加藤諦三先生のご著書をたくさん読むことにより、人生を変えていただきました。自己実現をめざしています。
少し背伸びしたことを書いています。自分の思索と文体を磨きたいためです。なので、まだ、いっていることが、浅かったりするかもしれません。
作家になるためがんばってます。このことはXでも語っています。
⇩翻訳の小説や映画から人の心を考えるブログ
https://a-y-wise-storise.com/
大江健三郎さんと江藤淳さんの対談のご本を読んでいる。どちらかといえば知に重きを置く江藤さんのほうが、感性的な(とわたしは感じます)大江さんより納得できることを言う。大江さんの文学のご作品とその姿勢は、いろいろ言われてしまう。しかし、大江さんは、どんなに言われてもまずは、「わたしはそれがいいと思った」といった感じだ。江藤淳さんは、作家はもっと読者や社会のことを考えなければ、と言うのだが。大江さんは、結果そのことに繋がればいいと言う。
わたしが言いたいのは、ビジネスとアートの実際に取り組むときのマインドの違いだ。
大江健三郎さんと江藤淳さんの対談のご本を読んでいる。どちらかといえば知に重きを置く江藤さんのほうが、感性的な(とわたしは感じます)大江さんより納得できることを言う。大江さんの文学のご作品とその姿勢は、いろいろ言われてしまう。しかし、大江さんは、どんなに言われてもまずは、「わたしはそれがいいと思った」といった感じだ。江藤淳さんは、作家はもっと読者や社会のことを考えなければ、と言うのだが。大江さんは、結果そのことに繋がればいいと言う。
わたしが言いたいのは、ビジネスとアートの実際に取り組むときのマインドの違いだ。
本編は、下記リンクよりお読みください。
note.com/kina_ay/n/na...
本編は、下記リンクよりお読みください。
note.com/kina_ay/n/na...
なにごとも、一芸に秀でた、というより飛び抜けた人というのはすごい。秀でた、くらいではだめだと思う。それは、何かが「好き」ならば、特にがんばらなくてもいけるところ、というイメージがわたしにはある。もしかしたら「一芸に秀でる」というのは、ものすごい境地のことを言っているのか。雑感としては、ちょっと上手い人にでも言うような気がする。
有効になることを続ける強さ、欲しいものです。
なにごとも、一芸に秀でた、というより飛び抜けた人というのはすごい。秀でた、くらいではだめだと思う。それは、何かが「好き」ならば、特にがんばらなくてもいけるところ、というイメージがわたしにはある。もしかしたら「一芸に秀でる」というのは、ものすごい境地のことを言っているのか。雑感としては、ちょっと上手い人にでも言うような気がする。
有効になることを続ける強さ、欲しいものです。
しかし、絞り出すことによってけっか、よいものが生まれることもある。そのときは、もっと書けそう、という閃きがあったりする。もうむり、と思うことになると、ダメである。前向きか後ろ向きかの意識の働きが強く相関してるようだ。
しかし、絞り出すことによってけっか、よいものが生まれることもある。そのときは、もっと書けそう、という閃きがあったりする。もうむり、と思うことになると、ダメである。前向きか後ろ向きかの意識の働きが強く相関してるようだ。
文庫の著者の写真を見たとき、大学教授の風貌に見えた。それがよかったので買ったというのがひとつあるけど、じっさいは、ビジネスの世界の人だった。大学に残りたかったけど、不運でそれはできなかった人らしいから、そんな雰囲気があるのかな。
世界の探求は、ときに超常現象に踏み込む。ユングもそうだった。田坂広志さんのご本もそういう部分がある。
『すべては導かれている』(田坂広志 PHP文庫)。
世界の見え方は一つではないのだろう。
文庫の著者の写真を見たとき、大学教授の風貌に見えた。それがよかったので買ったというのがひとつあるけど、じっさいは、ビジネスの世界の人だった。大学に残りたかったけど、不運でそれはできなかった人らしいから、そんな雰囲気があるのかな。
世界の探求は、ときに超常現象に踏み込む。ユングもそうだった。田坂広志さんのご本もそういう部分がある。
『すべては導かれている』(田坂広志 PHP文庫)。
世界の見え方は一つではないのだろう。
そういうわけで読書が捗らない。なんだか、身を入れて読めるものがないのだ。同じ系統のばかりを読みすぎたせいかもしれない。そこから、ひととき離れるか。
あるいみ、読書依存症である。刺激に刺激を重ねて、麻痺している可能性がある。わたしは、砂漠で水を求める旅人のように、一冊のご本、一冊の栄養、一冊の救世主を求めているのである。
本屋に行きますか、笑。
そういうわけで読書が捗らない。なんだか、身を入れて読めるものがないのだ。同じ系統のばかりを読みすぎたせいかもしれない。そこから、ひととき離れるか。
あるいみ、読書依存症である。刺激に刺激を重ねて、麻痺している可能性がある。わたしは、砂漠で水を求める旅人のように、一冊のご本、一冊の栄養、一冊の救世主を求めているのである。
本屋に行きますか、笑。
続きは下記リンクよりお読みください!!
note.com/kina_ay/n/n6...
続きは下記リンクよりお読みください!!
note.com/kina_ay/n/n6...
人生は、些細なことの変数がわたしたちの運命をつくっていく。なにが、じぶんにとってよいものか? というのは、わからないところがありますね。
人生は、些細なことの変数がわたしたちの運命をつくっていく。なにが、じぶんにとってよいものか? というのは、わからないところがありますね。
よい日をお過ごしくださいね!!
よい日をお過ごしくださいね!!
さいきん、そういう気持ちが起こらないように、気をつけて世の中に接している。うがちすぎて人を見ないし、起こってしまったことにこだわらない。
ひとは、朗らかな方が、人から受け入れられる。それは、あるのだと思う。屈託のないコミュニケーションをとっていると、いわゆる、わたしのまわりの世界が明るくなってきた。
それは、まるで魔術のように、環境のイメージが変わったから面白い。楽しいことばかり、ということでもないけど、そういうことで、運が良くなるというのは、あるのかもしれない。
さいきん、そういう気持ちが起こらないように、気をつけて世の中に接している。うがちすぎて人を見ないし、起こってしまったことにこだわらない。
ひとは、朗らかな方が、人から受け入れられる。それは、あるのだと思う。屈託のないコミュニケーションをとっていると、いわゆる、わたしのまわりの世界が明るくなってきた。
それは、まるで魔術のように、環境のイメージが変わったから面白い。楽しいことばかり、ということでもないけど、そういうことで、運が良くなるというのは、あるのかもしれない。
人は自分を守るものをいろいろ手に入れようとする。ある人にとって、それがすべてではないが、その「盾」が、結果的に人を蔑ろにするものであることがある。
マイノリティといわれる人たちより、こういう人たちのほうが、わたしには、付き合いづらい感じがする。
わたしは、人がどのような属性を持つか、より、人間としての「器」(ま、まあ、大袈裟な表現かもしれないが)の方が気になるところである。根源的なところをみたいのである。
人は自分を守るものをいろいろ手に入れようとする。ある人にとって、それがすべてではないが、その「盾」が、結果的に人を蔑ろにするものであることがある。
マイノリティといわれる人たちより、こういう人たちのほうが、わたしには、付き合いづらい感じがする。
わたしは、人がどのような属性を持つか、より、人間としての「器」(ま、まあ、大袈裟な表現かもしれないが)の方が気になるところである。根源的なところをみたいのである。
自分の持っている視点と他人の視点は、かなり違う。わたしがふつうにある把握をしていることを、え? と訝しがられて、こっちも、え? わからないの? となってしまうけど、そのときわたし自身も相手をわかっていない。
理由なく、従わされてきた。ただ、そうしなさい、といわれて。わたしは納得いかなくて、モヤモヤしっぱなしだったが、逆らえなかった。
その人たちも、そうやって盲目的に従ってきたのだろう。その気持ち悪さに、わたしは、「理由」を知りたいのかもしれない。必要なのは、還元主義でない視点、現実感だ。
自分の持っている視点と他人の視点は、かなり違う。わたしがふつうにある把握をしていることを、え? と訝しがられて、こっちも、え? わからないの? となってしまうけど、そのときわたし自身も相手をわかっていない。
理由なく、従わされてきた。ただ、そうしなさい、といわれて。わたしは納得いかなくて、モヤモヤしっぱなしだったが、逆らえなかった。
その人たちも、そうやって盲目的に従ってきたのだろう。その気持ち悪さに、わたしは、「理由」を知りたいのかもしれない。必要なのは、還元主義でない視点、現実感だ。
そのセンチメンタルのせいなのか、さいきん、むかしの空気感を思い出そうとしてしまう。世間のそれは、大きく変わった。幼い日を生きたあそこは、もうないのである。
いま、をなつかしむことも、年をさらに取ればあるのだろう。昔ばかりに目をやってはいけない。このいまも、生きるに値する時代なのだ。
わたしは、歩き、走り、飛び、笑い、泣く。幼かった日にあの時代にまったく同化したような生き方は、もうできないけれど、ここに在ることにありたい。
そのセンチメンタルのせいなのか、さいきん、むかしの空気感を思い出そうとしてしまう。世間のそれは、大きく変わった。幼い日を生きたあそこは、もうないのである。
いま、をなつかしむことも、年をさらに取ればあるのだろう。昔ばかりに目をやってはいけない。このいまも、生きるに値する時代なのだ。
わたしは、歩き、走り、飛び、笑い、泣く。幼かった日にあの時代にまったく同化したような生き方は、もうできないけれど、ここに在ることにありたい。
人の心理のメカニズムを、ときにこわい、とわたしは思う。そんな非現実に生きている人は、とつぜん、鬱になったりする場合があるようだ。
人の心理のメカニズムを、ときにこわい、とわたしは思う。そんな非現実に生きている人は、とつぜん、鬱になったりする場合があるようだ。
きのう、誕生日で、わたしはいい歳だが、親はプレゼント何がいい? と聞いてくる。
わたしは、でも、親と話すと安心してしまう。いろいろ、あるのだけど、からだは、遺伝子は全肯定だ。兜を脱ぐべきなのか。
うん、哲学のすんごい辞書が欲しいから、半分出してください……。
親に限らず、人間、異常なフェロモン(?)に惹かれると碌なことないんだが。
きのう、誕生日で、わたしはいい歳だが、親はプレゼント何がいい? と聞いてくる。
わたしは、でも、親と話すと安心してしまう。いろいろ、あるのだけど、からだは、遺伝子は全肯定だ。兜を脱ぐべきなのか。
うん、哲学のすんごい辞書が欲しいから、半分出してください……。
親に限らず、人間、異常なフェロモン(?)に惹かれると碌なことないんだが。