アリサカ・ユキ
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アリサカ・ユキ
@arisakayuki.bsky.social
それなりの年齢です。

加藤諦三先生のご著書をたくさん読むことにより、人生を変えていただきました。自己実現をめざしています。

少し背伸びしたことを書いています。自分の思索と文体を磨きたいためです。なので、まだ、いっていることが、浅かったりするかもしれません。

作家になるためがんばってます。このことはXでも語っています。

⇩翻訳の小説や映画から人の心を考えるブログ

https://a-y-wise-storise.com/
起業家の人たちは、人に役に立つことをする、というのが成功の秘訣の一つという。

大江健三郎さんと江藤淳さんの対談のご本を読んでいる。どちらかといえば知に重きを置く江藤さんのほうが、感性的な(とわたしは感じます)大江さんより納得できることを言う。大江さんの文学のご作品とその姿勢は、いろいろ言われてしまう。しかし、大江さんは、どんなに言われてもまずは、「わたしはそれがいいと思った」といった感じだ。江藤淳さんは、作家はもっと読者や社会のことを考えなければ、と言うのだが。大江さんは、結果そのことに繋がればいいと言う。

わたしが言いたいのは、ビジネスとアートの実際に取り組むときのマインドの違いだ。
December 4, 2025 at 8:26 PM
だれもが、芸術家になる。それは、どんな形であれ生き方が上手い人、というわけではない。それはこの世と折り合いをつけるのでなく、自身の生き方だけでなく、さまざまなことに果てしなく「なぜなのか?」の必要性を持つ人たちのことだ。

本編は、下記リンクよりお読みください。

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生まれたときに忘れてしまったすべてを、おもいだす。|アリサカ・ユキ
ミケランジェロは、こう言ったらしい。 最高の芸術家は 想像のみで制作するのではなく 深遠な道理を悟った 「手」によって作品を刻み出す。 また、イサム・ノグチ。 (日本人は、歳を重ねた人がいきつく趣味は石の鑑賞だ。自然のままのそれは、すでに出来上がっている) 肝心なのは見る観点だ。 どんな物をも、一個の古靴でさえも 彫刻となるものは その見方と置き方なのである。 (『アーティストの言葉』 ...
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November 26, 2025 at 6:02 PM
スポーツ観戦に興味がない。自分でするのも好きではない。しかし、アスリートたちの言葉を聞くのは好きである。内容にもよるけど、だいたい、ストイックな努力を常に続けていることや、メンタルの強さを意識していることや。

なにごとも、一芸に秀でた、というより飛び抜けた人というのはすごい。秀でた、くらいではだめだと思う。それは、何かが「好き」ならば、特にがんばらなくてもいけるところ、というイメージがわたしにはある。もしかしたら「一芸に秀でる」というのは、ものすごい境地のことを言っているのか。雑感としては、ちょっと上手い人にでも言うような気がする。

有効になることを続ける強さ、欲しいものです。
November 22, 2025 at 7:45 PM
創作。それを一日にどれくらいできるか、というのは人それぞれなのだろう。わたしは、長くても二時間くらいしか、集中力が続かない。というか、書くアイディアがなくなる。次の日になればまた湧いているのだけど、いっきにばーっと書いてしまうとたいていよくない結果になる。つねに、インターバルが必要なのだ。

しかし、絞り出すことによってけっか、よいものが生まれることもある。そのときは、もっと書けそう、という閃きがあったりする。もうむり、と思うことになると、ダメである。前向きか後ろ向きかの意識の働きが強く相関してるようだ。
November 20, 2025 at 8:05 PM
田坂広志さんという人の書くご本がかなり面白い。社会的に、人間的に成長していくことを理論的に語っている。

文庫の著者の写真を見たとき、大学教授の風貌に見えた。それがよかったので買ったというのがひとつあるけど、じっさいは、ビジネスの世界の人だった。大学に残りたかったけど、不運でそれはできなかった人らしいから、そんな雰囲気があるのかな。

世界の探求は、ときに超常現象に踏み込む。ユングもそうだった。田坂広志さんのご本もそういう部分がある。

『すべては導かれている』(田坂広志 PHP文庫)。

世界の見え方は一つではないのだろう。
November 13, 2025 at 5:16 PM
ここ最近、新しくガツン!! とくるご本に出会えていない。なにかしら、衝撃のくる作品を求めているのだけど、目にしない。わたしが直接読めるご本は限られているので、どこか知らないところにあるとは思う。

そういうわけで読書が捗らない。なんだか、身を入れて読めるものがないのだ。同じ系統のばかりを読みすぎたせいかもしれない。そこから、ひととき離れるか。

あるいみ、読書依存症である。刺激に刺激を重ねて、麻痺している可能性がある。わたしは、砂漠で水を求める旅人のように、一冊のご本、一冊の栄養、一冊の救世主を求めているのである。

本屋に行きますか、笑。
November 10, 2025 at 8:51 AM
このまえ、ロッテリアであさ、エビのハンバーガーを買うとき、店員の女の人がすごく「怒りを抑えている」ようだった。わたしは、よく、こういうのにあてられる。その感受性に間違いがないのか、というのはわからないけど、レジの受け答えだけで、なんだか不愉快にさせられる店員というのがいたりする。

続きは下記リンクよりお読みください!!

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怒りを関係ない人に向ける|アリサカ・ユキ
このまえ、ロッテリアであさ、エビのハンバーガーを買うとき、店員の女の人がすごく「怒りを抑えている」ようだった。わたしは、よく、こういうのにあてられる。その感受性に間違いがないのか、というのはわからないけど、レジの受け答えだけで、なんだか不愉快にさせられる店員というのがいたりする。その店員の人に怒りたいわけではないけど、こちらも、説明しがたく、しばらく気持ちが乱されることも確かである。 人と接した...
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November 6, 2025 at 6:04 PM
カミュは、さいしょ、大学の先生になりたかったらしい。結核のため、その資格がなかった。かれは、文学をやることをためらっていた。よくわからないのだけど、かれは、文学をすることで、あまり知的じゃないと思われるのを恐れたらしい。彼の頭の中では、まずアカデミックな知のエキスパートとしての学者があり、そのものさしで文学者を見ると、そういう見解になったのかもしれない。そういう気持ちを最初に持ってしまったから、かれの文学は高度に知的なのか。それならば、怪我の功名である。

人生は、些細なことの変数がわたしたちの運命をつくっていく。なにが、じぶんにとってよいものか? というのは、わからないところがありますね。
November 1, 2025 at 6:37 PM
ハッピーハロウィン!!

よい日をお過ごしくださいね!!
October 30, 2025 at 7:48 PM
ダークな感情をあまり持ちたくない。わたしは、はげしく人を憎みやすい。とうぜん、そんなわたしの中には、黒いものがわんさとある。

さいきん、そういう気持ちが起こらないように、気をつけて世の中に接している。うがちすぎて人を見ないし、起こってしまったことにこだわらない。

ひとは、朗らかな方が、人から受け入れられる。それは、あるのだと思う。屈託のないコミュニケーションをとっていると、いわゆる、わたしのまわりの世界が明るくなってきた。

それは、まるで魔術のように、環境のイメージが変わったから面白い。楽しいことばかり、ということでもないけど、そういうことで、運が良くなるというのは、あるのかもしれない。
October 22, 2025 at 6:00 PM
上から目線の人がいる。人を自分より下と思うことで、自分を守る人だ。そういう人は、自分より弱い人にしか積極的に関わろうとしないようだ。

人は自分を守るものをいろいろ手に入れようとする。ある人にとって、それがすべてではないが、その「盾」が、結果的に人を蔑ろにするものであることがある。

マイノリティといわれる人たちより、こういう人たちのほうが、わたしには、付き合いづらい感じがする。

わたしは、人がどのような属性を持つか、より、人間としての「器」(ま、まあ、大袈裟な表現かもしれないが)の方が気になるところである。根源的なところをみたいのである。
October 19, 2025 at 7:00 PM
「愚かな還元主義」という言葉を、どこかで読んだ。心理学的になんでも解釈することに対してかいてあった。

自分の持っている視点と他人の視点は、かなり違う。わたしがふつうにある把握をしていることを、え? と訝しがられて、こっちも、え? わからないの? となってしまうけど、そのときわたし自身も相手をわかっていない。

理由なく、従わされてきた。ただ、そうしなさい、といわれて。わたしは納得いかなくて、モヤモヤしっぱなしだったが、逆らえなかった。

その人たちも、そうやって盲目的に従ってきたのだろう。その気持ち悪さに、わたしは、「理由」を知りたいのかもしれない。必要なのは、還元主義でない視点、現実感だ。
October 12, 2025 at 6:11 PM
さいきん、すこしづつ寒くなってきた。明るかった夕方の時間も夜である。町は、冬に近づきつつある。こんなふうに風景の体感が、変わってくると、どうしてか、寂しさが胸にくる。

そのセンチメンタルのせいなのか、さいきん、むかしの空気感を思い出そうとしてしまう。世間のそれは、大きく変わった。幼い日を生きたあそこは、もうないのである。

いま、をなつかしむことも、年をさらに取ればあるのだろう。昔ばかりに目をやってはいけない。このいまも、生きるに値する時代なのだ。

わたしは、歩き、走り、飛び、笑い、泣く。幼かった日にあの時代にまったく同化したような生き方は、もうできないけれど、ここに在ることにありたい。
October 10, 2025 at 7:26 PM
人は、自分の、ある状況があってそれに、こうなのだろう、という確信を持っています。それを疑わないから、人から「それはこうじゃないかな」といわれても、「ちがう」という。もちろん、彼の信じた通りなこともあると思う。ただ、ときに現実を都合よく解釈(捻じ曲げて)して「こうなのだろう」ということを思い込んでいる人がいる。自分を騙してるんだろう。
人の心理のメカニズムを、ときにこわい、とわたしは思う。そんな非現実に生きている人は、とつぜん、鬱になったりする場合があるようだ。
October 6, 2025 at 7:56 PM
親にたいして複雑な気持ちがあるが、親自身は、そんなわたしの気持ちを知らないみたいだ。わーっと不満をいったことはあるが、そのことを深く話したことはない。

きのう、誕生日で、わたしはいい歳だが、親はプレゼント何がいい? と聞いてくる。

わたしは、でも、親と話すと安心してしまう。いろいろ、あるのだけど、からだは、遺伝子は全肯定だ。兜を脱ぐべきなのか。

うん、哲学のすんごい辞書が欲しいから、半分出してください……。

親に限らず、人間、異常なフェロモン(?)に惹かれると碌なことないんだが。
October 1, 2025 at 3:25 PM
AIの情報は「平均的なもの」だという。知らないことを教えてもらうので、楽しいのだけど、知ってる人には常識的なことをいっているのだろうな。茂木健一郎さんが、あるYouTubeで、「リーチできるところ」が増える(だったか)という発言をしていた。たとえば「場面設定類似辞典」などで、街の「建物の種類」をたくさん知れば、それだけ書けることは増えるよね。AIでなにかを知るとは、わたしにはそういうことだ。だが、AI出力からの情報だけで書くのは、「誰もが知ってること」から書いているようなものなのだろう。リアルを経験し、本を読まなければ深さは得られない。
September 26, 2025 at 6:42 PM