あおのあお
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あおのあお
@nannanhari.bsky.social
読書、オカルト、レトロ、洋服、音楽
 自分の心が見出すものを超えて、何かに出会いたい。それが個体に分かたれた私たちの切なる願いなのかも、と考えてみた。あと同10月号の「恋愛願望」という記事で、男性のほうが女性より恋愛に大きく依存している、という小記事も面白かった。一般的な傾向として男性は友人を作ったり、人と密な関係を作るのが下手だ、とはよく言われるところ。だからこそ、孤独を救ってくれる恋愛に(関係づくりの上手な女性より多く)しがみつく、というお話。この「人との関係をなぜ求めるか」はこれからも考えていきたい。

 以上、はいおしまい。ではまた~
October 11, 2025 at 1:35 AM
 これらに関連して思うのは「人はそれぞれ自分の思いのなか(繭の中)に住んでいる」ということ。現実を覆っているのは、それぞれの人の意識がどこに注意を向けているか。何かが大きく見えたり、何かが聞こえたり聞こえなかったりする。香りが何かを思い出させる。
 上記の話に反するようだが、今朝の夢の中に出てきた人たちは、とても自分の心が生み出した人たちだとは思えなかった。まるで他人のような人が自分の中にも生きているのだ。「人は自分の心の中に閉じ込められている」だけでなく、「人の心は底が抜けていて、他のものと連動している」ことも間違いない。
  つづくよ~→
October 11, 2025 at 1:34 AM
5 関連する記憶は共通の細胞集団が同じ細胞を共有していることが多い

 この記事から連想するのは魔術の訓練。たしかクロウリーの技法だと思うが、寝る前にその日あったことを逆にたどってすべて思い出す、という行がある。これは脳が眠りのなかでやっていることを、意識的にやることだろう。
 また「夢をコントロール 明晰夢で心を癒す」という記事(内容は省略)を読んで思うのも魔術に関すること。魔術結社ではアストラル界に神殿を建て、各人はそこに星幽体投射して魔術儀式に参加する。あるいは幽体離脱でもよい。この夢の世界まで現実を拡張する技法も、クロウリーの行と同じく意識の拡大である。
 つづきます→
October 11, 2025 at 1:33 AM
一人ひとりに、それぞれの状況に応じた自由があって、本当に自分の自由を意識したとき、実は自分の外側の権威には頼れない。外側に頼れないから、自由とは厳しいものでもある。凍てつく宇宙の果てで、自分自身で自分を支え、愛し、励まし、なんとかだましだまし自分と付き合っていく。それをすべての生物や無生物がやっているのだと思うと、うわ~宇宙って果てしなさすぎる!と眩暈を覚えるのです。
May 24, 2025 at 2:33 PM
グルジェフの言う「人間は外界に機械的に反応するロボットでしかない」を思い起こさせるし、シュタイナーが「自由の哲学」で言ったことなども、また考え直してみたいな。スピノザの汎神論は宗教色があり賛否あると思います。それでも神という概念、人知では測れない何か、には可能性があると思うんですよね~、とオカルト好きな無神論者の戯言。
つづくよ~次でおしまいなのでもうちょっと!
May 24, 2025 at 2:33 PM
スピノザは我々を自由へと、能動へと誘う。自分以外の人たち、歴史、その人が置かれた場所、それら自分の外部が自分をより支配しているとき、人は自由ではない。以下、本書の末尾から引用
「中動態の世界を生きるとは、完全な自由にも完全な強制にも陥らないということ。ときに自由に近づき、ときおり強制に近づく。」
☆☆☆
ここからは感想です。うーん、面白い!わかりやすい!面白いだけでなく、熱い!自分にとっての本当を生きるって簡単に言えるけど、実際にはとても難しい。それでも反逆するし、牙を捨てないし、いつでもどこでも己を貫くしかない。
つづく~
May 24, 2025 at 2:32 PM
そんな神の分身のような、神の表面を彩るモードで移り気な私たち。そんな生物や鉱物たちにも真実はあるだろうか?もちろん、ある。ただし、神の断片である我々は、他の同じような断片たちによって、制限されている。
ここで本書P256から引用したい。
「我々の変状が我々の本質によって説明できるとき、すなわち我々の変状が我々の本質を十分に表現しているとき、我々は能動である」
「逆に、その個体の本質が外部からの刺激によって圧倒されてしまっている場合には、そこに起こる変状は個人の本質をほとんど表現しておらず、外部から刺激を与えたものの本質を多く表現しているだろう。その場合、その個体は受動である」
つづくよ
May 24, 2025 at 2:30 PM
 ある若い独身華族の令嬢の家で働く下女から、令嬢がチャリティーの後見人でもある伯爵と不倫をしている、という情報を掴む。不倫現場を目撃した下女に、危険だから屋敷を離れるように告げるが、下女は殺されてしまう。
 無頼な女記者の復讐譚。面白かったです!
 個人的に興味深かったのは、明治期の華族が旧士族の支配意識を持っていたこと。明らかな身分制社会で、下々と貴族は別世界の住人であったこと。などが肌感覚で理解できました。また歯切れの良い鏡花節も相変わらず心地よい。
April 23, 2025 at 8:48 AM
「冠弥左衛門」

 相模の国には岩永、石村という悪い代官がいた。自分たちの殿様を寺に押し込め、領民に賃金を出さず過酷な土木作業に使役する。この悪人たちと戦うのは、美少年の霊山卯之助、組頭領の伝次、そしてさる公家の末裔で仏師の冠弥左衛門。

 領民を束ねて一揆の首謀者となる弥左衛門と、石村に見染められた少女を助ける卯之助の話が合わさって進む。殿様の忠臣、沖野の妻であるお浪の、男勝りの大活躍も見どころ。歯切れのよいリズムに乗った鏡花の文体が冴えわたる。

 やっと泉鏡花集成の第1巻を読了した。やはり古い文体に難儀している。しかし面白さもあるので、ゆっくりと14巻まで読んでいこうと思う。
April 19, 2025 at 5:32 AM
 痛みから逃げることなく、それを自らの指針として離さずにいた著者の姿を覚えていたい。いつでもこの世界のあちこちに痛みはあるから、それを拾って歩いていこう。
April 5, 2025 at 9:52 AM
 二人は青山の墓地と谷中の墓地と、同じ日に相前後して逝った。彼ら二人は罪悪あって、天に行くことはできなかったのか…。
 この短い話は身分違いの不倫を描いたもの。忍んで愛を交わし、秘密を守って死へと赴いた恋人たち。女の気高さと男の純粋さが沁みる。
March 16, 2025 at 1:08 PM
 そんな女を感情もなく冷静に眺めている様子の高峰であったが、いざ執刀するとき、どこか動揺を見せたように主人公は思う。どうしても麻酔を拒絶する女に、再び冷静さを取り戻した様子の高峰は、麻酔無しで胸部の切開を始める。女はメスを握る高峰の手を掴み、自らその刃を胸に押し込み、死んでしまった。
 9年前、主人公と高峰は小石川の植物園へ行ったことがある。その時に藤の着物で裾裁きも鮮やかな、高貴な身分の女性を見かけた。高峰はずっと妻子を持たず生きてきたが、あの時に見かけた女と…。
March 16, 2025 at 1:08 PM
「外科室」
 画師の主人公は友人の医学士、高峰のいる病院へ向かう。院内の廊下には紳士淑女や小さな女の子、腰元などが行きかっている。
 外科室には一人の女が横たわり、その面はやせ細っているが高貴で美しい。彼女は伯爵夫人なのだ。胸を切り開く手術をするため麻酔をしようとしたところ、「私にはだれにも言えない秘密がある。麻酔をかけると譫言が出るので、麻酔なしで手術したい。動いたりはしません」と話し、麻酔を受けようとしなかった。
March 16, 2025 at 1:07 PM