x.com/nikkei/statu...
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「死ぬのが怖い→死んだら失われる現世のものがおおい」
と認識するのはちょっと早計なのではないだろうか。
例えば今時点での死ぬまでの距離が目測で主観的に100あるとして
何か不幸があると10とか5とか定数分、減っていくのは恐らく誤っていて
実際には100→50→20
みたいに等比数列みたいに減っていく。
最後には1→0.1→みたいに限りなく近づいて行って、最後に乱数分の減少でそこに至ってしまう。
失われる主観というもの、痛みや苦しみというのは失われたときにはじめてその存在を知り、そして自分の手から離れる実感を伴うのではないだろうか?
「死ぬのが怖い→死んだら失われる現世のものがおおい」
と認識するのはちょっと早計なのではないだろうか。
例えば今時点での死ぬまでの距離が目測で主観的に100あるとして
何か不幸があると10とか5とか定数分、減っていくのは恐らく誤っていて
実際には100→50→20
みたいに等比数列みたいに減っていく。
最後には1→0.1→みたいに限りなく近づいて行って、最後に乱数分の減少でそこに至ってしまう。
失われる主観というもの、痛みや苦しみというのは失われたときにはじめてその存在を知り、そして自分の手から離れる実感を伴うのではないだろうか?