自分と映画の1対1なら良いんだけど
なんか今みたいないかにこき下ろせるか会場みたいになると本当嫌だなって感じだ
自分と映画の1対1なら良いんだけど
なんか今みたいないかにこき下ろせるか会場みたいになると本当嫌だなって感じだ
「自分が下手になったのかも…飽きられたのかも…」と自責するんじゃなくて
「きっと、世界が悪くなったに……違いない!!!!!!!」って他責でキレにいける精神性を持つことなんだろうなって気がしてくるな
実際の事実は置いといて、そういう風に真実を選べる人間のほうが多分強い
「自分が下手になったのかも…飽きられたのかも…」と自責するんじゃなくて
「きっと、世界が悪くなったに……違いない!!!!!!!」って他責でキレにいける精神性を持つことなんだろうなって気がしてくるな
実際の事実は置いといて、そういう風に真実を選べる人間のほうが多分強い
これってマンガ原稿の場合はなんとなく完成形がこんな感じでこう近づけたいって物があってやれてるから楽しくて
普段落書きで塗り嫌だ~と思ってたのって、カラーの完成形みたいなのが頭の中にないから本当に暗中模索で適当にやってたまたまいい感じになるのを願ってるだけだからなのかこれ
これってマンガ原稿の場合はなんとなく完成形がこんな感じでこう近づけたいって物があってやれてるから楽しくて
普段落書きで塗り嫌だ~と思ってたのって、カラーの完成形みたいなのが頭の中にないから本当に暗中模索で適当にやってたまたまいい感じになるのを願ってるだけだからなのかこれ
圧倒的に時間が足りない気持ちと
圧倒的に時間が足りない気持ちと
他者に承認されています!と主張した時に椅子を引かれたらもう俺は耐えられないと思っている、が一番正しいな
他者に承認されています!と主張した時に椅子を引かれたらもう俺は耐えられないと思っている、が一番正しいな
客の依頼受けて漫画描いて内容に「うーん、いまいち!」って言われたのに対して
「ごきたいにそえなくてざんねんぴょん ではげんこうりょうは30ごっちぴょん」
って返してるの、最高すぎる
それはそれこれはこれ
客の依頼受けて漫画描いて内容に「うーん、いまいち!」って言われたのに対して
「ごきたいにそえなくてざんねんぴょん ではげんこうりょうは30ごっちぴょん」
って返してるの、最高すぎる
それはそれこれはこれ
切り分けてみると自己肯定感自体は別にそこまで低くないというかどうでも良いと思ってるんだけど、他者から承認されてる自覚はかなり薄くて
だからこそSNSで「当分SNSにいません!ご心配おかけします!」とか創作について見ている人がいること前提で何かを話す事が本当に苦手なんだけど
他者承認されてる事前提で話す割に「自己肯定感低いんです」みたいな事言う人が真逆過ぎて
他者に評価されてる癖になんでそんな自己評価低いんだよって思っちゃうんだろうな
切り分けてみると自己肯定感自体は別にそこまで低くないというかどうでも良いと思ってるんだけど、他者から承認されてる自覚はかなり薄くて
だからこそSNSで「当分SNSにいません!ご心配おかけします!」とか創作について見ている人がいること前提で何かを話す事が本当に苦手なんだけど
他者承認されてる事前提で話す割に「自己肯定感低いんです」みたいな事言う人が真逆過ぎて
他者に評価されてる癖になんでそんな自己評価低いんだよって思っちゃうんだろうな
(おれを救ってくれたSNSをバカにすんじゃねェ!!!)
この時代の名が!!!“Twitter”だァ!!!
(おれを救ってくれたSNSをバカにすんじゃねェ!!!)
この時代の名が!!!“Twitter”だァ!!!
やっぱり家賃がめちゃ高いぜ
今の家賃でもまだ会社に優しくしてもらってるのにもっと家賃上がると思うと今から嫌な気持ちになるな
やっぱり家賃がめちゃ高いぜ
今の家賃でもまだ会社に優しくしてもらってるのにもっと家賃上がると思うと今から嫌な気持ちになるな
デュエットナイトアビスも似たような事できるんだろうか
デュエットナイトアビスも似たような事できるんだろうか
絵の見栄えの良さって機能をちゃんと使ってるかどうかのテクニック過ぎないか?
これがえろいから...と言いながらスタンプ的なブラシをばら撒いてる時、ここにあんまり俺って介在してないんじゃないか?
絵の見栄えの良さって機能をちゃんと使ってるかどうかのテクニック過ぎないか?
これがえろいから...と言いながらスタンプ的なブラシをばら撒いてる時、ここにあんまり俺って介在してないんじゃないか?