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燗酒好き。ドラマ好き。アイコンは神田まつやの鍋焼きうどんです。ここのアカウントには、主に朝ドラと読んだ本のことについて投稿してます。フォローもフォロー解除もお気軽に、です。
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そういう、トキの淡いこころの要素と、「父」「母」という愛情と、「イエ」の問題が重なっている。
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脚長おじさん的なニュアンスも感じる「おじ様」
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トキにとっての「おじ様」、父的な大きな存在と、恋ともつかない淡い憧れとの重なりにあるのだろうなぁ、と思った回でもあった。

清光院と松風の怪談、「怪談って寂しいもの」
傳さんと銀二郎さんと、何故繰り返されるのだろう。と思っていたけれど、トキにとってのときめきの様なもの、が重なっているのだとしたら。

#ばけばけ
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で、定信の旧里帰農令の対象者には、まさに昼間に(ばけばけの文脈で)書いていたような、農村の二男三男も大いに含まれると思うのだけれど、、
奉公に出されたり奉公先でうまくいかなかったり、出奔したり。いずれにせよ、不景気で食えなくなっている「旧里」に、帰る場所なんて無い、というような人々を、呑み込むのが都市の「悪所」なのだろう、なんてことも思った。
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「部屋住み」
(江戸時代の部屋住み、の項目が、この時代の次三男についての記述)

「無役の閑人」と書いたのは岡本綺堂だったのか。
「大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見ればすこぶる呑気らしい、また一面から見れば頗る悲惨な境遇に置かれていた。」
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%...
部屋住み - Wikipedia
ja.wikipedia.org
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おていさんを観ていて、「新之助の儀」についても思い出した。
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#大河べらぼう

蔦重は、「実際に会った人」にしか情けをかけないから…と思っていたところ(感想として書いてもいた)、定信との対面が実現し、驚く。とても印象的なシーンだった。

しかし口八丁の蔦重と、倫理の定信は平行線。
(狂歌における)「白河」と「田沼」は本当に二項対立なのか?実際には、その流れの入り混じるところがあるはずで、魚はそこを行き来しているのではないか。

おていさんの、論語による矛盾の指摘は、そういう永遠に交わらない二項対立を、縦に斬るようなものにも感じた。
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#大河べらぼう 前半まで観たところ。

やっぱり、定信と直接会おうとする蔦重が描写されるが興味深い。(先週の回の感想で、蔦重の危なっかしさについて以下の投稿のように書いていた。)

蔦重にとって、「世界」は知っている人たちで構成されたもの。それ以外は、対岸なのだと思う。(それは「民」=黄表紙の読者層、の持つ「世界」観と同じなのではないか。)

一方で、須原屋が地球儀を回しながら語る「世界」も、源内が観ていた「世界」も、それは蔦重の想定を遥かに超えるものである。そして、源内的意味合いの「世界」が、蝦夷の文脈に繋がってゆくわけだな。
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蔦重が不安定で危なっかしいのは、この「欲求」についての線引きができてないからだろうなぁ、と。

一方で「欲求」を大いに肯定するわけだけど、それを挫く対岸の他者の存在があり、それについては激昂し行動しようとする。
どこからが対岸で、どこからがこちら側なのか、というのは、突きつめると「情」があるか否か、ではないのか。(「情」をかける相手は、蔦重が実際に会ったことがある人、というのが、この物語においてはあるような気がする)

でも、それは封建社会下の町人の限界でもあると同時に思う。蔦重は主人公だけれど、「正義のヒーロー」にはなり得ない。うまいバランスなのだろうな、とも思う。

#大河べらぼう
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出身地の話よりも、旅行先の話を聞くのが好きなのは、酒場ならではだと思います。根本を知り合いたいのではなく、表層で重なり合うものを瞬間共有できたら良い。酒場というのはそういうバランスの場所で、それこそが尊いのだと思うので。
(SNSは真逆で、現実を全く知らない人と根本の言葉で共鳴し合えるのがすごいと思う。どちらも上手く使うのが良いと思う。)
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<雑記>
実家の父が、ダイニングテーブルの横の新聞に重ねて、私たちが子供の頃使ってた地図帳を置いていて、話の流れやテレビの映像に合わせてパラパラ開いては、「ここかぁ。こんなところだよ」と見せてくれたのだけど、最近やっと地図を見る楽しさを覚えた私は、お店にも地図帳置いておこうかな、とふとそれを思い出したのだった。

地理からわかることってとてもあるんだなー、とこの歳になって改めて知ったのです。お客さんの話の中では、旅行に行った話を聞くのが好きなのだけど、地理を知るとより解像度が上がって楽しく話を聞ける気がする。
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それはそうと、二男の死と養子に出されたトキと、何か関係があるのかな。とただの勘で書くのですが。現実的な話じゃなくて、何か別の力(呪いとかそういう類の)がもたらす不幸を引き離すような行為としてあったのでは、という可能性についても、ただの勘で書いておく。
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「部屋住み」
(江戸時代の部屋住み、の項目が、この時代の次三男についての記述)

「無役の閑人」と書いたのは岡本綺堂だったのか。
「大小を横たえた一人前の男がなんの仕事もなしに日を暮らしているという、一面から見ればすこぶる呑気らしい、また一面から見れば頗る悲惨な境遇に置かれていた。」
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部屋住み - Wikipedia
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二男・三男(家督を継がない者)の境遇の悲惨さ(人権のなさとも言ってしまえそうな)は、私は「雨月物語」から知りました。べらぼうの新之助も御家人の三男だったのでどこか連想させて見ていた。豊雄も新之助も、「イエ」から出た者。

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#大河べらぼう 9話

「吉原の恋の地獄」の全てが詰まっていたな…凄いわ

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この説得力を下支えするのは、個人的にはやはり新之助だと思う。

「御家人の三男」という設定なのだよね。この時代の「長男でない者」たちの浮遊感については色々な文献で読んだ。
(そういえば、上田秋成「雨月物語」の「蛇性の淫」の主人公・豊雄も三男。こちらは漁師の家だけれど)

加えて、刀を構えるも切ることはできず、切腹もできない、「もはや闘うことのない」武士身分の子、なのだよな。

「不甲斐なさ」の背景には、社会秩序の大義名分とズレてゆく現実の社会があるのだろう。爛熟する"徳川の平和"という社会。
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トキの独特の無神経さは、彼女の苦境ゆえで、松野家の笑いの底に流れるものだよなぁと再確認する。

苦しさや恨めしさ。恐ろしさを相対化するように怪談を求めるトキと
恨めしい気持ちに自分の感情を重ねる(「怪談って寂しいもの」という言葉)銀次郎とは、同じ怪談好きとは言え、見ているものが全然違うのだろうなぁ。なんてことも思う。

#ばけばけ
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→キャラ造詣において、確かに「うっすら馬鹿に」してる側面もあるのだろうけれど、それを他者としてでなく、自己として引き受けているような感じなのだろうな、と思った。人の痛さを笑う、じゃなくて、自分の痛さとして、それを引っくるめて物語を切り拓いてゆく面白さというか。

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コントにおける女性が、客体でなく主体となる。
ということが、少なくとも大会を観ていた私には、文脈として欠如していたのだな、と思い至り、すこしびっくりもした。
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遅ればせながら、 #キングオブコント 録画で観ました。面白かった〜!密かに応援し続けているロコディ優勝も嬉しかったです。めでたい👏

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レインボーの「女芸人」だけ、実はどう受け取ったらよいのかわからず(カーネーション吉田さんを余り知らなかったのもあり)、「馬鹿にしてる」という受け取り方で良いのか…?と考えを巡らせていたのだけど、

レインボーにおける「女性」って、コント的客体ではなくて、物語の主体なのではないかと思い至った。

物語の視点はジャンボ演じる男性にあるが、実は彼は狂言回しで、池田演じる女性が、「見られる」キャラに見せて、実は物語の主体なのではないか。→
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遅ればせながら、 #キングオブコント 録画で観ました。面白かった〜!密かに応援し続けているロコディ優勝も嬉しかったです。めでたい👏

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レインボーの「女芸人」だけ、実はどう受け取ったらよいのかわからず(カーネーション吉田さんを余り知らなかったのもあり)、「馬鹿にしてる」という受け取り方で良いのか…?と考えを巡らせていたのだけど、

レインボーにおける「女性」って、コント的客体ではなくて、物語の主体なのではないかと思い至った。

物語の視点はジャンボ演じる男性にあるが、実は彼は狂言回しで、池田演じる女性が、「見られる」キャラに見せて、実は物語の主体なのではないか。→
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これ観に行きたい。来年2月までなのでどこかで絶対行く!

www.takashimaya.co.jp/shiryokan/to...
www.takashimaya.co.jp
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録画してた #NHKスペシャル 「大阪激流伝」観た。良かった。

大阪の町工場と戦後史。「シミひとつない人間やないと、戦争に反対したらあかんのかいな」という言葉が響く。
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noteもフォローさせて頂いた…

作者と絵師と版元の細かい関係性や、作品ひとつひとつの詳細な解説があるの、ほんとに有り難い🙏きちんと一回分が文章化されているのも有り難い。細切れの投稿だと、見えないものもたくさんあるので。
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細やかな解説と鑑賞…ドラマの理解が深まりました。改めて、「原点に戻る」(ドラマのスタートに戻る様々な要素)回だったのだなぁと実感。
素晴らしい文章を、ありがとうございました!
neokontora.bsky.social
#大河べらぼう 第38回 #地本問屋仲間事之始
「原点に戻る」をキーワードに、蔦重と出版業界の一致団結、蔦重と京伝との対立と和解について、これまでの数々の人の縁を振り返りながら、noteにて考察しました。歌麿ときよについても割いています。見方の一つとして、皆さまの楽しみの一助となれば嬉しいです。
note.com/tender_bee49...
#べらぼう
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先週の冒頭シーンで、おきよさんが蔦重をポカポカ殴ったことを再び思い出す。もはや「社会的権力」となった蔦重、という、意味を重ねて見てしまう。

大河べらぼう
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おきよさんの孤独へも、歌麿は共鳴したのではないかとも思う。絵師という職業、絵を売るということ、商売、経済…蔦重の側から離れ、自分の内側を見つめ直し、上記のような「複合」の賑やかさ/猥雑さ から距離を置いた歌麿が、社会の隅で静かに生きるおきよさんに出会う意味を思う。→
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一方、聴覚障害のあるおきよさんは、本書における「身分的周縁」にあると思うけれど、同じ境遇の人々で共同組織を作るということはあったのだろうか。(視覚障害のある人々の当道座(女性は瞽女の組織)は、思い浮かぶけれど)

識字率について頭を巡らせると、聞こえない・喋れない、コミュニケーションを取りづらい、というのはとてつもなく大変なことであると思われる。
歌麿がおきよさんを紹介するときに、「親と死に別れて」と言っていたと思う。助け合う組織もなく、たった一人で生きてゆくことは本当に困難なことであったであろう。
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おきよさんの孤独へも、歌麿は共鳴したのではないかとも思う。絵師という職業、絵を売るということ、商売、経済…蔦重の側から離れ、自分の内側を見つめ直し、上記のような「複合」の賑やかさ/猥雑さ から距離を置いた歌麿が、社会の隅で静かに生きるおきよさんに出会う意味を思う。→
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一方、聴覚障害のあるおきよさんは、本書における「身分的周縁」にあると思うけれど、同じ境遇の人々で共同組織を作るということはあったのだろうか。(視覚障害のある人々の当道座(女性は瞽女の組織)は、思い浮かぶけれど)

識字率について頭を巡らせると、聞こえない・喋れない、コミュニケーションを取りづらい、というのはとてつもなく大変なことであると思われる。
歌麿がおきよさんを紹介するときに、「親と死に別れて」と言っていたと思う。助け合う組織もなく、たった一人で生きてゆくことは本当に困難なことであったであろう。
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一方、聴覚障害のあるおきよさんは、本書における「身分的周縁」にあると思うけれど、同じ境遇の人々で共同組織を作るということはあったのだろうか。(視覚障害のある人々の当道座(女性は瞽女の組織)は、思い浮かぶけれど)

識字率について頭を巡らせると、聞こえない・喋れない、コミュニケーションを取りづらい、というのはとてつもなく大変なことであると思われる。
歌麿がおきよさんを紹介するときに、「親と死に別れて」と言っていたと思う。助け合う組織もなく、たった一人で生きてゆくことは本当に困難なことであったであろう。
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最近「おんな城主直虎」観たのですが、蔦重という人物、直虎における方久のように描かれたらよりわかりやすそう…とも思ったりした。

しかし、べらぼうの蔦重は、上記のような「複合」(活発で自由な経済活動)の社会が作る文化の大肯定者、として在るのだろう。

定信の説く道徳を、「重層」(近世以来の村や町)のガッシリした秩序に戻るべし、という面で捉えると、よりわかりやすい二項対立になるような気もする。
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→「重層」を担う、近世以来の「村や町」は、それこそ身分、とも言えそうなガッチリとしたものに思われる。

「複合」を担う、商業的な共同組織は、社会が安定し成熟したこと、重商主義的政策に展開してゆく流れのなかで活発化してゆく。本書の中には、豪商・三井越後屋が次々と「町」の中の屋敷を買い上げてゆく様が書かれているが、蔦重が日本橋の丸屋の屋敷と株を買って耕書堂を立ち上げる流れも、まさに同じことだ。
(三井が受けた嫌がらせについても、本書には言及されていた)
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→「重層」を担う、近世以来の「村や町」は、それこそ身分、とも言えそうなガッチリとしたものに思われる。

「複合」を担う、商業的な共同組織は、社会が安定し成熟したこと、重商主義的政策に展開してゆく流れのなかで活発化してゆく。本書の中には、豪商・三井越後屋が次々と「町」の中の屋敷を買い上げてゆく様が書かれているが、蔦重が日本橋の丸屋の屋敷と株を買って耕書堂を立ち上げる流れも、まさに同じことだ。
(三井が受けた嫌がらせについても、本書には言及されていた)
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#大河べらぼう
この「重層と複合」(村や町という縦、仲間といった共同組織の横)の意識をしっかりと持ちつつ観る必要があるのではないかなぁ、と本書を読んで改めて思う。

蔦重にとっては、吉原という「町」から始まり日本橋通油町という「町」、そして、地本問屋仲間という「共同組織」である。→
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読了。

「十八世紀の民間社会は、近世初頭以来の村や町を基礎としながらも、都市や在地社会に及ぶ多様な小経営の共同組織をともなって形成されてゆく。十八世紀の全過程は、こうした共同組織が、村や町を基礎に「重層と複合」の構造を作り上げていった時期として位置づけられることができ、これが「成熟」の基本的な内容をなすのである。」

しかしその中には「民間社会の中にあって、小経営とは異質な大規模な経営体とな」っていった「社会的権力」と

「小経営の基盤となる民衆的な所有から疎外され」「異質な所有対象をもつ状態に置かれた」「身分的周縁」の人々との問題が同時にある。(括弧内は「成熟する江戸」より引用)