鰐郎
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鰐郎
@ymdwnr.bsky.social
お前もポスターにしてやろうか
主権国家が触手を伸ばしてゆく時期の問題はわからないが、18世紀から19世紀前半にかけて、縁切寺のような存在はすでに領主権力に抑圧され、次いでその統制に取り込まれて“合法”化させられるというのが網野善彦の展望ではあるねえ……ヘンスラーのいう「実利主義的段階」にあたるのだろうけど。
ちょっと先行研究を捜してみるか……
November 11, 2025 at 10:08 AM
うわーん!
November 11, 2025 at 3:11 AM
著者から直接聞き取った所感をふまえると、〆は良知力『青きドナウの乱痴気』(平凡社、1985年)とそれに対する小田中直樹の評(『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年)が適切かもしれない
November 6, 2025 at 3:29 PM
高宮和也のようだが
November 6, 2025 at 4:27 AM
“こうして、安保闘争以後、次第に「闘う歴史学」が形成されつつあるとはいえ、それはまだ「分散的」であり、「散発的で」あり、「集中的」とはいえない。それは、目標が統一されておらず、民主的歴史家の戦線が、強化されていないところからきている。歴科協の結成は、「闘う歴史学」の飛躍的発展をもたらすものでなければならない。”

——犬丸義一「現代日本における歴史学の課題」『歴史評論』201、1967年5月、7頁。鉤括弧の付き方は原文ママ。
November 4, 2025 at 11:56 AM
なおこのエッセイの論旨に適合するのはどちらかといえば「教養」にかかわる歴史学の位置づけ (ミルやリースマンやオークショットや広重徹?) であって、史学史ではないような気もする
October 31, 2025 at 6:31 AM
自他共に認める落書きだから肩の力を抜いて読むことだ
史学史を踏まえたものは僕が来年書くよ (書けるものかよ)
October 31, 2025 at 6:24 AM
夜明けが壁に取りついていた

↑何気ない描写が詩的になるのでいい名前だと思う
October 29, 2025 at 9:26 AM
だからこいつを夜明けと名づけようと思う
October 28, 2025 at 6:55 PM
“歴史学研究が時代と社会との関係のうえで成り立つものであるならば,オリジナルとして形成され,見事に帰納された独創的な説明概念といえでも,命脈を保つのは10年ほどではなかろうか。史料から切り取った人びとの姿を,現実社会との緊張のなかからいかに普遍化させるか,この再生産の営みこそが,民衆運動史・民衆思想史研究の“しんどさ”であり“楽しさ”ではないか,ということをわたしは改めて考えさせられた。”

——須田努「書評 高橋実『助郷一揆の研究 近世農民運動史論』」『歴史学研究』792、2004年9月。
October 20, 2025 at 1:32 PM