詩そのものを味わう能力に乏しい自分は、この2ヶ月で他者による詩の読み解きとか、詩論のようなものなら楽しめると分かってきたので、その流れで新宿紀伊国屋書店の詩のコーナーで目に止まった本書を購入し読んでみた。
そしたら、いきなり「詩は表現ではない」である。いやいや、詩は表現行為だろう…と思う僕は、そこから続く「伝達手段ではない」との補足でなるほどと得心する。
詩そのものを味わう能力に乏しい自分は、この2ヶ月で他者による詩の読み解きとか、詩論のようなものなら楽しめると分かってきたので、その流れで新宿紀伊国屋書店の詩のコーナーで目に止まった本書を購入し読んでみた。
そしたら、いきなり「詩は表現ではない」である。いやいや、詩は表現行為だろう…と思う僕は、そこから続く「伝達手段ではない」との補足でなるほどと得心する。
2025年12月、1年の読書の〆に積読の中からこれを選んだ。特に意味を持たせる感じも、互いへの脈絡もなく、複数の人々の辿った時間を簡素に語る序盤で(この叙述スタイルは僕の好みで、そのおかげで読書に勢いがついた)、この人達が終盤で、偶然の重なりによって集結する展開になったら胸熱だな…と思っていたら、それに近い展開になった。※読了後に、帯にそれを仄めかすことが書かれているのにやっと気付いた(笑)。というのも、読書中は表紙と帯を取り外してしまうので。
2025年12月、1年の読書の〆に積読の中からこれを選んだ。特に意味を持たせる感じも、互いへの脈絡もなく、複数の人々の辿った時間を簡素に語る序盤で(この叙述スタイルは僕の好みで、そのおかげで読書に勢いがついた)、この人達が終盤で、偶然の重なりによって集結する展開になったら胸熱だな…と思っていたら、それに近い展開になった。※読了後に、帯にそれを仄めかすことが書かれているのにやっと気付いた(笑)。というのも、読書中は表紙と帯を取り外してしまうので。
2025年12月分の読書メモ。以前『私を離さないで』を映画館で鑑賞して強いインパクトを受け、その後に原作を読んだのだが忠実に映像化されていたことに唸った。『日の名残り』は原作を読んで非常に感動し、全然期待はせずにレンタルDVDで観てみたらやっぱりイマイチだった。 さて。12月に馴染みの映画館のスクリーンに『遠い山なみの光』が掛かると知って、映画を観てから読むか、原作を読んでから観るかかなり悩んだのだけれど、今回は原作を読んでから観ることにした。
2025年12月分の読書メモ。以前『私を離さないで』を映画館で鑑賞して強いインパクトを受け、その後に原作を読んだのだが忠実に映像化されていたことに唸った。『日の名残り』は原作を読んで非常に感動し、全然期待はせずにレンタルDVDで観てみたらやっぱりイマイチだった。 さて。12月に馴染みの映画館のスクリーンに『遠い山なみの光』が掛かると知って、映画を観てから読むか、原作を読んでから観るかかなり悩んだのだけれど、今回は原作を読んでから観ることにした。
『現代詩手帖 特集パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く』
この現代詩手帖2024年5月号は発売当時に購入したものの「詩はまだよく分からない」と言うことで積読になっていた。が、『エミリ・ディキンスンを理詰めで読む』で少しだけ何か掴めたような感触があり、とりあえず全頁読むことにした。「パレスチナ特集」は後回しにして、まずは最初から最後まで、掲載されている詩はもちろん、解説やコラム、座談会、書評、往復書簡など最後まで全ての頁を読んだ。詩そのものはまだハードルが高いのだけれど、解題や合評、対談など、詩についてあれこれ語る文章がどれもみな面白い。
『現代詩手帖 特集パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く』
この現代詩手帖2024年5月号は発売当時に購入したものの「詩はまだよく分からない」と言うことで積読になっていた。が、『エミリ・ディキンスンを理詰めで読む』で少しだけ何か掴めたような感触があり、とりあえず全頁読むことにした。「パレスチナ特集」は後回しにして、まずは最初から最後まで、掲載されている詩はもちろん、解説やコラム、座談会、書評、往復書簡など最後まで全ての頁を読んだ。詩そのものはまだハードルが高いのだけれど、解題や合評、対談など、詩についてあれこれ語る文章がどれもみな面白い。
詩が全く分からない、ことの劣等感がある。紙面に綴られた言葉がシンプル過ぎて、それをどう読めば良いのか分からないし、だから読後に世界が違って見えるような衝撃も未だ受けたことがない。別に近寄り難くは無いのに、身体を素通りしてしまい、しこりを残さない(小説ではしこりが残ることが多いけれど)。ディキンスンの詩集を積読していて、少し目を通してみたがやはりよく分からない。なので、詩を鑑賞する前に他者の「読み方」を学んでみようと思った。
全くの驚きの連続だった。
詩が全く分からない、ことの劣等感がある。紙面に綴られた言葉がシンプル過ぎて、それをどう読めば良いのか分からないし、だから読後に世界が違って見えるような衝撃も未だ受けたことがない。別に近寄り難くは無いのに、身体を素通りしてしまい、しこりを残さない(小説ではしこりが残ることが多いけれど)。ディキンスンの詩集を積読していて、少し目を通してみたがやはりよく分からない。なので、詩を鑑賞する前に他者の「読み方」を学んでみようと思った。
全くの驚きの連続だった。
28日はコー監督に加え、まさかのクー・チェンドン氏も登壇となって「下高井戸シネマにペドロ・コスタ」級の驚きだったが、我ながら引きが強いというか通路側に座席を取っていたので、二人とハイタッチすることが出来、単なる1ファンとしてミーハー気分で盛り上がってしまった。
本日も映画納めとして『赤い糸 輪廻のひみつ』を観た。
昨日の段階で、これまでに疑問だったところが全て解決し、今日はただ感傷に浸り切って相変わらずボロ泣きしたのだった。エンドロールでは、27日の通訳を担当した高百合氏の名前を見かけたりした。
28日はコー監督に加え、まさかのクー・チェンドン氏も登壇となって「下高井戸シネマにペドロ・コスタ」級の驚きだったが、我ながら引きが強いというか通路側に座席を取っていたので、二人とハイタッチすることが出来、単なる1ファンとしてミーハー気分で盛り上がってしまった。
本日も映画納めとして『赤い糸 輪廻のひみつ』を観た。
昨日の段階で、これまでに疑問だったところが全て解決し、今日はただ感傷に浸り切って相変わらずボロ泣きしたのだった。エンドロールでは、27日の通訳を担当した高百合氏の名前を見かけたりした。
「思い出した…」
と言うのである。つまり、最初からその場面が入ることは決まっていたのだ。それにしても、5回鑑賞しておきながらその台詞に昨日まで気が付かなかったと言うのはどう言うことであるか?おそらく、この場面の前後では感情が強く攪拌されており、ついでに顔面にある水栓がほぼ開放状態に陥っていたことで機微を取り逃していたのではないか。ただ、この場面は初見時から注目していたので、台詞は耳に入っていたものの
「思い出した…」
と言うのである。つまり、最初からその場面が入ることは決まっていたのだ。それにしても、5回鑑賞しておきながらその台詞に昨日まで気が付かなかったと言うのはどう言うことであるか?おそらく、この場面の前後では感情が強く攪拌されており、ついでに顔面にある水栓がほぼ開放状態に陥っていたことで機微を取り逃していたのではないか。ただ、この場面は初見時から注目していたので、台詞は耳に入っていたものの
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さて、上半期に読み進めたハン・ガンの詩のような簡素な文体作品の反動で、久々にコテコテのアメリカSFを読み始めたものの、何かが欠落しているような印象を覚え、その正体は何だろうと考える。→
さて、上半期に読み進めたハン・ガンの詩のような簡素な文体作品の反動で、久々にコテコテのアメリカSFを読み始めたものの、何かが欠落しているような印象を覚え、その正体は何だろうと考える。→
宮沢章夫『きょうはそういう感じじゃない』。2001年頃『青空の方法』を同僚に貸してもらって電車内で笑いを噛み殺していたのが最初の出会い。本書に収録されたメインパートは2014〜2015年に書かれたもので、作者独特のズレた視線・笑いの質は相変わらずそのまま。 →
宮沢章夫『きょうはそういう感じじゃない』。2001年頃『青空の方法』を同僚に貸してもらって電車内で笑いを噛み殺していたのが最初の出会い。本書に収録されたメインパートは2014〜2015年に書かれたもので、作者独特のズレた視線・笑いの質は相変わらずそのまま。 →
あらゆるエンタメ要素をごった煮のてんこ盛りにした本作から装飾を剥がしとって現れる大筋は、失われた記憶を取り戻していくことにある。主人公の置かれた立場が最も分かりやすいけれども、2人のヒロインやその他のほとんどの登場人物も、転生が成功して記憶がリセットされれば同じような状況に置かれる。つまり本作では「覚えている事」が苦悩を呼び寄せる要因となるのだ。 →
あらゆるエンタメ要素をごった煮のてんこ盛りにした本作から装飾を剥がしとって現れる大筋は、失われた記憶を取り戻していくことにある。主人公の置かれた立場が最も分かりやすいけれども、2人のヒロインやその他のほとんどの登場人物も、転生が成功して記憶がリセットされれば同じような状況に置かれる。つまり本作では「覚えている事」が苦悩を呼び寄せる要因となるのだ。 →
収められた詩の中にある幾つかのモチーフは、以前読んだ短編などにも頻繁に出てくる。
僕も少しだけ回復…したような気がする。この狂った夏の間、数年ぶりに「本を読んでいる時間がとても楽しい」と肉体と精神で実感したのが、8月の印象である。
収められた詩の中にある幾つかのモチーフは、以前読んだ短編などにも頻繁に出てくる。
僕も少しだけ回復…したような気がする。この狂った夏の間、数年ぶりに「本を読んでいる時間がとても楽しい」と肉体と精神で実感したのが、8月の印象である。