蝸牛
banner
dendenfish.bsky.social
蝸牛
@dendenfish.bsky.social
図書館員。ニセ詩人。
ツイッター(と今でも呼んでいる)は日記を書くには短すぎるし、最近は世相に呼応して気分が荒れたり消沈したりしがちで、ツイートしても消してしまうことが多く、積極的に何かを書きたいという気持ちが失われ、撮った写真をアップするのだけが楽しみになった。
ここは日記に向いていて、気ままに書けるのがいい。
とはいえ、ツイッターを離れるのは寂しいものだ。あの場所がなければ乗りきれなかったことがある。詩集ができたら、あちらで宣伝したり、朗読してみたりしようと考えている。
November 20, 2025 at 12:28 PM
原稿を送った出版社からは、何も返事がない。受領した、のひとこともない。でもまあ、こんなものなのだろう。詩の世界では有名でも、本当に小さな、小さな出版社なのだ。僕も言を左右して迷惑をかけてしまっている。いずれは着地すべきところに着地する。着地した後、在庫の山を抱えて途方に暮れている自分の姿が、今から見えるようだ。
November 20, 2025 at 12:19 PM
今日は久しぶりに疲れが出てしまい、仕事を休んだ。何も疲れるようなことはしていないし、休んでもすることはないのだが、ともあれ午前中は眠って過ごした。
たぶん、食事の栄養バランスが著しく損なわれているからだと思う。
ともかく痩せることが至上命題で、痩せるのならどんなものを食べてもいい、という方針を勝手に立て、パンがなければお菓子を食べればいいのよを文字どおり実践し、それで順調に痩せ、3か月で血液検査は全て適正値になり、主治医を愕然とさせた。嘘のような話だが、本当だ。ほどなくBMIも許容範囲に戻る。だがもし痩身を実現したとしても、目に見えないどこかで何かが確実に失われつつあるだろう。
November 20, 2025 at 12:13 PM
現代詩手帖の投稿欄の選者の方に、「サイコホラーのように怖い」という感想をいただいたことについてあらためて考え、的確な指摘だと思った。たぶん、二つの要因が関係しているのだろうな。
一つは、長年小説を書いてきたこと。描写の過剰な、マジック・リアリズムの影響の濃い小説は、自ずと怪奇に近づく。実際、昔、リトルモアの雑誌で小さな賞をもらった時、「ホラー小説を書いてみませんか」と提案されたこともあった。
もう一つは、2023年10月7日以降、暴力の過剰な情報に曝露されるうちに、詩のありようが自分の中で変わってしまったこと。これは仕方ない、防ぎようのない事態だった。
November 20, 2025 at 12:00 PM
最後に一つエピローグのような短い詩を書いて、これで本当に思い残すことはないと見定め、カバーに使う写真ともども、今日、出版社に入稿した。やれることはやったという気がするが、もとより僕にできることなど大きくも多くもないし、これからしなければならない作業や選択を思うと、達成感にはほど遠い。実際に本の形になったものを見るまでは、茫洋とした気分のままなのだろうな。
November 18, 2025 at 9:18 AM
僕も同じことを考えていた。
だが中国の人々に二度と信用されなくなるほど酷い嫌がらせを、日本人たちはするかもしれない。犬笛を誰かが吹けばたちまち犬に変わる者どもの群れなのだから。
どうか杞憂であってほしい。
国内にいる数多くの中国系の人々のことを思うと暗くなる。彼らが心中穏やかに暮らせることを願う。どうか信用してほしいものだ。
November 15, 2025 at 11:59 AM
詩集は詩を2つ書き足して完成させ、もう頭の中は逆さに振っても何も出てこない、すっからかんの状態になった。表紙のデザインも、タイトルや著者名の配置ともども決めてしまった。やり残したことはなく、気にしているのは紙質と印刷の具合と費用だけ。せいせいしたという気分だが、何の感慨もない。本の形になったものを見れば、あるいは心が動くだろうか。
November 7, 2025 at 9:48 AM
圧倒的に美しいものに打ちのめされること、というツイートを読んで、僕が好きな人は皆同じことを言っておられると気づく。僕もまた、圧倒的に美しいものに打ちのめされてしまいたい。『マタイ受難曲』を初めて聴いた時みたいに。
October 30, 2025 at 10:57 PM
表紙の写真にタイトルと著者名をレイアウトして印刷し、書棚に貼ってある。詩集というよりは、創元推理文庫か、一昔前の夏樹静子のミステリーの表紙に近い。中身もそう言えるかもしれない。見ていてうんざりした気分にならないのは、たぶん最初に抱いていたイメージからそう離れていないからだと信じたい。ともあれ、詩集は、中身を書くより装丁を考える方がずっと楽しいということが分かった。
October 30, 2025 at 10:49 PM
問題の中身の方は、すでにあらかた出来上がっているので、今さらじたばたしても仕方ない。あまり長く手元に置いておいたせいで、何が書いてあるのか、自分でもよく分からなくなってしまった。今書いている途中の詩を締切までに付け加えることができるかもしれないし、できないかもしれない。
October 27, 2025 at 2:08 PM
表紙の写真は再考して、当初想定していたのとは別のものを選んだ。写真などいっさいやめにして、峯澤典子さんの詩集のような、無地に文字をあしらっただけの潔い装丁にするかとも考えたが、せっかく10年ばかり写真を撮ってきたのだから、1枚くらい使っておやりよ、という声が聞こえ、それもそうだな、と思い直した。フォトショップを少しいじってタイトルと著者名を入れ、しばらく眺めて、どうやらあきらめがついた。
October 27, 2025 at 2:01 PM
上製本にするか並製本にするか、結局はっきり決めないまま、見切り発車の形で詩集の製作を始めた。並製本の見積りも作ってくれたが、予想していたよりかなり高く、おやおや、と思うくらいの額になった。いずれにせよ、最初からこの出版社にすると決めていたので、今さら河岸を変えるつもりもない。2冊目を作る機会はたぶんないので、まあせいぜい悩みながら進めることにしよう。
October 27, 2025 at 1:51 PM
来年の5月1日に詩集を出すことに決まった。11月末が原稿の締切で、それまでにあと2、3編を加えるだろう。
October 25, 2025 at 6:25 AM
診察の結果、やはり異常なしだった、との連絡が仕事時間中に来たので、モンブランのケーキを買って帰る。酒を飲まなくなって10年以上経つが、こういう時は飲めないのが残念に思う。ともあれ、敷石の下は砂浜、と肝に命じながら生きていこう。意外と薄い敷石であるようだ。
October 24, 2025 at 9:09 PM
ノーノの『断ち切られた歌』を聴きながら泣く。
October 22, 2025 at 11:58 AM
もう一つの懸念の方は、最初に話を聞いた時は青ざめたが、その後の経過から、まあおそらくは取り越し苦労だろう、ということになった。診察してみなければ分からないが、まず大事には至るまい。あまり脅さないでくれと思う。信仰もないのに、気がつけば、どうか自分の命を代わりに、どうかお願いします、と呟き続けていた。苦笑するしかない。
October 21, 2025 at 9:51 AM
少なくとも生きている人質は全員生還したのだから、イスラエル国内の反戦運動は力を失っていくのではないかなあ。彼らの大半は人質解放をこそ願っていたわけだし、イスラエル国民の8割はパレスチナ攻撃に賛成している。むろんイスラエルにも善意ある人々はおり、そういう人々を心の底から尊敬するが、彼らは孤立していくのではないだろうか。
October 21, 2025 at 9:35 AM
詩集の表紙に使う写真をひとまず決め、イメージを固め、今週末には出版社との最初の打ち合わせで、心が少しは弾んでもいいはずなのに、どうにも滅入ってしまって仕方がない。出来上がったものと思い描いていたものとのギャップを、心底怖れているのに違いない。中身はどうでもいい(今さらどうしようもない)、ちょっと手にとってみたくなるような綺麗な本を作ってみたい、という血迷った思いつきが、表紙の写真をプリントしただけで消し飛び、絶望的な気分になってくる。詩集など、いつまでも夢想のままとどめ置くのがいいのではないか、という気持ちに傾いてくる。
October 21, 2025 at 9:29 AM
イスラエルよりも、イスラエルのラファ攻撃再開を報じる記事に「www」を付けてポストする日本人どもの方に、より大きな怒りを感じるようになりつつある。
October 19, 2025 at 1:17 PM
トランプとネタニヤフのやり口があまりにも卑劣で(まあトランプはノーベル平和賞を焦っているだけなのかもしれないが)、また彼らに賛同するXの馬鹿猿がどいつもこいつも汚ならしく、うんざりして逃げてきた。虐殺は想像を絶するものではあるが、想像を絶するものを何とか想像しようとする苦闘こそ、人間を人間たらしめるのではないか。外国人排斥を謳いながら、すでに人間ですらない日本猿。日本という猿山。
October 18, 2025 at 10:12 AM
まったく思いもよらなかった心配事がひとつ現れ、昨日から心が塞いでいる。悪い方の結果が出る確率は小さい。きわめて小さい。しかしゼロではない。洗いたての白いシャツについた小さなコーヒーの染みのように、どうしてもそこに考えが向いてしまう。しかし自力でなしうることは皆無なので、黙って時が経つのを待ち、しかる後に結論が下されるのを宣託のように聞くしかない。
October 18, 2025 at 10:02 AM
詩集の表紙の代案を選んだが、代案と言えるかどうか。今回も被写体の承諾が必要だし、写真は暗い。どうも僕は恐怖をかきたてるものやグロテスクなものに鈍感であるらしい。絵画であれ音楽であれ、僕が静謐な美と受けとめたものは、必ず周囲から不気味だと言われ、疎んじられる。この感性の欠陥は、芸術の鑑賞だけでなく、日常生活においてもしばしば悶着を起こし、他者との関係をぎくしゃくさせてきた。
October 18, 2025 at 9:43 AM
予算の都合で上製本から並製本へ方針を変更し、装丁も考え直し……となると、中身の貧しさをガワで補おうとする姑息な魂胆はたちまち潰えてしまう。苦笑いしながら、やっぱり倒錯していたなと思う。とはいえ、書物に対するフェティッシュな愛情は生涯消えないだろうから、美しい本を作る、という目標が消えゆくのを眺めつつ、やはりちょっと寂しい気持ちでいる。
October 17, 2025 at 10:56 PM
詩集の表紙に使おうと思っていた写真が、ここへ来て被写体から突然ダメ出しを食らってしまい、右往左往している。被写体の意見は絶対命令なので、代案を考えなければならないが、まったく浮かばない。これまでに撮りためた写真を片っ端から漁りながら、早くも意気沮喪し始めている。2年ばかり一つのイメージだけを抱えてきたので、それが実現しないなら詩集そのものを諦めるか、という気分になりつつある。
October 17, 2025 at 12:50 PM
クラスナホルカイの若い頃の写真を見て、いかにも夢魔的な暴力の世界を描く作家の貌をしている、と感心した。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』の原作者の風貌は、まさにこのようでなければならない。作家の姿とその作家が描く世界が重なるのは、意外と珍しいことのような気がする。
October 9, 2025 at 12:47 PM