中村藤吉本店のお茶超美味い…
期間限定のラズベリー煎茶飲んでんだけどラズベリーなのにちゃんと煎茶が消えずに存在感放ってて超美味い…
中村藤吉本店のお茶超美味い…
期間限定のラズベリー煎茶飲んでんだけどラズベリーなのにちゃんと煎茶が消えずに存在感放ってて超美味い…
これは私が複数の翻訳とChromeさんの翻訳機能と古ノルド語辞書を駆使して作った誰も信用してはならないハヴァマールの翻訳
これは私が複数の翻訳とChromeさんの翻訳機能と古ノルド語辞書を駆使して作った誰も信用してはならないハヴァマールの翻訳
というかここらへんの論文が欲しかったのに良い感じに見つからなかった。
白灰を被った全然平和感のないトネリコの木イグドラシルが、9つと言われてるが別にどれが9つなのかは誰も知らない広い広い世界に枝を伸ばして全てに繋がっている。
かえすがえすもMCUのロキドラマの結論は本当に素晴らしいものだった。
マルチバースという9つの世界とそれを繋げる生命力の存在…イグドラシル。エッダの世界観に忠実だ。
神アイディア。
というかここらへんの論文が欲しかったのに良い感じに見つからなかった。
白灰を被った全然平和感のないトネリコの木イグドラシルが、9つと言われてるが別にどれが9つなのかは誰も知らない広い広い世界に枝を伸ばして全てに繋がっている。
かえすがえすもMCUのロキドラマの結論は本当に素晴らしいものだった。
マルチバースという9つの世界とそれを繋げる生命力の存在…イグドラシル。エッダの世界観に忠実だ。
神アイディア。
スノリははっきりアスガルドはイグドラシルの根っこと言っているが、一般的にはミズガルズの上にあると解釈されてる。
小人がキラキラ星を投げて宇宙が輝いた✨(これは創生であって世界の話じゃないからいらんだろうけど、4人のおっさんが煌びやかなるものを花咲かせて、この世に太陽と月と星々が生まれてる絵面が面白くってさ)
スノリははっきりアスガルドはイグドラシルの根っこと言っているが、一般的にはミズガルズの上にあると解釈されてる。
小人がキラキラ星を投げて宇宙が輝いた✨(これは創生であって世界の話じゃないからいらんだろうけど、4人のおっさんが煌びやかなるものを花咲かせて、この世に太陽と月と星々が生まれてる絵面が面白くってさ)
ソーが昔の美術を元にしてあるのでロキもと思ったものの、ロキの昔の美術は大体縛られて蛇毒に苦しむ姿でなんか裸なので、描き方を間違えると年齢制限がつく感じになりそうで使えなかった。
ソーが昔の美術を元にしてあるのでロキもと思ったものの、ロキの昔の美術は大体縛られて蛇毒に苦しむ姿でなんか裸なので、描き方を間違えると年齢制限がつく感じになりそうで使えなかった。
でも五回くらいは描き直してるせいか、今回はささっと早くいけたぞ。
でも五回くらいは描き直してるせいか、今回はささっと早くいけたぞ。
いや、私、昔、コミックのままにいったら本来は格好悪くてしょうがないはずのスーツが見事にちょっとした工夫で格好良く仕立てられてるので、MCUを見て本当に感動し…考えてみたらそれはキャプ1の時の感動だったな…
いや、でも、記憶と違う…こんなはずでは…
いや、私、昔、コミックのままにいったら本来は格好悪くてしょうがないはずのスーツが見事にちょっとした工夫で格好良く仕立てられてるので、MCUを見て本当に感動し…考えてみたらそれはキャプ1の時の感動だったな…
いや、でも、記憶と違う…こんなはずでは…
ソー1のロキがソーから手を離すとこ。こんなに泣いてない。盛りました。
ソー1のロキがソーから手を離すとこ。こんなに泣いてない。盛りました。
オンイベちょっと行きました。サムバキいつのまにこんなに人気に!ム行く気になった。
オンイベちょっと行きました。サムバキいつのまにこんなに人気に!ム行く気になった。
私、ソー1のWhatever I have done that has led to do this, I’m truly sorryが謝罪のつもりがない謝罪に聞こえてるんだけど、ヘムの演技はそうじゃなかったかもなと今更ながら思い返してる。結局その後ロキの挑発に乗ってソーは手加減してるとはいえロキの話を聞くことはせず殴り合いをやるので台無しだよ!とも思うけど、まあしかし、一作目の時のソーにはそういう思いがあった…のに、その後のソーを描いた監督達はそれを無かったことにしたんだよなあ。
私、ソー1のWhatever I have done that has led to do this, I’m truly sorryが謝罪のつもりがない謝罪に聞こえてるんだけど、ヘムの演技はそうじゃなかったかもなと今更ながら思い返してる。結局その後ロキの挑発に乗ってソーは手加減してるとはいえロキの話を聞くことはせず殴り合いをやるので台無しだよ!とも思うけど、まあしかし、一作目の時のソーにはそういう思いがあった…のに、その後のソーを描いた監督達はそれを無かったことにしたんだよなあ。