ドリフトが清く献身的な振る舞いをする度に正しさや道徳ではなくその奥に「許されたい」「認められたい」感情が透けて見えるから鼻につくし、ドリフト自身がその仮面に自覚的であることもラチェットは理解してるから怒りが湧くんだろうなと思うけど、利己的/利他的の境界面って混ざりあってるものだし、ドリフトが他者に対して優しく明るく振る舞うのも人を護るために戦うのも「“意味のある命”になりたい」というもっと根源的な欲求から来てるはずだし、デルファイでの行動やスケープゴートになったこと(それ以前の切腹含め)も我を無視した自己犠牲に他ならず、それを感情的に認めないのってラチェット的に筋が通らない行為だったんだろうな