殺。集団の特攻による飽和攻撃。

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「ペン持ってる?」問題の解法。
1)問いかけは話とNVC(*)の両方で行われていないか、チェックする。
2)言葉の質問に対しては「持ってます」と回答する。
3)相手が空の掌を示すなど、ペンを貸して欲しい態度を示す場合、ペンを取り出して渡そうとする素振りを見せる。
*non-verbal communication
Do KONAMI's generated AI dream of Konatsu Kato's live broadcast of Silent Hill?
(コナミの生成AIはサイレントヒルを実況する加藤小夏の夢を見るか)
(10月26日)
熊害対策で気になる点。
そもそも熊の数が増え、奥地には体格の大きな熊が多くおり、生存競争に負けた弱い個体、体格の小さな個体が人間の領域に押し出されているらしい。
解決するには、まず奥地に駆除部隊を送り体格の大きな熊を相当間引いて押し出し圧力を弱め、かつ押し出され熊を駆除すべきでは。
熊は鹿を捕食するため、仮に奥地の熊の数を減らし過ぎるような事があれば、鹿が異常繁殖すると思う。森全体はもちろん農地にも鹿の食害が及ぶはずだ。それはまずいので、鹿への影響を確認しながら熊を駆除すべきだろう。
(10月26日)
高市早苗政権の官邸の全文公開の方針の懸念点。
当該方針が既存マスコミの偏向報道批判の観点で歓迎されるが、危惧もある。
・官邸が改竄の誘惑に負けるおそれ
・マスコミから客が離れ、紐付のカネに依存する広告塔化のおそれ
・独立したジャーナリズムを草の根から資金支援する仕組みが必要か
(10月26日)
人工知能とあまり言わずAIといいたがる心理。
ヤラカシを出力する存在を知能と呼ぶ事に抵抗があり、エーアイとカタカナ言葉で呼べば意味不明なまま「そういうもの」として受容ハードルが下がる、という状況ではないか。
(10月26日)
テレビ朝日の田原総一郎切り捨て説
・高市早苗が権力を掌握した時点で、危険な発言を連発していた田原は経営トップから睨まれていた
・経営トップと番組プロデューサーとの意識のズレ
・ズレが解消されないまま、問題発言が放送される
・番組プロデューサーが泥をかぶって番組終了
(10月26日)
(権利を保障する国を運営するために国民は義務を果たすべき説に関連して)
話は逆で、国家そのものに自らを永続する生存本能みたいなものがあり、その目的を達成する手段として、国家に奉仕する義務を説いて協力させているのかも。
主体性は国家にあり、説得は精緻化し、例えば民主主義概念や選挙イベントは国民に自らが主体的に国を支えているとの幻想を抱かせる手段かも。