講演者:竹花洋佑先生(福岡大学准教授)
題目:⽥辺元の「種の論理」はどのような意味で「論理」であるのか?
日時:11月15日(土)16:00
場所:京都大学文学部第1講義室/Zoom
以下のURLから11月13日(木)までに参加登録をお願いします。
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廖欽彬, 張政遠, 福家崇洋 編著 『甦る田辺哲学 田辺元生誕140周年記念論集』
www.h-up.com/books/isbn97...
廖欽彬, 張政遠, 福家崇洋 編著 『甦る田辺哲学 田辺元生誕140周年記念論集』
www.h-up.com/books/isbn97...
peatix.com/event/4587675
京都大学大学院人間・環境学研究科
www.h.kyoto-u.ac.jp/link_gr/
という梁山泊と「ライフハック」という市場が生み出した、令和の「京都学派」と受けとめました。
ブックガイド:〈京大発〉専門分野の越え方
www.nakanishiya.co.jp/book/b623204...
peatix.com/event/4587675
京都大学大学院人間・環境学研究科
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という梁山泊と「ライフハック」という市場が生み出した、令和の「京都学派」と受けとめました。
ブックガイド:〈京大発〉専門分野の越え方
www.nakanishiya.co.jp/book/b623204...
"西洋文化を旺盛に摂取しつつ繁栄を遂げてきた近代日本は、昭和期に入ると急速に「日本回帰」へと旋回する。そのうねりのなかで文学者や思想家たちもまた、ときにそうした運動の主導者となっていった。和辻による日本古典美の称揚、保田らの「日本浪曼派」、北原白秋や斎藤茂吉の戦争詩歌、そして三木の東亜協同体論や京都学派の「世界史の哲学」――。戦後タブー視されがちであったこれらの作品を、当時の時代状況や彼らの内的論理に注目しつつ読み解き、「日本的なもの」の核心に迫る意欲作。"
付与コイン50%還元セール(10月15日まで
"西洋文化を旺盛に摂取しつつ繁栄を遂げてきた近代日本は、昭和期に入ると急速に「日本回帰」へと旋回する。そのうねりのなかで文学者や思想家たちもまた、ときにそうした運動の主導者となっていった。和辻による日本古典美の称揚、保田らの「日本浪曼派」、北原白秋や斎藤茂吉の戦争詩歌、そして三木の東亜協同体論や京都学派の「世界史の哲学」――。戦後タブー視されがちであったこれらの作品を、当時の時代状況や彼らの内的論理に注目しつつ読み解き、「日本的なもの」の核心に迫る意欲作。"
付与コイン50%還元セール(10月15日まで
当時大学は三年制だった。したがって西谷は一から哲学を学びながら、二年一〇ヶ月後には卒業論文を仕上げたことになる。哲学に関する知識はなかったものの、東西の文学的・宗教的著作について深い素養があった他、英独仏などの外国語に堪能だったことが土台となって哲学の学習を支えたのであろう。たとえそうだとしても、卒業論文のレベルは尋常ではなく、三年あれば哲学者は出来上がるものなのかと、私などはいつまでも驚きを禁じえない。/前掲書
当時大学は三年制だった。したがって西谷は一から哲学を学びながら、二年一〇ヶ月後には卒業論文を仕上げたことになる。哲学に関する知識はなかったものの、東西の文学的・宗教的著作について深い素養があった他、英独仏などの外国語に堪能だったことが土台となって哲学の学習を支えたのであろう。たとえそうだとしても、卒業論文のレベルは尋常ではなく、三年あれば哲学者は出来上がるものなのかと、私などはいつまでも驚きを禁じえない。/前掲書
Amazonには絶対ない、日本の古本屋ぐらいでしか売ってない本や資料というのはままあり、どこの大学図書館にもなかったクロソウスキー『わが隣人サド』の1949年フランス語原書初版(20年後の再版とは内容が大きく異なる)や、国会図書館にもない小島威彦『百年目にあけた玉手箱』全巻揃い(戦前戦中にスメラ学塾という謎の人脈をもち、戦後も暗躍してた京都学派の哲学者の自伝)などを手に入れたが、今いちばんアツいのはこれかも知れないな 山本義隆のアジ演説が聴けるソノシート
Amazonには絶対ない、日本の古本屋ぐらいでしか売ってない本や資料というのはままあり、どこの大学図書館にもなかったクロソウスキー『わが隣人サド』の1949年フランス語原書初版(20年後の再版とは内容が大きく異なる)や、国会図書館にもない小島威彦『百年目にあけた玉手箱』全巻揃い(戦前戦中にスメラ学塾という謎の人脈をもち、戦後も暗躍してた京都学派の哲学者の自伝)などを手に入れたが、今いちばんアツいのはこれかも知れないな 山本義隆のアジ演説が聴けるソノシート
近代の超克論 京都学派出版部
近代の超克論 京都学派出版部
わたしは家がこれだし、信仰なしの哲学はほぼ不可能だと思ってる。特にスピノザなんて論理武装して神の存在証明とかやってるガチおじさんだし、だからなおさらハマらないんじゃないかな〜
京都学派とかは興味ない?和辻とか西田あたりが世界と個の話をよくしてるよ(˘ᴥ˘ )
わたしは家がこれだし、信仰なしの哲学はほぼ不可能だと思ってる。特にスピノザなんて論理武装して神の存在証明とかやってるガチおじさんだし、だからなおさらハマらないんじゃないかな〜
京都学派とかは興味ない?和辻とか西田あたりが世界と個の話をよくしてるよ(˘ᴥ˘ )
阪大や東大には師事したい文学の先生がいるのだがしかし、京大にはいない。
それでも私は京大を選ぶことにした。
何故なら、まず京都学派で思想的土台を作ってから文学批評に入りたいと考えたからだ。
共テが評論から小説の順番であるのと同じである。
第一志望は、京都大学文学部哲学科。それを再確認した。
阪大や東大には師事したい文学の先生がいるのだがしかし、京大にはいない。
それでも私は京大を選ぶことにした。
何故なら、まず京都学派で思想的土台を作ってから文学批評に入りたいと考えたからだ。
共テが評論から小説の順番であるのと同じである。
第一志望は、京都大学文学部哲学科。それを再確認した。
近代文学をやりたいんだったら大阪(京都の国文学は伝統的に古典寄りなため)
近代文学をやりたいんだったら大阪(京都の国文学は伝統的に古典寄りなため)
だいぶ雑な理解だが、「近代の超克」自体がマルクス主義の影響を受けて、それが戦時中の体制と折り合いをつけた結果生まれたようなものだから(多分?)、そんなに無理な話ではないだろう
……あまりにも雑なのでちゃんと詰めます
ちゃんと分かってないけど、京都学派は何かの突破口になりえたんじゃないかと思うんだ
だいぶ雑な理解だが、「近代の超克」自体がマルクス主義の影響を受けて、それが戦時中の体制と折り合いをつけた結果生まれたようなものだから(多分?)、そんなに無理な話ではないだろう
……あまりにも雑なのでちゃんと詰めます
ちゃんと分かってないけど、京都学派は何かの突破口になりえたんじゃないかと思うんだ
そう見えるかもしれないが、予測的処理のような現代のAI的な知見と繋げてアップデートしたうえで、あくまでの意識の理論として作り上げているところが「行為する意識」という本の特色。
この本のパンチラインである「差異を消費する」というフレーズも、現代思想的な観点からは決して目新しいものではない。それをちゃんと現代の神経科学の水準に接続しているところに「行為する意識」の強みがある。(というかそこがこの本で、自分がいちばん労力をかけたところ。)
そう見えるかもしれないが、予測的処理のような現代のAI的な知見と繋げてアップデートしたうえで、あくまでの意識の理論として作り上げているところが「行為する意識」という本の特色。
この本のパンチラインである「差異を消費する」というフレーズも、現代思想的な観点からは決して目新しいものではない。それをちゃんと現代の神経科学の水準に接続しているところに「行為する意識」の強みがある。(というかそこがこの本で、自分がいちばん労力をかけたところ。)
「行為する意識」についてむりやり配置すると、宮台のシステム論の親戚に見えるし、身体性の強調や田邊元への言及とかから京都学派の子孫に見えてしまうかもしれない。
つかいわゆる「思想」はポモ(というかドゥルーズ)が前提なので、もうそこで諦めてる。来世に読む。
「行為する意識」についてむりやり配置すると、宮台のシステム論の親戚に見えるし、身体性の強調や田邊元への言及とかから京都学派の子孫に見えてしまうかもしれない。
つかいわゆる「思想」はポモ(というかドゥルーズ)が前提なので、もうそこで諦めてる。来世に読む。
冷静に、未来の日本の指針を考えるため、近衛文麿らの総力戦体制論、石原莞爾、大川周明らの超国家主義や京都学派「近代の超克」論など、先人たちの思考をもう一度、丁寧に読み直す。
冷静に、未来の日本の指針を考えるため、近衛文麿らの総力戦体制論、石原莞爾、大川周明らの超国家主義や京都学派「近代の超克」論など、先人たちの思考をもう一度、丁寧に読み直す。