ta
banner
inllni.bsky.social
ta
@inllni.bsky.social
To be everywhere at once. Being everywhere at once.
ときどき、アラビア語圏の人のブログを自動翻訳で読んでいる。こんな感じの。

今日、Uberのドライバーが祈りのために停車してほしいと頼んできたから、こう言った。「いいよ、祈りは私の用事よりも大事だよ。」その後、彼は車に戻ってきて、「遅らせてしまってごめん」と言った。私は答えた。「……いや、大丈夫。神の前では何も無駄にならないよ……」!!!

ああ
疲れた
本当に
October 9, 2025 at 5:03 PM
失われた世界は記憶のなかにかがやき、失うことにおいて光景はさらにあたらしくよみがえってくる。生きることは、失いつづけること。
October 7, 2025 at 6:50 AM
悲しまない。平気だからね。
October 4, 2025 at 5:25 PM
とりあえず脇目も振らず作業する。人目を気にするのはあとだ。
October 3, 2025 at 5:18 PM
急いでいたり忙しかったりすると、誰だってやなやつになりがち。性格の良し悪しではなく、状況がそうさせる。
October 2, 2025 at 10:59 AM
September 19, 2025 at 3:44 PM
空間は潜在している
September 19, 2025 at 5:13 AM
私は読む速度が遅いので、本はできるだけ厳選して読みたい。あれもこれもという誘惑を振り切って。人生の残り時間もそんなにないような気がする。でも、いつでも寄り道できる余裕はなくさないように。間違った道などないのだから。
September 18, 2025 at 7:44 AM
September 14, 2025 at 2:50 PM
September 13, 2025 at 4:59 PM
September 13, 2025 at 7:02 AM
きのうの夜23時ごろ。数ヶ月前に閉院した、とある大学病院の付近を歩いていたら、謎の大絶叫が響いた。断末魔とはこのことかと思うくらい、とてつもない声だった。どこか建物の上のほうから響いていた。たぶん男性の声。怖かった。あれはなんだったのか。
September 8, 2025 at 1:59 PM
かっこよさは、傲慢さに近い。紙一重だと思う。
September 5, 2025 at 4:53 PM
“情報は、すくなくとも一日おくれて到達すべきものである。情報の急速さは、不安のしるしである。”
(石原吉郎)

このところずっと『石原吉郎全集』を読んでいる。
August 14, 2025 at 7:23 AM
感情の理解と誤解の回避はトレードオフの関係にある。感情は誤解の産物だろう。
August 12, 2025 at 3:34 PM
“不条理がたしかに不条理となる場所が自分自身である。従って、自分自身が事実上存在しない場所では、不条理は存在せず、世界もまた存在しない。不条理は自己に対する切実な関心(Sorge)から生れる。不条理の深さは、自己への関心の深さである。”

(石原吉郎)
August 12, 2025 at 5:48 AM
何においても、“仮である”という感覚が非常に重要だと思う。
August 1, 2025 at 2:09 PM
August 1, 2025 at 1:11 PM
愚回(ぐーぐる)
July 23, 2025 at 11:34 AM
ラウール・ジャンディアル『夢を見る技術』(光文社)によると、「夢を見ているとき、私たちは生物学的にありえないほどの強い感情を経験している」(p.18)らしい。

感情に関わる大脳辺縁系の代謝活動が増加することによって。

夢のなかでの強烈な感情を覚醒時にも引きずっていることがよくある。そのことにひとつ解答が得られた。一般解。

なぜわたし個人は高頻度で引きずりやすいのか、個別解についてはわからない。
July 22, 2025 at 7:55 AM
どんな人にも敬意をもって接する。過激なまでに。
July 20, 2025 at 4:58 PM
排他性は問題視されるが、そこには同時に魅力もある。引力があるところには、かならず斥力も生じる。いかんともしがたい人間心理の力学ではないかと感じてしまう。
July 19, 2025 at 7:07 AM
人は知るよりも、信じることを好むようだ
July 18, 2025 at 7:44 AM
この世界はとんでもなくデカくてヤバくて莫大なものなのだけど、そんなことを日々感じながら生きている人はすくない。なぜだか。

これは、知らないことのほうが莫大にあるのに、なぜ私たちは何か知ったような感覚で生きているのだろう? という問いと同じだ。

わたしたちは、基本的にちいさな世界の内に閉じている。この「ちいさな世界」はいかにしてかたちづくられるのか。あるいは、いかにして開かれていくのか。
July 17, 2025 at 7:23 AM
なまなかな未来を口にしないこと
July 16, 2025 at 4:19 PM