しかし、面白い小説をすべてAIが書いた場合には、興味や関心はまったく発生しない。作品の魅力も何となくしぼんでいく気がする。
生身の作者が書いた小説とAIに書かせた小説。
読者が感じるこの違いは大きい。
しかし、面白い小説をすべてAIが書いた場合には、興味や関心はまったく発生しない。作品の魅力も何となくしぼんでいく気がする。
生身の作者が書いた小説とAIに書かせた小説。
読者が感じるこの違いは大きい。
ただ、三十枚程度のものが二話しかないので、シリーズとまだ呼べない気がする。もう数話書き足して連作にするのが理想的とは思うが。
ただ、三十枚程度のものが二話しかないので、シリーズとまだ呼べない気がする。もう数話書き足して連作にするのが理想的とは思うが。
個人的にはオンダーチェ、ピンチョン、ウエルベック、あと、ドン・デリーロあたりがとったら大興奮。
受賞すると書店に在庫や新刊が並べられて、それを手に取ることができるのが密かな楽しみになるので。
個人的にはオンダーチェ、ピンチョン、ウエルベック、あと、ドン・デリーロあたりがとったら大興奮。
受賞すると書店に在庫や新刊が並べられて、それを手に取ることができるのが密かな楽しみになるので。
文章はスマホで書くことが多いが、とはいえPCはやはり必要で、記事をnoteに投稿するときも、直前に誤字のチェックやヘッダー画像の選定その他細かな作業は断然PCの方がやりやすいし、PCでしかしたことがない。
買わなければならないようだ。
文章はスマホで書くことが多いが、とはいえPCはやはり必要で、記事をnoteに投稿するときも、直前に誤字のチェックやヘッダー画像の選定その他細かな作業は断然PCの方がやりやすいし、PCでしかしたことがない。
買わなければならないようだ。
一方で、わたしのような、あらかじめプロットを組まず、その人物の登場が必要になってから性格や特徴などの設定を書きながら肉付けしていくタイプには、あらかじめ設定していた人物がぴたりとハマることがあるのか、疑わしい気がする。
どれが正しいとかはないかも知れないが、書き方によって違いが色々と出てくるのは非常に面白い。
一方で、わたしのような、あらかじめプロットを組まず、その人物の登場が必要になってから性格や特徴などの設定を書きながら肉付けしていくタイプには、あらかじめ設定していた人物がぴたりとハマることがあるのか、疑わしい気がする。
どれが正しいとかはないかも知れないが、書き方によって違いが色々と出てくるのは非常に面白い。
それを考えたらなんだか面白い。
わたしは、作品の総文字数は一太郎で。
原稿用紙換算は、QXエディタの原稿用紙の枚数計算というマクロ機能で。
どれも、わざわざテキストを貼り付けて確認しているので、面倒なのは自覚している。
もっとスマートなやり方があると思うが、いつの間にか定着してしまった。
それを考えたらなんだか面白い。
わたしは、作品の総文字数は一太郎で。
原稿用紙換算は、QXエディタの原稿用紙の枚数計算というマクロ機能で。
どれも、わざわざテキストを貼り付けて確認しているので、面倒なのは自覚している。
もっとスマートなやり方があると思うが、いつの間にか定着してしまった。
新聞配達をしている高校生の少年が、私生児を産んだばかりの同級生の少女を、安アパートを借りて住まわせ、誰の子なのか分からないのを承知で赤ん坊の父親になろうとする話。
不幸な境遇、青春のあがき、私小説の暗さ、が揃っていてたまらない雰囲気がある。著者二十八歳のときの作品だが、深刻な語彙を使った文体によって即座に没入できるところがいい。タイトルも良い。
新聞配達をしている高校生の少年が、私生児を産んだばかりの同級生の少女を、安アパートを借りて住まわせ、誰の子なのか分からないのを承知で赤ん坊の父親になろうとする話。
不幸な境遇、青春のあがき、私小説の暗さ、が揃っていてたまらない雰囲気がある。著者二十八歳のときの作品だが、深刻な語彙を使った文体によって即座に没入できるところがいい。タイトルも良い。
うまくいくかはわからない。ただ、正解はこっちだと勘が教えてくれている。
うまくいくかはわからない。ただ、正解はこっちだと勘が教えてくれている。
斬新だとは思うが、わたしはまだこの表記法でのセリフをうまくイメージできない。複数の声が重なって聞こえてこない。鉤括弧が多重になっているその見た目が、合わせ鏡の鏡像っぽいからかも知れない。
斬新だとは思うが、わたしはまだこの表記法でのセリフをうまくイメージできない。複数の声が重なって聞こえてこない。鉤括弧が多重になっているその見た目が、合わせ鏡の鏡像っぽいからかも知れない。
登場人物は、庭に家財を並べてガレージセールをしている男と、たまたま車で立ち寄った若者と娘のカップル、この三人のみ。全編にわたって三人称の作品だが、一行空けのたびに視点は、〈男〉→〈若者と娘〉→〈男〉→〈若者と娘、男〉→〈若者と娘〉→〈男〉→〈娘〉という風に変えてあるのにはじめて気付いた。非常に短い作品だが、どちらの視点もさらっているので、本来なら理解しやすいはずなのだが、大事な箇所は見事に除外してあり、語っていない。この語らない部分が最後に効いてくる。超絶技巧の作品だと思う。
登場人物は、庭に家財を並べてガレージセールをしている男と、たまたま車で立ち寄った若者と娘のカップル、この三人のみ。全編にわたって三人称の作品だが、一行空けのたびに視点は、〈男〉→〈若者と娘〉→〈男〉→〈若者と娘、男〉→〈若者と娘〉→〈男〉→〈娘〉という風に変えてあるのにはじめて気付いた。非常に短い作品だが、どちらの視点もさらっているので、本来なら理解しやすいはずなのだが、大事な箇所は見事に除外してあり、語っていない。この語らない部分が最後に効いてくる。超絶技巧の作品だと思う。
兎の皮をまとい、兎の容姿で暮らす女との邂逅。
彼女が語り出した話は衝撃的で、わたしは読みながら平静ではいられなかったが、この作品を評して、美しい、魅了される、大好き、と好意的は反応を示す読者は男性よりも女性の方が多い印象がある。女性の方がこの作品の世界観をキャッチする感度が鋭いのか、あるいは肝がすわっているということなのか。落ち着いたらもう一度読んでみようと思った。
兎の皮をまとい、兎の容姿で暮らす女との邂逅。
彼女が語り出した話は衝撃的で、わたしは読みながら平静ではいられなかったが、この作品を評して、美しい、魅了される、大好き、と好意的は反応を示す読者は男性よりも女性の方が多い印象がある。女性の方がこの作品の世界観をキャッチする感度が鋭いのか、あるいは肝がすわっているということなのか。落ち着いたらもう一度読んでみようと思った。
魅力的な導入に加え、この短編には鍵と数字にまつわる謎解きが組み込まれていて面白い。ところで、なぜタイトルが「クロスワード・パズル」なのだろうか。三島はこの作品内で、主人公が見映えのしない女性を妻にした理由を最後まで言葉で明確にしていない。まるで、その答えを見つけて言葉を埋めよ、と三島に言われたような読後感だった。
魅力的な導入に加え、この短編には鍵と数字にまつわる謎解きが組み込まれていて面白い。ところで、なぜタイトルが「クロスワード・パズル」なのだろうか。三島はこの作品内で、主人公が見映えのしない女性を妻にした理由を最後まで言葉で明確にしていない。まるで、その答えを見つけて言葉を埋めよ、と三島に言われたような読後感だった。
昔、こういうタグがTwitterにあったので自分も考えたことがある。ついでにエッセイも書いた。
有名作家で最初に読み切った作品、ということだと思って何作かあげたが、作家のどの作品を入り口にしたか、というのは意外と重要なことかも知れないと思うようになった。下手なモノをつかんで自分には合わないと感じ、そのまま疎遠になるケースがあるとしたら勿体ない。
時代を経ても残る作家と作品はやはり強い。
note.com/umigamewan/n...
昔、こういうタグがTwitterにあったので自分も考えたことがある。ついでにエッセイも書いた。
有名作家で最初に読み切った作品、ということだと思って何作かあげたが、作家のどの作品を入り口にしたか、というのは意外と重要なことかも知れないと思うようになった。下手なモノをつかんで自分には合わないと感じ、そのまま疎遠になるケースがあるとしたら勿体ない。
時代を経ても残る作家と作品はやはり強い。
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