仏気候変動会議自体の話題性とユニークさ、研究の規模(ランデモアも参加)などの点でも注目に値する研究であり、多くの示唆に富む。例えば、主催者側が専門家選定などでフレーミングの影響を与えたという事実は、制度設計上の重要な指摘であろう。
特に興味深いのは、会議が提案を国民投票にかける権限を与えられていたにもかかわらず、熟議を経ていない一般市民はまだ「啓蒙されていない」として、参加者がこれを拒否した事実である。これが規範的に、抽選代表制に対するいわゆる「ショートカット」批判(ラフォン)を想起させるとの指摘は非常に示唆的である。
仏気候変動会議自体の話題性とユニークさ、研究の規模(ランデモアも参加)などの点でも注目に値する研究であり、多くの示唆に富む。例えば、主催者側が専門家選定などでフレーミングの影響を与えたという事実は、制度設計上の重要な指摘であろう。
特に興味深いのは、会議が提案を国民投票にかける権限を与えられていたにもかかわらず、熟議を経ていない一般市民はまだ「啓蒙されていない」として、参加者がこれを拒否した事実である。これが規範的に、抽選代表制に対するいわゆる「ショートカット」批判(ラフォン)を想起させるとの指摘は非常に示唆的である。
30名の研究者によるフランス気候変動会議(抽選制)の事例研究。全過程の参与観察、参加者と一般市民の比較調査から、政府が掲げた「共構築(Co-construction)」が実現したかを検証する。その結果、運営組織が議題設定や専門家の選択にかなりの影響を与えたものの、参加者は独立性を保持し、会議内では共構築が機能した一方、参加者と一般市民の間では相互懐疑が発生し、参加者が国民投票に反対するなど共構築は実現されなかったことを明らかにする。そこから、会議で練り上げた提案をその後、具体的にどう扱うかを事前に明確にしておく必要性を指摘している。
30名の研究者によるフランス気候変動会議(抽選制)の事例研究。全過程の参与観察、参加者と一般市民の比較調査から、政府が掲げた「共構築(Co-construction)」が実現したかを検証する。その結果、運営組織が議題設定や専門家の選択にかなりの影響を与えたものの、参加者は独立性を保持し、会議内では共構築が機能した一方、参加者と一般市民の間では相互懐疑が発生し、参加者が国民投票に反対するなど共構築は実現されなかったことを明らかにする。そこから、会議で練り上げた提案をその後、具体的にどう扱うかを事前に明確にしておく必要性を指摘している。
アンケート調査を実施するにあたって、一度は目を通す価値があると思われる一冊。考える・やるべきことが具体的かつ網羅的(倫理的配慮にも十分な紙幅が割かれている)に整理されている。
例えば、程度を尋ねる際に「どちらともいえない」を選択肢に含めるべきかどうかという個人的に長年悩まされてきた問題。日本人は特に中間回答バイアスがが強いため、ほとんどの回答者が当該問題を考えたことがあって回答できるはずと判断できる場合は使用せず、逆に複雑な問題に関する意見を求める場合は使用することが推奨される、という一応の答えも得られた。
アンケート調査を実施するにあたって、一度は目を通す価値があると思われる一冊。考える・やるべきことが具体的かつ網羅的(倫理的配慮にも十分な紙幅が割かれている)に整理されている。
例えば、程度を尋ねる際に「どちらともいえない」を選択肢に含めるべきかどうかという個人的に長年悩まされてきた問題。日本人は特に中間回答バイアスがが強いため、ほとんどの回答者が当該問題を考えたことがあって回答できるはずと判断できる場合は使用せず、逆に複雑な問題に関する意見を求める場合は使用することが推奨される、という一応の答えも得られた。
約1,200もの論文を参照して、差別を「可視化」し、外国人への差別の実態とその背景にある排外主義の発生理由、それらを減らす方法を論じる一冊。差別は、嗜好に基づくものと不十分な情報に基づく統計的なものに大別できること、「差別はそれを経験した人に害をもたらすから悪い」こと、集団間接触の増加、誤認識を修正する情報提供、移民に寛容な政策が対策として効果的ということなどが明らかにされる(例えば、自治体内の移民割合が高まるにつれ排外主義も高まるが、その割合が10%を超えると減少に転じるなど)。
結論が正反対な実証研究が多々あるなど、研究最前線のリアルな姿も。
約1,200もの論文を参照して、差別を「可視化」し、外国人への差別の実態とその背景にある排外主義の発生理由、それらを減らす方法を論じる一冊。差別は、嗜好に基づくものと不十分な情報に基づく統計的なものに大別できること、「差別はそれを経験した人に害をもたらすから悪い」こと、集団間接触の増加、誤認識を修正する情報提供、移民に寛容な政策が対策として効果的ということなどが明らかにされる(例えば、自治体内の移民割合が高まるにつれ排外主義も高まるが、その割合が10%を超えると減少に転じるなど)。
結論が正反対な実証研究が多々あるなど、研究最前線のリアルな姿も。
『熟議民主主義研究手法』所収(6章)。
熟議の質を定量的に計測することを目指して発案されたDQIの進化を紹介する論文。当初は、静的な形式面が重視されていたが、相互作用や時間・空間的な拡がりなどの動的な実質面に注目するよう改訂されてきており、機械学習による自動化の試みも有望という。ただし、集計問題(多次元性がある場合は単純集計には適さない)や、解釈主義的課題(文脈や観察者によって解釈が異なる可能性)なども指摘されており、熟議の質は単一的にではなく、目的と文脈に応じて評価される必要があるという。
『熟議民主主義研究手法』所収(6章)。
熟議の質を定量的に計測することを目指して発案されたDQIの進化を紹介する論文。当初は、静的な形式面が重視されていたが、相互作用や時間・空間的な拡がりなどの動的な実質面に注目するよう改訂されてきており、機械学習による自動化の試みも有望という。ただし、集計問題(多次元性がある場合は単純集計には適さない)や、解釈主義的課題(文脈や観察者によって解釈が異なる可能性)なども指摘されており、熟議の質は単一的にではなく、目的と文脈に応じて評価される必要があるという。
アイルランドで行われた抽選制「市民会議」(2016-18年)の録画から自動取得した38万語のコーパスを統計的に分析した論文。専門家セッションで説明されたトピックがQ&Aセッションで取り上げられ、多く話される確率が高いため、議題設定に影響を与えうることや、女性・学識経験者に比べ男性・実務家による情報の方が影響力を持つことを明らかにする。よって、参加者だけでなく専門家の選抜についても多様性と包摂性を考慮する必要があるという。
熟議セッションが対象でない(録画がない)のは惜しいが、分析手法は魅力的。相当難しそうだが、導入検討の価値はある。
アイルランドで行われた抽選制「市民会議」(2016-18年)の録画から自動取得した38万語のコーパスを統計的に分析した論文。専門家セッションで説明されたトピックがQ&Aセッションで取り上げられ、多く話される確率が高いため、議題設定に影響を与えうることや、女性・学識経験者に比べ男性・実務家による情報の方が影響力を持つことを明らかにする。よって、参加者だけでなく専門家の選抜についても多様性と包摂性を考慮する必要があるという。
熟議セッションが対象でない(録画がない)のは惜しいが、分析手法は魅力的。相当難しそうだが、導入検討の価値はある。
筆者は、サントメールによる熟議民主主義におけるくじ引きの意義を整理した上で、仏研究者によるパリ20区住区評議会の研究を紹介し、抽選メンバーの「経験的認識(慣習知)」に基づく発話が、情報捕捉的性格による熟議促進効果、事実立脚的性格による婉曲効果、個人的権利要求および党派的発言抑制効果をもたらしたことを報告する。ただし、抽選制がもたらす中立性への過度の称揚が、元々参加に積極的な活動家などを排除する例があることを、自らの調査に基づき指摘している。
排除されていない例の調査もしており、両者における熟議内容の比較検討が欲しいところ。
筆者は、サントメールによる熟議民主主義におけるくじ引きの意義を整理した上で、仏研究者によるパリ20区住区評議会の研究を紹介し、抽選メンバーの「経験的認識(慣習知)」に基づく発話が、情報捕捉的性格による熟議促進効果、事実立脚的性格による婉曲効果、個人的権利要求および党派的発言抑制効果をもたらしたことを報告する。ただし、抽選制がもたらす中立性への過度の称揚が、元々参加に積極的な活動家などを排除する例があることを、自らの調査に基づき指摘している。
排除されていない例の調査もしており、両者における熟議内容の比較検討が欲しいところ。
『熟議民主主義研究手法』論文集所収(20章)。
筆者によれば、多くの事例からの一般的相関・因果関係解明を目指す定量分析に対し、丹念なエビデンス評価を重ねていくこの定性的分析手法は、少数事例の具体的因果メカニズムを特定・説明できる。熟議民主主義研究では、①熟議の実践において決定的役割を果たしたのは何か、②どのような戦略が行動変容に影響を与えたか、③政策決定に影響した最大の要因は何か、などの先行研究で有効に使われてきた、という。
仮説検証テスト(pp. 295-6)なども含め、自分の方向性にとって非常に有益。
『熟議民主主義研究手法』論文集所収(20章)。
筆者によれば、多くの事例からの一般的相関・因果関係解明を目指す定量分析に対し、丹念なエビデンス評価を重ねていくこの定性的分析手法は、少数事例の具体的因果メカニズムを特定・説明できる。熟議民主主義研究では、①熟議の実践において決定的役割を果たしたのは何か、②どのような戦略が行動変容に影響を与えたか、③政策決定に影響した最大の要因は何か、などの先行研究で有効に使われてきた、という。
仮説検証テスト(pp. 295-6)なども含め、自分の方向性にとって非常に有益。
社会運動活動家/団体が、選挙によらずとも民主的代表としての正統性を持ちうるかの評価基準を「被影響者利害原理」に基づき提案する論文。筆者によれば、自薦代表の訴えは、授権・被影響者という二つの集団(consutituency)を作り出し、特に後者を「見える・聴かれる化」し、エンパワーするポテンシャルを持つ。そして、後者からも授権され(承認、支持、寄付、参加など)、彼らに対する答責性を担保する仕組み(反論や離脱の機会など)を持てれば民主的代表たりうる、という。
興味深い視点だが、この種の(特に言説的)授権・答責性の有効性は検討の余地がありそう。
社会運動活動家/団体が、選挙によらずとも民主的代表としての正統性を持ちうるかの評価基準を「被影響者利害原理」に基づき提案する論文。筆者によれば、自薦代表の訴えは、授権・被影響者という二つの集団(consutituency)を作り出し、特に後者を「見える・聴かれる化」し、エンパワーするポテンシャルを持つ。そして、後者からも授権され(承認、支持、寄付、参加など)、彼らに対する答責性を担保する仕組み(反論や離脱の機会など)を持てれば民主的代表たりうる、という。
興味深い視点だが、この種の(特に言説的)授権・答責性の有効性は検討の余地がありそう。
著者によれば、自治基本条例の最高規範性規定は、最高規範性自体を明示するものや遵守義務を謳うものなど6種類に分類できるが、最も有力なのが、改正手続きを厳しくする(住民投票や特別多数決を組み込む)「硬性憲法型」である。とはいえ、その規定の存在だけでは不十分で、自治基本条例を頂点とする条例の体系化など、実効性を担保する運用上の仕組みも必要である。また、市民参加や情報公開といった市民の権利の根拠を定めることによっても、最高規範性は高められる、というのである。
著者によれば、自治基本条例の最高規範性規定は、最高規範性自体を明示するものや遵守義務を謳うものなど6種類に分類できるが、最も有力なのが、改正手続きを厳しくする(住民投票や特別多数決を組み込む)「硬性憲法型」である。とはいえ、その規定の存在だけでは不十分で、自治基本条例を頂点とする条例の体系化など、実効性を担保する運用上の仕組みも必要である。また、市民参加や情報公開といった市民の権利の根拠を定めることによっても、最高規範性は高められる、というのである。
筆者によれば、全国の152の条例を対象に、内容を指標化の上、それぞれの条例を数値化し、主成分分析を行った結果、それまでの「政策テーマ型」「自治基本型」「フルセット型」という類型化に加え、「直接民主主義志向」(採用する/しないに二分化される)と「参加・参画の具体化・義務化傾向」(前者ほどの特色は出ていない)という成分での類型化が可能だという。自分が主成分分析に通じていないこともあり、分析結果の解釈が明確とは言い難いが、条例内容の指標(表4)は、今後の条例分析の参考になりうる。
筆者によれば、全国の152の条例を対象に、内容を指標化の上、それぞれの条例を数値化し、主成分分析を行った結果、それまでの「政策テーマ型」「自治基本型」「フルセット型」という類型化に加え、「直接民主主義志向」(採用する/しないに二分化される)と「参加・参画の具体化・義務化傾向」(前者ほどの特色は出ていない)という成分での類型化が可能だという。自分が主成分分析に通じていないこともあり、分析結果の解釈が明確とは言い難いが、条例内容の指標(表4)は、今後の条例分析の参考になりうる。
自治基本条例を扱う論文で必ずと言っていいほど言及される一冊。
第I部は、一職員が自治体学会の地方分科会に出席したことから、木佐北大教授(当時)の研究会などに縁ができ、後に町長となる逢坂もそこに参加。その後の紆余曲折を経て、手弁当の「自治基本条例プロジェクト」が発足して独自の草案を練り上げ、町による条例案作成、議会での審議・可決を経て、日本初の自治基本条例「ニセコ町まちづくり基本条例」が誕生するまでの約9年間のルポルタージュ。第II部では、自治基本条例の意義、必要性、論点、今後の展望などが一般論として論じられる。
自治基本条例を扱う論文で必ずと言っていいほど言及される一冊。
第I部は、一職員が自治体学会の地方分科会に出席したことから、木佐北大教授(当時)の研究会などに縁ができ、後に町長となる逢坂もそこに参加。その後の紆余曲折を経て、手弁当の「自治基本条例プロジェクト」が発足して独自の草案を練り上げ、町による条例案作成、議会での審議・可決を経て、日本初の自治基本条例「ニセコ町まちづくり基本条例」が誕生するまでの約9年間のルポルタージュ。第II部では、自治基本条例の意義、必要性、論点、今後の展望などが一般論として論じられる。
自治基本条例も扱う重要参考文献候補であり、全体像把握のための最初の流し読み。
政策法務を「法を政策実現の手段と捉え、政策実現のためにどのような立法、法執行、訴訟評価が求められるかを検討する理論及び実務における取り組み」と定義し、政策法務の基礎(第1部)、政策的検討の理論(第2部)、法的検討の理論(第3部)、政策法務の実践(第4部)という流れで解説する教科書的一冊。
行政学や政治学、政策学とも異なるという「政策法務学」という学問領域を耳にしたのは初めてであり、まずはその違いが腑に落ちるまで理解することが必要。
自治基本条例も扱う重要参考文献候補であり、全体像把握のための最初の流し読み。
政策法務を「法を政策実現の手段と捉え、政策実現のためにどのような立法、法執行、訴訟評価が求められるかを検討する理論及び実務における取り組み」と定義し、政策法務の基礎(第1部)、政策的検討の理論(第2部)、法的検討の理論(第3部)、政策法務の実践(第4部)という流れで解説する教科書的一冊。
行政学や政治学、政策学とも異なるという「政策法務学」という学問領域を耳にしたのは初めてであり、まずはその違いが腑に落ちるまで理解することが必要。
ひとつの学問分野において、ある理論が生まれ、批判され、それを乗り越える新しい理論が生まれる。このようなプロセスが繰り返されることで、その分野が進化していく過程をわかりやすく解説した一冊。「同業者からの攻撃は怖い」が「それでも書くべき本だと思った」と筆者の言に違わず、学問の世界と一般読者をうまく架橋している印象を受けた。他の様々な学問分野でも存在してほしいタイプの入門書。
理論があるからこそ見えることがある一方で、見えなくなるものもある、という指摘は、常に意識しておきたい。
ひとつの学問分野において、ある理論が生まれ、批判され、それを乗り越える新しい理論が生まれる。このようなプロセスが繰り返されることで、その分野が進化していく過程をわかりやすく解説した一冊。「同業者からの攻撃は怖い」が「それでも書くべき本だと思った」と筆者の言に違わず、学問の世界と一般読者をうまく架橋している印象を受けた。他の様々な学問分野でも存在してほしいタイプの入門書。
理論があるからこそ見えることがある一方で、見えなくなるものもある、という指摘は、常に意識しておきたい。
筆者によると、統計分析の結果、最も有意な要因は自治体の面積の広さで、市町村合併の有無との有意な関連も、これで説明出来る(なお、対等/吸収合併間には有意差はない)。制定されている自治体のうち、非合併自治体は、都市的性格(DID人口比や財政指標)が強く、相対的に非自公的傾向(比例代表選での得票率)を持つ住民が多い。一方、合併自治体では、首長の属性よりも合併に伴う自治体内での変動(面積の広域化など)の方が制定の誘因となっている。
筆者によると、統計分析の結果、最も有意な要因は自治体の面積の広さで、市町村合併の有無との有意な関連も、これで説明出来る(なお、対等/吸収合併間には有意差はない)。制定されている自治体のうち、非合併自治体は、都市的性格(DID人口比や財政指標)が強く、相対的に非自公的傾向(比例代表選での得票率)を持つ住民が多い。一方、合併自治体では、首長の属性よりも合併に伴う自治体内での変動(面積の広域化など)の方が制定の誘因となっている。
重要参考文献候補の一冊で、まずは各章の結論を中心にざっと読み。
自治の担い手としての住民の集合的アイデンティティ構築という視点を軸に、「協働」という語が隆盛を極めるようになった経緯、市民への定着度合い、制定後のインパクトなどを、統計的分析を中心に検討し、その限界と可能性、今後の展望などを論じる。
自治基本条例を扱うにあたっては、第一の参照点として、「ニセコ町まちづくり基本条例」を押さえておく必要がありそう。
重要参考文献候補の一冊で、まずは各章の結論を中心にざっと読み。
自治の担い手としての住民の集合的アイデンティティ構築という視点を軸に、「協働」という語が隆盛を極めるようになった経緯、市民への定着度合い、制定後のインパクトなどを、統計的分析を中心に検討し、その限界と可能性、今後の展望などを論じる。
自治基本条例を扱うにあたっては、第一の参照点として、「ニセコ町まちづくり基本条例」を押さえておく必要がありそう。
筆者によれば、ミニ・パブリックスが外部的妥当性も備えるためには、その出力が公共圏の熟議の正統な参照点となることが求められる。そのためには、当該テーマにつき全ての評価基準を検討し、認識的にも優れる「加算型の情報探索」を促し、結果集計の際に生じる論理的不整合(オストロゴルスキーのパラドクス、推論のジレンマ)を回避するために、単純な多数決ではなく、結論を導くための理由や根拠の集約を基に論理的に結論を導く「前提判断に基づく決定手続」が有効である。
筆者によれば、ミニ・パブリックスが外部的妥当性も備えるためには、その出力が公共圏の熟議の正統な参照点となることが求められる。そのためには、当該テーマにつき全ての評価基準を検討し、認識的にも優れる「加算型の情報探索」を促し、結果集計の際に生じる論理的不整合(オストロゴルスキーのパラドクス、推論のジレンマ)を回避するために、単純な多数決ではなく、結論を導くための理由や根拠の集約を基に論理的に結論を導く「前提判断に基づく決定手続」が有効である。
「新しい歴史教科書をつくる会」についての論考の後に、指導学生による同会の一支部の参与観察卒論(改稿)を中心に据え、それに対する考察を最後に加えた一冊。共通の言葉が通じるゆるい集団内で「サヨク」等の「普通でないもの」を忌避・排除することで、「普通」な自分を確立しようとする、従来の右翼像とはかけ離れた参加者像を明らかにし、新しいナショナリズム運動の未来を示唆する。長期的には排除する対象が外国人労働者等に向かうとの指摘(小熊)は、今日の状況を考えると鋭く、一事例での研究の意義を示す好例。
「新しい歴史教科書をつくる会」についての論考の後に、指導学生による同会の一支部の参与観察卒論(改稿)を中心に据え、それに対する考察を最後に加えた一冊。共通の言葉が通じるゆるい集団内で「サヨク」等の「普通でないもの」を忌避・排除することで、「普通」な自分を確立しようとする、従来の右翼像とはかけ離れた参加者像を明らかにし、新しいナショナリズム運動の未来を示唆する。長期的には排除する対象が外国人労働者等に向かうとの指摘(小熊)は、今日の状況を考えると鋭く、一事例での研究の意義を示す好例。
自治基本条例は、自治体の最高規範として体系性や指針性が評価される一方で、制定自体が目的化し、抽象的かつ市民の期待と実施段階のコントロール可能性が小さいとも批判される。これを実効的なものとするためには、制定後の継続的な検証が不可欠である。そこで9自治体の事例の比較検討の結果、①推進計画策定を組み込む「プロセス多層型」、②市民・議会・行政による「多元型」、③見直し時期を明示する「定時型」、④経験の蓄積と幅広い学習を可能とする「人材育成型」のシステムによる検証が有効と説く論文。
自治基本条例は、自治体の最高規範として体系性や指針性が評価される一方で、制定自体が目的化し、抽象的かつ市民の期待と実施段階のコントロール可能性が小さいとも批判される。これを実効的なものとするためには、制定後の継続的な検証が不可欠である。そこで9自治体の事例の比較検討の結果、①推進計画策定を組み込む「プロセス多層型」、②市民・議会・行政による「多元型」、③見直し時期を明示する「定時型」、④経験の蓄積と幅広い学習を可能とする「人材育成型」のシステムによる検証が有効と説く論文。
著者によれば、石垣市自治基本条例では住民投票が制度化されていたが、陸上自衛隊配備計画の是非を問う住民投票運動が起こった際、市長及び議員はそれを阻止すべく自治基本条例を改正しようとした。結果として僅差で否決された一方、配備計画の賛否を問う住民投票実施条例案は否決され、住民投票は実施されなかった。
その後、住民投票実施を求める訴訟では住民側の敗訴が確定し、2021年の自治基本法条例改正により住民投票の実施を市長に義務付ける規定が削除されている。
著者によれば、石垣市自治基本条例では住民投票が制度化されていたが、陸上自衛隊配備計画の是非を問う住民投票運動が起こった際、市長及び議員はそれを阻止すべく自治基本条例を改正しようとした。結果として僅差で否決された一方、配備計画の賛否を問う住民投票実施条例案は否決され、住民投票は実施されなかった。
その後、住民投票実施を求める訴訟では住民側の敗訴が確定し、2021年の自治基本法条例改正により住民投票の実施を市長に義務付ける規定が削除されている。
ニセコ町や中野区を対象に、自治基本条例の意義と制定過程を考察した論文。自治基本条例は、ケルゼン的「法段階説」ではなく「法調整説」的な最高規範性を持ち、個別条例を総合化・体系化する役割のものと理解するのが適切とする。なお中野区での実践を、有識者と市民委員(各4名)による審議会、パブリックコメントや意見交換会の開催を根拠に、一定の市民参加と行政との協働が見られたと評価するが、他の事例と比べ、その度合いが特段高いとは思われない(むしろ平均的?)。
ニセコ町や中野区を対象に、自治基本条例の意義と制定過程を考察した論文。自治基本条例は、ケルゼン的「法段階説」ではなく「法調整説」的な最高規範性を持ち、個別条例を総合化・体系化する役割のものと理解するのが適切とする。なお中野区での実践を、有識者と市民委員(各4名)による審議会、パブリックコメントや意見交換会の開催を根拠に、一定の市民参加と行政との協働が見られたと評価するが、他の事例と比べ、その度合いが特段高いとは思われない(むしろ平均的?)。
ミニ・パブリックスにおける代表性の限界(とその一定の対処法)が明確に論じられ、非常に有用。ただ、「知る限り唯一の」抽選/自薦比較研究として、Griffin et al.(2015)が引用され、「包摂性に大きな違いは見られなかった」(p154)と述べられているが、対象事例が理想的な無作為抽出ではないことを注記する必要があると思われる。
ミニ・パブリックスにおける代表性の限界(とその一定の対処法)が明確に論じられ、非常に有用。ただ、「知る限り唯一の」抽選/自薦比較研究として、Griffin et al.(2015)が引用され、「包摂性に大きな違いは見られなかった」(p154)と述べられているが、対象事例が理想的な無作為抽出ではないことを注記する必要があると思われる。
ネブラスカ州リンカーン市で2008〜9年に行われた熟議イベント(予算仕分け)を対象にした抽選と自薦による代表性の対照研究(続く)。
ネブラスカ州リンカーン市で2008〜9年に行われた熟議イベント(予算仕分け)を対象にした抽選と自薦による代表性の対照研究(続く)。
実際に行われたミニ・パブリックスへの招待者に対するアンケート調査の分析により、参加承諾者は、比較的高齢で、参加意欲・政治関心度・政治的有効感が高い層に偏っており、無作為抽出であっても、参加者の属性は公募とあまり変わらず、一般市民の声を吸い上げるには限界があることを示唆する論文。一事例ではあるが、実際に参加/不参加の決断をした人々が対象であり、31項目の説明変数を用いた手法も相まって、説得力は高いと思われる。
実際に行われたミニ・パブリックスへの招待者に対するアンケート調査の分析により、参加承諾者は、比較的高齢で、参加意欲・政治関心度・政治的有効感が高い層に偏っており、無作為抽出であっても、参加者の属性は公募とあまり変わらず、一般市民の声を吸い上げるには限界があることを示唆する論文。一事例ではあるが、実際に参加/不参加の決断をした人々が対象であり、31項目の説明変数を用いた手法も相まって、説得力は高いと思われる。