人生いちから始めようか
人生いちから始めようか
学校のクラスメイト、会社の同僚、何らかのコミュニティのメンバー。いずれも、自分がその「場」を抜けたら付き合いが途絶えるなら「友達」ではないような気がする。
もちろん、SNSも。
digital.asahi.com/articles/AST...
このシリーズ、面白いね。"友達"という概念は人によって違うけれど、この言葉がわたしには一番しっくり来た。
「あいつが死んだら、葬式に行く。俺が死んだら、あいつは葬式に来る。そんな『あいつ』は友達です」。
(プレゼント機能で10月29日 07:52まで全文読めます)
学校のクラスメイト、会社の同僚、何らかのコミュニティのメンバー。いずれも、自分がその「場」を抜けたら付き合いが途絶えるなら「友達」ではないような気がする。
もちろん、SNSも。
じゃあどんなプラットフォームならいいのか。
まずその発想がダメなんじゃないか。
インターネットがなければ知ることもなかったような、実生活上において何らの利害関係も持たないような相手と「建設的対話」をする必要がない。
「建設的断絶」の価値を見直そう。
じゃあどんなプラットフォームならいいのか。
まずその発想がダメなんじゃないか。
インターネットがなければ知ることもなかったような、実生活上において何らの利害関係も持たないような相手と「建設的対話」をする必要がない。
「建設的断絶」の価値を見直そう。
https://gigazine.net/news/20251024-microsoft-copilot-mico/
"例えば「草」と聞いて「面白い」「笑った」という意味を連想したならばそれもまたミーム汚染である"
dic.pixiv.net/a/%E3%83%9F%...
「汚染」という語にはネガティブなイメージが伴う。たとえば検索汚染とかには実害があるが、「草」とかは言語の持つ自然な特性なのではないだろうか。
"例えば「草」と聞いて「面白い」「笑った」という意味を連想したならばそれもまたミーム汚染である"
dic.pixiv.net/a/%E3%83%9F%...
「汚染」という語にはネガティブなイメージが伴う。たとえば検索汚染とかには実害があるが、「草」とかは言語の持つ自然な特性なのではないだろうか。
あれは ルビィ ルビィちゃーん
あれは ルビィ ルビィちゃーん