#カント的全体
PB
ヒノアラシ:H 10 / A 23-24[-] / B 27[-] / C 17[-] / D 0-1[↑] / S 8-9[↓]
ギャラドス:H 5 / A 31[↓] / B 30[↑] / C 27-28[-] / D 24[-] / S 24[-]
無駄トレ1(ハナダジム)
ヒワダ先ライバル
カントー後マチス
その他操作ガバ・迷子

実質初通しのつもり
エリカ・アンズ相手にじたばたでGO MOVEできたのが気持ちよかった
ワタル・レッドを相手する際のHP調整がまだまだ
特にワタルはスピーダーとプラパを間違えたせいで沼ったのが悔しい
全体的に戦闘への理解が浅いのでもう何回か通したい
September 13, 2025 at 4:24 AM
そうだ、一般に極くわずかの人々においてしかカントが生き生きと食い込み、血液および体液を改造しなかったかのように私には思われる。なるほど、この冷静な学者の事業以来すべての精神的領域において革命が勃発した、と到る所に書かれてはいるが、しかし私はそのようなことを信じえない。というのは、
どのような領域であれその全体が革命される以前にまずもって革命されねばならぬものは人間自身であるが、私はこの人間においてそのようなことをはっきりと観察しえないからである。しかしもしもカントが通俗的影響を及ぼし始めたとすれば、我々は直ちにこの影響を、腐蝕し粉々に砕く懐疑主義と相対主義
August 12, 2025 at 5:01 PM
わたしたちの批判の試みの全体から、読者は次のことを確信されたはずである。すなわち形而上学は宗教の土台となることはできないが、つねに宗教を保護する〈壁〉のような役割を維持しているのである。人間の理性はその本性からして弁証論的な方向に進む傾向があるために、
理性を制御し、学問的で、完全に啓発された自己認識によって、道徳と宗教の荒廃を防ぐような学がどうしても不可欠なのである。この学なしでは、法則というものをもたない思索に基づく理性が、道徳と宗教の分野で荒廃をもたらさずにはいられないのである。
(カント『純粋理性批判』998)
June 21, 2024 at 5:00 PM
"平和論としてのカント哲学"

"カント生誕から三百年、いまだアクチュアリティを失わないその永遠平和の思想は現代世界においていかなる意義をもつのか。哲学研究者と平和活動の現場にかかわる著者が、二一世紀の世界を見据え、カントの永遠平和論を論じつつ平和を考える。カント哲学全体を平和論として読み解く可能性をも切り拓く意欲的論文集"

日本カント協会 編 『カントと二一世紀の平和論』
www.jimbunshoin.co.jp/book/b101368...
カントと二一世紀の平和論 - 株式会社 人文書院
日本カント協会 編
www.jimbunshoin.co.jp
June 10, 2025 at 5:29 AM
そうだ、一般に極くわずかの人々においてしかカントが生き生きと食い込み、血液および体液を改造しなかったかのように私には思われる。なるほど、この冷静な学者の事業以来すべての精神的領域において革命が勃発した、と到る所に書かれてはいるが、しかし私はそのようなことを信じえない。というのは、
どのような領域であれその全体が革命される以前にまずもって革命されねばならぬものは人間自身であるが、私はこの人間においてそのようなことをはっきりと観察しえないからである。しかしもしもカントが通俗的影響を及ぼし始めたとすれば、我々は直ちにこの影響を、腐蝕し粉々に砕く懐疑主義と相対主義
April 9, 2024 at 9:01 PM
ポケモンパーク カントーの入場に関する注意事項。
あれ事前に説明してくれてるから親切だと思うんだけど?
だって元々の場所的に全部バリアフリーとか無理でしょ??
文句いっぱいでて大変だなぁって。
私、車椅子・松葉杖・片足全体の装具着けてた人間ですが、本当に最近はある方々の声が大きくて嫌い。
装具着けてたときの健常者の同情もウザくて嫌いだったけど。
心配してますアピールとか本当いや。ってか無関心の方が私にとっては優しさだった。
November 12, 2025 at 12:38 PM
全体的に伝説はカントー推しみたいだしホウオウは次回来てもおかしくない位置ではある
November 12, 2024 at 12:18 PM
哲学初心者は、哲学史を学んでいくのが良い。まずは全体的に哲学を知る。その後、興味ある哲学者を深堀りすると良い。私はニーチェとカントが好き。ニーチェはツァラトゥストラ、カントは純粋理性批判がお勧め。
August 9, 2025 at 5:33 AM
これ ま、私は違いますけどねって上から目線に見えるんだが……まあその通りではあるけど賢さとは関係なくて、私はとにかく誰かの言うことを聞きたくなくて自分で決めたいっていう強自我人間だからっていう そういう観点
カントの言う自律的自由とかパルカスの言う考える葦とかにあるように、割と自己や理性、考えることに重きを置きたいタイプではあって、自分が生きる心がけとしてはこのままでもいいと思うけど、社会全体を捉える時これから先どんどんズレていくんだろうなって怖さはある。自分で何かを感じて考えて意見を持つ必要ってある?ってスタンスの方が多数派になった時を想像すると、つまんなすぎて狂いそう
April 18, 2025 at 10:29 AM
ボクは頭が悪いのでネットの力を借りれば、

哲学的に言うと、ジョン・ロールズの「正義の理論」やカントの「定言命法」では、他者を手段ではなく目的として扱うべきであり、報復的な差別はこれに反します。一方で、功利主義の観点では、全体の幸福を最大化するために差別を避けるのが合理的です。

らしいよ。
September 14, 2025 at 11:03 AM
そうだ、一般に極くわずかの人々においてしかカントが生き生きと食い込み、血液および体液を改造しなかったかのように私には思われる。なるほど、この冷静な学者の事業以来すべての精神的領域において革命が勃発した、と到る所に書かれてはいるが、しかし私はそのようなことを信じえない。というのは、
どのような領域であれその全体が革命される以前にまずもって革命されねばならぬものは人間自身であるが、私はこの人間においてそのようなことをはっきりと観察しえないからである。しかしもしもカントが通俗的影響を及ぼし始めたとすれば、我々は直ちにこの影響を、腐蝕し粉々に砕く懐疑主義と相対主義
March 8, 2025 at 7:01 AM
2401.09514
私たちは、宇宙における生命の出現が予期され、その常に創造的でオープンエンドな進化がいかなる法則にも縛られないという観点から、生命の新しい定義を提案する。生物は、触媒的閉鎖、制約的閉鎖、空間的閉鎖を達成するカント的全体である。我々はここで初めて、自己触媒集合と隣接可能性の理論という、確立...
January 24, 2024 at 12:07 AM
【8月予定】日本カント協会編『カントと二一世紀の平和論』(四六判276頁)哲学研究者と平和活動の現場にかかわる著者が、二一世紀の世界を見据え、カントの永遠平和論を論じつつ平和を考える。カント哲学全体を平和論として読み解く可能性をも切り拓く意欲的論文集。
www.jimbunshoin.co.jp/book/b101368...
June 10, 2025 at 2:42 AM
ドゥルーズは、全体のノリはやっぱスピノザ的な人に見えるな。たしかカント読解の本に関して「敵について書く」とか言ってた気がする。スピノザは去勢のない世界
October 27, 2024 at 11:47 PM
一方、「暴力装置なき倫理など無意味! 国家こそ法と人倫の守り手なり」として、カントの考えを嘲笑し国家の都合を優先させる立場もある(柄谷行人の言葉では「ヘーゲル主義」)。

イラク戦争を仕掛け、イスラエルのガザ虐殺を支持したアメリカはこっち。入管で外国人の人権を蹂躙する日本政府もこっち。ロシア、中国もこっち。グローバルサウスはそのような国々を冷ややかに見ている。

わたしたちの世界には、感情や利害に左右されない普遍的な倫理が必要だ。まず人権の思想をより堅牢にし、人類全体で共有しなければ、今よりまずいことになる。

なので「人権とカント倫理学を取り込んだ新たな啓蒙が必要である」と考えています。
February 7, 2024 at 10:35 PM
まとめ

カントの『永遠平和のために』の問題点

1.葛藤の不可避性を無視
・社会に内在する葛藤やトラブルがゼロになるという非現実的な前提

2.葛藤の破局性を軽視
・小さな摩擦や葛藤が累積して破局を生むダイナミクスを無視

3.人間社会の動的性質を捉えていない
・社会を静的な秩序とみなし、変化や適応の必要性を見落としている

4.柔軟性と適応力への視点欠如
・法や制度ではなく、社会の柔軟性が葛藤を抑える鍵であるという視点が欠けている

5.法や制度の限界を無視
・法や制度が社会全体の葛藤を完全に抑制できるという過信
December 23, 2024 at 1:25 AM
『トッパクロ』のためにルソーとカントの本を集中的に読んでるのですが、
全体のうちの何%理解できてるかとなるとマイナス金利状態です。

でも、端々のワードにものすごく刺激を受けてまして、それだけでも読む価値あるなと思ってます。
July 27, 2025 at 12:13 AM
わたしたちの批判の試みの全体から、読者は次のことを確信されたはずである。すなわち形而上学は宗教の土台となることはできないが、つねに宗教を保護する〈壁〉のような役割を維持しているのである。人間の理性はその本性からして弁証論的な方向に進む傾向があるために、
理性を制御し、学問的で、完全に啓発された自己認識によって、道徳と宗教の荒廃を防ぐような学がどうしても不可欠なのである。この学なしでは、法則というものをもたない思索に基づく理性が、道徳と宗教の分野で荒廃をもたらさずにはいられないのである。
(カント『純粋理性批判』998)
November 25, 2024 at 1:00 AM
その物質のさまざまな部分を調達し、結合する際の理性的な原因の原因性は、この原因性によって可能となる全体についての理性的な原因の理念によって規定されているのであり、この事物の外にある自然によって規定されているのではないのである。
(カント『判断力批判』426)
May 27, 2024 at 1:00 AM
わたしたちの批判の試みの全体から、読者は次のことを確信されたはずである。すなわち形而上学は宗教の土台となることはできないが、つねに宗教を保護する〈壁〉のような役割を維持しているのである。人間の理性はその本性からして弁証論的な方向に進む傾向があるために、
理性を制御し、学問的で、完全に啓発された自己認識によって、道徳と宗教の荒廃を防ぐような学がどうしても不可欠なのである。この学なしでは、法則というものをもたない思索に基づく理性が、道徳と宗教の分野で荒廃をもたらさずにはいられないのである。
(カント『純粋理性批判』998)
April 7, 2025 at 5:00 PM
人権宣言集読みながら改めて思ったが、根源的なものは証明でなく宣言するしかないのかな。カントの感性と純粋悟性概念のところでも、ハイデガーの著作全体における存在の取り扱いも、あるいは単に愛の証明についても。
そうならば、より根源的なものを追求する人は最終的にでかい声で叫ぶしかなくなるぞ
May 25, 2025 at 12:56 PM
わたしたちの批判の試みの全体から、読者は次のことを確信されたはずである。すなわち形而上学は宗教の土台となることはできないが、つねに宗教を保護する〈壁〉のような役割を維持しているのである。人間の理性はその本性からして弁証論的な方向に進む傾向があるために、
理性を制御し、学問的で、完全に啓発された自己認識によって、道徳と宗教の荒廃を防ぐような学がどうしても不可欠なのである。この学なしでは、法則というものをもたない思索に基づく理性が、道徳と宗教の分野で荒廃をもたらさずにはいられないのである。
(カント『純粋理性批判』998)
March 1, 2024 at 9:00 AM