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長めの感想
それと「自分たちの世代はコピーしかできないし政治思想に対してどうやってもマジになれない」という世代の自覚がセカイ系的な傾向を生んでたと思うんだけど、今になっていよいよそうも言ってられないというか、難民もいるし戦争は普通に起きてるし、なんなら今後世界大戦近いかも…みたいな雰囲気によってこそ難民っていう社会問題を描けるようになってきてるのかも。その部分に対して単なる属性だけで終わらず、社会問題、自由と抑圧、幻想と現実、などのテーマにどういう答えを出すのか、答えの出し方次第ではかなり良くなる気がするが、うまくいかなかったときは逆にかなりひどい事になるな
June 8, 2025 at 11:35 AM
一作目の「エルム街」でもウェスクレイヴンは虚実の曖昧さを劇的に表現するような上手さがあって、ジョンサクソンがいつの間にか第一作の作中人物であるドナルドへと変貌するシーンにはかなり痺れたし、ヘザーがディランが落としたパンくずがわりのピルを拾って追っていくと、シーツの中から巨大な異世界へと入っていくシーンもかなりマジカル。ここで培われたホラージャンルにおけるメタフィクションの感覚は、この二年後にウェスクレイヴンが「スクリーム」を撮る際の強固な発射台となっているのではないか
June 4, 2025 at 12:45 PM
造られた登場人物のを生を肯定してあげたい、という信念と長らく良くも悪くも少年誌的な「男の子のロマン」を様々な形で検討、追求してきた藤田が、近年の「ゴーストアンドレディ」から「怪物よ、三日月と踊れ」で描きたかったのは女性の自己実現だったんだと思う。後者のメインの登場人物を作家のメアリーシェリー本人に持ってきたのは驚いたが、史実としてシェリーの母親が女性運動家だった事実を漫画の中に取り込んだことで、前者よりも圧倒的に成功していると思う。安易なシスターフッド話にしないためか最後は「父」に支配されたシスター同士の殺し合いとさせるところも若干どうなんだ感もあるけど、正直面白いからまあいいか…
May 23, 2025 at 12:34 PM
線が引かれる、っていう事の意味はやっぱり重要で中国の神話で混沌の中に区別ができる所から世界が生成されるようにすべては「わける」ことから始まる。仏教はもちろん、プラトンも洞窟の例えからこれを幻想と批判するがやっぱり分割しないと人生はつまんないよね。西洋絵画より東洋の絵、浮世絵とか漫画が好きなのは筆で線をはっきり強調するからで、現実の光景には無い「線」をはっきり書き込むことが絵が嘘である事を意識させ逆説的に信じられる。ティムインゴルド「ライン 線の文化史」はすぐ読みたい。ついでに言うとSCPとかも怪異をひたすら書類によって事務的に分類しかしないのが面白いと思ってる
May 5, 2025 at 6:08 AM
どんどん体を過去に戻すことで生命の始まりにある絶対を見つけようとする主人公、その途上で原始人に戻った主人公は「羊」も「山羊」も両方を食べてしまう事から、キリスト教的な意味では善と悪のどちらでも無く、ただ存在の始原に向かっている事が分かる。 トリップ表現は満載で悪くないがそんな小さな事よりも映画自体の走り方の方がはるかに面白い。メッセージは社会派で洞察に富むが表面上は安くて派手、という意味では「ゼイリブ」とかそういう方向の面白さだと思う。クライマックス原型人間になった主人公と赤いマグマ人間になってしまった嫁さんの人間性奪還のための爆裂壁パンチ、「なんなんだこれは」と思いながら爆笑した
April 13, 2025 at 12:51 PM