呑気な頼
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呑気な頼
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伊邪那岐、伊邪那美ゆかりの黄泉の国。その国に迷い込んだけど、大物主の加護により現世に戻れたので、第二の人生を楽しみながら、スプーン一杯の幸せを求めて迷走中・・人生って楽しいね。
日本の始まり、橿原神宮です。
June 29, 2024 at 7:57 AM
七夕発祥の地『棚機神社』・・
日本神話の里(葛城)にある棚機宮(たなばたぐう)の境内は一新されており、境内には願いを書き込める木の短冊二種類が用意されスタンプも置かれてました。願いが書かれた短冊が既に多く掛けられ七夕の日に焚き上げられることで願いが叶うそうです。
June 2, 2024 at 3:53 PM
謎めいた歴史の石舞台古墳は墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているという独特の形状、わが国最大級の方墳です。三〇数個の岩の総重量は約二三〇〇トン、特に天井石は約七七トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。天井席の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから『石舞台』とよばれています。被葬者は明らかではありませんが、七世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれています。
May 25, 2024 at 3:16 PM
甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)は高市郡明日香村豊浦に鎮座する延喜式内社。主祭神に推古天皇、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おほまがつひのかみ)、神直日神(かむなほびのかみ)、大直日神(おほなほびのかみ)が祀られてます。

この神社で四月の第一日曜日に盟神探湯(くがたち)神事が執り行われます。これは日本書紀によるところ允恭(いんぎょう)天皇四年(415年)に政治の乱れ「氏姓制度の乱」を正すため、古代の裁判である盟神探湯が、この地で行われました。これは煮え立つ湯の中に手を入れるもので、正しい者は火傷をしなかったと伝えられます。現在も毎年四月の第一日曜日に神事として行われます。
April 13, 2024 at 10:36 AM
桜の季節、興福寺八釣山地蔵尊(こうふくじやとりやまじぞうぞん)は585年に廃仏派の物部守屋(もののべのもりや)が飛鳥『橘寺(たちばなでら)』に火を放った時、金堂に安置してあった地蔵菩薩が火を避けるように天香具山(かぐやま)の山頂に逃れてました。それを知った聖徳太子は香具山の山麓に寺を建立して地蔵を祀ったのが由来です。また、聖徳太子が夢のお告げで御体顕されたいう『御夢想の名灸』があってリュウマチ・神経痛などに良く効くと伝わります。
April 2, 2024 at 3:53 PM
日本最古の大神神社(三輪明神 )摂社、玉列神社(たまつらじんじゃ)は昔から「玉椿大明神(たまつばきだいみょうじん)」とよばれます。また境内には名前の通り境内に200種約500本の椿が植えられ「玉列のつらつら椿」として知られます。
March 27, 2024 at 3:29 PM
観菩提寺は俗に正月堂と称し、天平勝宝三年(751)に奈良東大寺の実忠和尚により開創された由緒ある寺院です。正月堂の修正会は、奈良東大寺二月堂のお水取り(修二会・しゅにえ)に先駆けて行われることで知られ、ここ正月堂が発祥の地ともいわれています。楼門、本堂、そして三十三年目に一度しかご開帳されない本尊の十一面観世音像は秘仏で、国の重要文化財に指定されています。
March 9, 2024 at 5:13 PM
雨に烟る『談山神社』・・
談山神社の祭神は藤原鎌足公。藤原氏の祖である中臣鎌足の死後、678年、長男で僧の定恵が唐からの帰国後、父の墓を摂津安威の地(大阪市・阿武山古墳)から桜井市多武峰に移し、十三重塔を造立したのが発祥とされます。680年に拝殿が創建され、そこを天台宗妙楽寺としました。701年、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する本殿が建立、聖霊院とよばれます。645年5月、中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足公)は、多武峰に登り「大化改新」の談合を行ったことから、後にこの山を「談い山、談所ヶ森」とよび神社社号の起こりです。また神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺とよばれ女人禁制です。
March 8, 2024 at 3:21 PM