ほみ
banner
homii.bsky.social
ほみ
@homii.bsky.social
4 followers 4 following 35 posts
Posts Media Videos Starter Packs
男が主人公の方がおもろいかもしれない。だってもう散々やったやないですか。女をダシにして物語を作るやつ。
思ったんだけど、村上春樹の最近の連作について、男が主人公で、高圧的な男と知り合い暴言を吐かれ、執着される恐怖から逃してくれるありくいが現れる…でもぜんぜんいいと思う。
なんで女じゃなきゃいけないのさ、お前ほど醜い女を見たことがないとさまざまな女に言って回る変質者の相手をするの。
松家さんの対談が載っていて、ずーっと昔に読んだ作品の前章譚? の話が出たということを知る。この方が客員教授をやった授業を取っていた。それもずーっとずーっと昔の話だ。
平野啓一郎の講演も、大学で一年生の頃に聞いた。なんか不機嫌そうな人だなと思いながら聞いていたが、その態度で間違いない、その態度がぴったりな大学だったのだ。
そういう方なのかも知れないし、そういう気分だったのかも知れないけど、きっとそういう態度を取られて然るべき組織だったのだ。そういうことは卒業してから分かった。なんか、相手に対する敬意とか真摯さの満ちてない場所だった気がするから。
『新潮(2025年5月号)』掲載の「武蔵境のありくい」を読んだ。出刃包丁が出てきたなら、誰かが刺されなければならない。
どんなおじいさんになったのかなキャンペーンとして昨日に引き続き、村上春樹の近作を読んだ。「夏帆」より面白かった、女が男に虐げられる画を見せられなくてよかった分。
主人公をコインとして、裏としてのモーターサイクル男、表あるいは分身としてのありくい夫婦。夏帆はジャングルにも在る。彼女が特別なのではなく、我々もきっと…と空想できるほどこの世界は平穏ではない。
己の利益のために人を虐げるな。己の弱さのために人を差別するな。己の無知のために人を傷つけるな。それをはっきり示してほしい。
この号に金原ひとみの書いた話もあるのですが、日本のことがちゃんと書いてありました。その中で「さなぎ」として身動きのできない「13歳の少年」、でも周りは蠢き、なんとかしたいともがく姿が描いてあった。
私は大学生まで、文体がよかったら内容がないよーでもいいじゃない、って思ってたんですよ。それは違いますわな。書かないとね、この世を。それが文筆の仕事ではないか。
村上春樹はなんか、卵を守る側! 的なスタンスなのか知らないが、はっきり言ってほしい。虐殺やめろ、差別やめろ、困っている者・弱い者を救う勇気を持て。そう言ってくれ。どうか、その名声を使って轟かせてください。
カフカ少年は15歳であり、それを読んだ私もたしか15歳前後だった。面白かった。カフカ少年とその母親の関係に「え…」ってなったり、バスで知り合ったお姉さんへの態度に「え…」とはなったが、むあそんなもんなのかね、知らんけど、で済んだ。済ますしかなかった。きもいことだっていうのを「知らなかった・分からなかったから」。
1Q84から完全に無理になった。一番最近に手に取ったのは『女のいない男たち』だが、日野の話以外についつは面白みがなかった。それで、今現在、どんなおじいさんになってんだろうと気になったのだ。失礼ですよね。
村上春樹は何にも言っていなかった。虐殺のことや、世界のことや日本のこと、何にも。
『新潮(2024年6月号)』を図書館で借りてきた。
今月の新潮に、村上春樹の書き下ろしの話が載っていることををSNSで知った。
どんな耄碌じいさんになってんのかな(どうしてそんな失礼なの?)って思って、久しぶりに読んで確かめたかった。ネットで調べたら、どうも前に2つの小品のある連作らしい。図書館でその二つが載っている雑誌を借りてきた。
『夏帆』が一つ目の話で、それを読んだ。そんなに耄碌していなかった。
私にとって、村上春樹の何が許せないって、女をダシにして物語を作るところだ。そして夏帆ね。主人公が女で、ある男に暴言を吐かれるところから始まるのね。そうね。変わらないね。
ハンガン『すべての、白いものたちの』を読んだ。
ハンガンの書く哀悼と回復に心を慰められる。
私の中で回復というと大江健三郎(『恢復する家族』…)で、大江健三郎の書く「回復・恢復」はどぎついエゴだと私は思う。そして必要なことである。どうにかして自分を立て直さないといけないことはある。
ハンガンの回復はなんか、もっと淡くて願いに近いから、利己的…というのから遠く思える。それに救われる。
我々が生きていくにはエゴイズムが必要で、くじいた足を叱咤しないと生きていけないから。称えられるべき壁に灯されるロウソクの揺れや、燃やされる木綿のチョゴリの煙を見守る世界が近くにあってほしい。
しばらくハンガンを読んでる。菜食主義者と、回復する人間の左手(だったっけ)は読めなかった。ハンガンの「夫」の主観がしんどくて読めない。あの無関心さ。面白みのなさ。つまり真摯な態度の欠如。私も「夫」に対して同じ感想を持つよ。

ハンガンの描く女が回復する。少年にも少女にも生きていてほしいと思うよ。
彼女「も」、ケイスの「特別」に代わる・超えることにならなかったから去った。
主人公の特異な点にあんまり気づかなかった(時間がなくてさくさく読んだ)のでちゃんと分からない。特異点はチバ・シティの娘に対する真摯さ。
ネタバレになるが、彼女がケイスを選ばなかった理由もヒントになるのかなぁ。彼女にも「特別」な存在があり、ケイスはそれを上回ることも、代わりにもならなかったので去った、ということなんだろうっていう、それだけじゃなくて。
ケイスは飛び抜けて優れたスペースカウボーイ…っていうなら、AIに選ばれる理由にもなる(+師匠も手に入るし)けど。そんなこともないってモリィはからかったので、優れてるけど特別ではない技量だと読んだ。
目を借りるとか体を改造して武器の扱いを得意にするとか、攻殻機動隊を(押井守の映画版を特に)夢中で見てた私は、こんな時から描かれてあったのねぇと思った。「我々」はいつも、借りてくるのが上手だね、と思う。
自分のアイデンティティになってるものを取り上げられた自暴自棄を書くチバ・シティ編。そこで失われた娘、からの場所を二転三転して師匠と相棒、粘着質な裏切り者、理解のある?敵を書く。よく破綻なく、チープでもなく、つまんないとこもなくこんな世界をこんなボリュームで書き切ったなぁと感心する。すごすぎる。
分割されたAIがケイスを選んだのはなんで。私にはぴんとこなかったので、もうしばらく反芻して考えよう。
ウィリアムギブスン『ニューロマンサー』を読んだ。面白かった。有名な海外文学は面白い。有名なだけあるわねぇ〜ではなくて、読んだ人それぞれが「これはいいなぁ、よかったなぁ」としみじみしただろうなという良さ。読んでない人間と読んだ人間の間に違いが出るだろうって感想になるのは、常に海外文学だ。読んでよかった。
ベスターの『ゴーレム100』を思い出しながら読んだ。ウィキペディア見たらゴーレム100→1980年・ニューロマンサー→1984年発刊?らしい。
ニューロマンサーはおふざけでおかしいわけじゃないけど、スペースカウボーイとかチバ・シティとか、単語に笑っちゃう感じで楽しかった。
サッカー好きだったけど、今は興味ない。
深夜にネットでプレミアリーグのライブ見たり、トレードの噂になぞに一喜一憂したりチームの運営に目くじら立てたり、なぞだった。
冬のサッカーはいいなと今も思う。なんか年の終わりが見えてくる頃の盛り上がりが好きだった。
音楽流しながら勉強してて、今サカナクションの『Aoi』が流れている。
一時期サッカーをよく見てたんだけど、NHKのサッカー中継だったか、サッカー番組のテーマ曲として流れてた。
それを見て・聞いていた当時の「空気感」的なものに意識が遡行する。
興味を持ったものについてテレビや本やで情報集めたり、頑張ってライブを見に行ったりするのは本当に大事だし、豊かだ。でも時間や金銭的に恵まれていないとできないことだ。
さらに「でも」、それは人間として生きてる・生きていくのに必要だと思う。
虫が苦手な方すみません…
シオヤアブのオス!
カッコいい可愛い。白いぽんぽんも、なんか決まってる髪型っぽいのもいい。
こういう言い方はなんだけど、トムハーディなら許せたかもしれない。何となく。
トムハーディ(の演じるダニエルクレイグの役)ならそんなことしないかもしれない。何となく。
ドラゴンタトゥーの女を見た後にキャロルを見たいんだが、ドラゴンタトゥーの女のダニエルクレイグ(の役)をいつまで経っても許すことができず、ドラゴンタトゥーの女からのキャロル、という最高を味わえない。悔しい。
昔ツイッターだったSNSで、映画ドラゴンタトゥーの女の場面が流れてきた。ルーニーマーラの駅での格好良い場面。
ほんとに、ほんとにルーニーマーラがいい! からもう一度見たいんだけど、どうしてもダニエルクレイグの(役の)ルーニーマーラ(の役)に対する態度がむかついて見られない。ルーニーマーラ(の役)に酷いことをするクソ野郎も嫌すぎるが、ダニエルクレイグ(の役)をさらに許せない。
わたしゃ最後から二番目の恋が好きだった。続続ということは続があったんだろう、それを見れてないけど、続続を見てみよう。
音楽のライブはいいなぁ。プロも大学生のコピーバンドもいい。なんかあの共有される感じや協力してつくる感じが好きだ。
何を共有し協力してつくるかというと、歌であり、それは情動っていう刹那的なものなのがまたいい。情動の爆発的なことの起こる音楽ライブ。
夢の中でラルクのステイアウェイを歌った。イオン的な複合商業施設で素人のライブイベントが開催されていた。小中学生あたりの年の女の子が歌い、男の子がギターを弾いて、後の音は音源だった。なぜかABCマート的な靴屋の店内が彼らのライブ会場で、そこに置かれた長椅子に私は腰掛けて、彼らの演奏を聞いていた。そして一緒に歌った。気分がよかった。
ギターソロでしくじった彼を励ましたかった。だから手を上げて手拍子をしたし、後に続く歌詞を歌ったのだった。
ナインインチネイルズの曲が好きだ。この曲ももう10年以上も前にリリースされたものなのか。
もうすぐ放映するゼンデイヤの映画の音楽も担当してるよう。見てみたい。
m.youtube.com/watch?v=Hj25...