増田聡
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その辺によくいるタイプの量産型の人文系周縁学者。右翼です。酒と凧揚げと温泉とうどんと競馬とスケボーが好き。Twitter: @smasuda
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研究室に同僚のK先生が訪れた。深刻な顔で「増田先生に折り入ってご相談が」と仰る。この近辺で研究会の後に好適な飲み屋を教えて欲しいとのこと。人数曜日などを伺い某店を推薦する。森之宮移転を目して数年前より行ってきた入念な調査が本研究科の研究活動に役立って大変に嬉しい。業績にはならない
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「ワークライフバランスを捨てる」というとき、なぜオレたちは反射的に「ライフよりワークを優先する」という意味で理解してしまうのだろうか。「ワークよりライフを優先する」という意味も語義上あり得るのにそう取らない。つまりワークライフバランス概念とは語義と異なり後者を実質的に意味している

逆に言えば、ワークライフバランス概念がそのように理解されるということは、「われわれにはワークが必須であるがライフは必須ではない」というイデオロギーにわれわれの社会が囚われていることを意味する。ワークライフバランスとかカッコつけて言わんと「生活優先」でええやん。個人的にはそう思う
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官僚主義とは責任転嫁のためのイデオロギーです。「自分が責任を負う」と言いたくない組織内の個人が易きに流れるときそれは濫用される。大学が官僚主義的に流れているのは一人一人の構成員が「どうあるべきか」ではなく責任転嫁のイデオロギーに少しずつ身を任せている帰結です。つまり勇気が足りない
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♪京橋はええとこだっせ/グランシャトーでは今は呑めんけど他にうまい酒呑める店が山のようにおまっせ 字余り
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最初は渋谷陽一の追悼記事を依頼されたのだが、私ごときが追悼文など畏れ多くて(またキャンパス引越しの真っ最中だったこともあって)コメントにしてもらったんですが、改めて渋谷陽一の本を読み返すと、自分自身のロック認識が彼に形作られていることを痛感しましたねえ。

『ロックミュージック進化論』読み返してて、アル・クーパー(彼のフェイバリットミュージシャンの一人)についてなかなか良いこと言ってるなあ、とか思ったのだが、よく考えるとオレが高校生の時にこれ読んで染み込んでるの忘れてるんやね(笑)ま団塊ジュニアの標準的ロック観は直接間接を問わず彼にいろんなものを負っている。ご冥福をお祈りいたします
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記事にならなかったけど話したこと。よく言われるが渋谷陽一と(その仮想敵だった)中村とうようはいずれも吉本隆明の影響下にロック批評を展開したが、中村とうようがいわば前期吉本(大衆の原像)だったとしたら、後期吉本(資本主義文化の解放的側面の評価)に対応するのが渋谷だったのではないか。
いずれも賛否両論毀誉褒貶ある音楽批評家だが、日本のポピュラー音楽批評史に大きな足跡を残していることは間違いない。それを吉本隆明の思想的変遷と対応させて読み返すのが、戦後日本の大衆文化思想や英米音楽文化の移入史を考える上で重要なんじゃないすか、といったヨタ話をした
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有料記事がプレゼントされました!9月12日 14:22まで全文お読みいただけます
ロックとの「出会いの場」作り続けた 関係者が見た渋谷陽一さん:朝日新聞 digital.asahi.com/articles/AST... 5日の夕刊掲載記事を増補した記事です。関係者ではないんですが少しコメントしてます
ロックとの「出会いの場」作り続けた 関係者が見た渋谷陽一さん:朝日新聞
1972年に洋楽雑誌「ロッキング・オン」を創刊した音楽評論家の渋谷陽一さんが7月14日、74歳で死去した。編集者やラジオDJ、大型ロックフェスティバルのプロデューサーなどとして多方面で活躍するなかで…
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昨日大学で仕事してたら「増田さんの携帯ですか?大阪府警の〇〇と申します。今お時間ありますか?」と電話があった。オレにも詐欺電話がかかるようになったかと喜んで応対して、小一時間ほど時間いただきたいとしつこく言うので「ご用件を伺えますか?」と尋ねたら切れてしまった。再トライ待ってます。

まあ携帯番号と名前を把握して、警察から電話ですゆうたらビビって信じるやろ的なあまり練れてない詐欺だったんだろうけど、こういうの増えてるんだろうねえ。みなさんもお気をつけください
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今日最後の教授会がありましてそれでしまいや。まあ9月の集中講義とかは杉本で行われますが、皆様におかれましてはハム大文学部は森之宮に移転してしまいましたとご認識くださいましたら幸い
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9月1日をもって本学文学研究科表現文化学教室にエスカンド・ジェシ先生が着任されました!今日はエスカンドさんへ新キャンパス案内したあと(うちの教室では通常まず行かないような)高級な小料理屋で歓迎会だよ!いやーしみじみうまかった…「うまかった」以外の感想を奪われるくらい言語化不能…エスカンドさんについてはご存知ない方はリサーチマップなどで調べてくれましたら了解のとおりの一目瞭然のベリーベリーファンキーグレートなものすごいすげえ若手研究者なので2025年後期はキャンパス移転と合わせて本教室ぶっちぎりますよ!って感じ!いやー京橋は酒うまいぜえ最高
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9月のbluesky!(棒)感覚がバグって33℃くらいだと「今日は涼しいな」と感じてしまう今年の秋の初日です
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7月末から8月いっぱい新キャンパス引越しで連日労働しており他のことはほぼ何もできなかった。本日で一通りの〆!新研究室景色は雄大だし本棚の書籍LPCDの諸々資料は学生諸氏の奮闘により体系的に並び変わりました。新研究室で生まれ変わった気分でバリバリ研究したいです!希望!みんな遊びきてね!
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西洋で地球温暖化への対策が盛んに論議され激しい政治対立にまで至る一方で、日本などでは「猛暑ですねえ」とか言いつつ今一つ議論が生ぬるいのは、自然環境は操作する対象か人為の及ばない所与かという自然観の相違があるんやろな、と東洋西洋の違いの凡庸な文化論しか頭に浮かばないくらい毎日暑い
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研究室お引越し。やればできるオレです
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せっかく大学という賢くなるための機関に入ったんやから、学生さんには世間に従う賢さを競うんやなくて、だからといって世間を出し抜く賢さを競うのでもなく、世間を変える賢さを競って欲しいよなと思うことがしばしばある。そういう知性の構えにまで到達するように手助けするのが教員の仕事よなあ
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しかし今年はセミの声がほんまに聞こえんなー。オレはこの夏研究室引越しなのでクソ暑い中を毎日出勤し大量のゴミと戦ってる日々である。セミくん!頼むよ応援してよ!
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世論調査は民意ではないよ。そういう基本的なことがわからなくなっている人々が社会の決定権握る立場に立つようになっているのでいろいろなことがおかしくなっている。政治的意思決定は消費者調査とは全く違います。若い人はそれ覚えとき
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「暗い目阪大」…
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今日は3場開催計36レースにモズアスコット産駒が6頭しか出走してないのにそのうち3頭が勝利。1番人気、3番人気、8番人気。夏の季語はモズアスコット、って感じの大活躍やな。明日も狙いたい
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「民意だから従うしかない」という意見を見た。実に怠惰な意見と思う。民意に従うのは政治家の任務であって、主権者たるオレたち国民の任務ではない。おかしいと思う「民意」に働きかけ議論しより良く変えようとする不断の努力が民主主義の本質です。「民意」を言い訳にそれを怠る消費者気分の人は多い
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勝馬投票の時間も終了したので(今日は函館最終で馬連三連複ダブル当選してまあまあの結果であった)そろそろ選挙の投票に行くか…。投票したいのにそれができない友達や知人がこれからも平和に暮らしていけるような方向で投票してきます
Reposted by 増田聡
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昨日、ある党の支持者同士で話しているのを聞いていたら、対立する集団について「人として恥ずかしくないのか。道徳心がないんじゃないのか」というようなことを言っていた。

それを聞いて「たぶんその相手も、あなたたちについて同じように思ってますよ」と思った。もちろん、口には出さなかったけれど。党派的な対立が深まると、他の思想や立場の人たちについて、その考えが全く理解できなくなる。

「常識で考えれば、あんなイカれた思想を支持するはずがない。なのに、あんな主張をするというのは、どこかから何かをもらっているに違いない」という発想になる。そうやって、互いの背後にいるナニカを見つけ出そうと躍起になる。
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でもさ悪いけど推し活ってミクロにはポジティブな側面があっても、マクロには「自身の感性を資本主義に馴致させる自己奴隷化」でしかないよね。その認識持って愛憎半ばで考える姿勢を放棄した手放しの推し活礼賛は無益というか有害ですらある。その認識は大衆文化研究に携わる教員が保つべき倫理です
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今日は終日卒論中間発表・会議・原稿で帰りは門限過ぎ。卒論中間発表は毎年多彩だが「推し」概念が最近の学生のポピュラー文化的問題関心の中核を占めているのだなあとおもう。「概念推し活」という概念を初めて知ったがこれは展開可能性あるなあと感じた。コンセプチュアルアートと似てるよね(笑)