最初で最後の貴重な初見グノーシアは、ちゃんと薬に漬かった正常な思考で観たいから
おやすみなさい
最初で最後の貴重な初見グノーシアは、ちゃんと薬に漬かった正常な思考で観たいから
おやすみなさい
母親のお腹の中にいる時になら母親の胃を直接撫でてあげる事ができたかもしれないのにな
そんなことを思いつきもせず、ただ自分の内臓を発達させることばかり考えていたから、僕の内臓はこんなにも雄弁になってしまったのかもしれない
母親のお腹の中にいる時になら母親の胃を直接撫でてあげる事ができたかもしれないのにな
そんなことを思いつきもせず、ただ自分の内臓を発達させることばかり考えていたから、僕の内臓はこんなにも雄弁になってしまったのかもしれない
身体が悲しんでいるとき、私はやっぱり脳ではないんだな〜と感じる
悲しいときは胃(のあたり、多分)が収縮しているのを感じるし、寂しい時は腸が、たまに心臓がよく主張しているなって思う
うぜーと思うけど、逆に胃が縮むことで初めて悲しいが認定されているのかもしれないから、安易に存在とは脳であれよとは思えない
身体が悲しんでいるとき、私はやっぱり脳ではないんだな〜と感じる
悲しいときは胃(のあたり、多分)が収縮しているのを感じるし、寂しい時は腸が、たまに心臓がよく主張しているなって思う
うぜーと思うけど、逆に胃が縮むことで初めて悲しいが認定されているのかもしれないから、安易に存在とは脳であれよとは思えない
「最近は動けていたのにな」と思っていたら昨日の夜に薬を飲み忘れていたらしかった やっぱり無いと駄目なものなんだな
「最近は動けていたのにな」と思っていたら昨日の夜に薬を飲み忘れていたらしかった やっぱり無いと駄目なものなんだな
でもちょっと伝わったらしい しかし意識しないとこの苦痛から逃げているということは、すでにかなり事態が進行している事だと思う まずい
ところでさっきなんとなくの実感がふとあったんだけど、例えばジョナスってこれを自制なくやりすぎた末の姿なのでは?(突然のオタク)
でもちょっと伝わったらしい しかし意識しないとこの苦痛から逃げているということは、すでにかなり事態が進行している事だと思う まずい
ところでさっきなんとなくの実感がふとあったんだけど、例えばジョナスってこれを自制なくやりすぎた末の姿なのでは?(突然のオタク)
輪郭を好きなピントにぼかして自分の口から出したい言葉だけで世界を表現するの
でもこのままだといずれ僕はあなたと同じ言語で話せなくなるでしょうね
それはやっぱりちょっと怖いと思うから、僕はいまからでも算数をやるべきだと思うんですよ
輪郭を好きなピントにぼかして自分の口から出したい言葉だけで世界を表現するの
でもこのままだといずれ僕はあなたと同じ言語で話せなくなるでしょうね
それはやっぱりちょっと怖いと思うから、僕はいまからでも算数をやるべきだと思うんですよ
中学生の時に気がついた「手の痒み」も、高校生の時に指摘された「呼吸の浅さ」も、いつも原因は「緊張によるもの」らしかった
どの症状もいまだに生きている 明日の予定が白紙だろうと誰にも会わない生活が続こうと、僕にとっては毎日が発表会前夜らしいのである
でも踊ってない夜のことは知らないからね
お互いに
中学生の時に気がついた「手の痒み」も、高校生の時に指摘された「呼吸の浅さ」も、いつも原因は「緊張によるもの」らしかった
どの症状もいまだに生きている 明日の予定が白紙だろうと誰にも会わない生活が続こうと、僕にとっては毎日が発表会前夜らしいのである
でも踊ってない夜のことは知らないからね
お互いに
一縷の望みで「きっと音楽仲間を増やしたいだけだ」って思いたかったのに
もういやだよ 僕の中にこれ以上変なバイアスをつくらないで
一縷の望みで「きっと音楽仲間を増やしたいだけだ」って思いたかったのに
もういやだよ 僕の中にこれ以上変なバイアスをつくらないで
明日も生きてることの方がよほど怖い
母がいつか死ぬことは何よりも本当に怖い
やはり毎日言うべきなのだろうか、ずっとずっと大好きだよと
(ちなみに語句は違えど言ってはいる)
明日も生きてることの方がよほど怖い
母がいつか死ぬことは何よりも本当に怖い
やはり毎日言うべきなのだろうか、ずっとずっと大好きだよと
(ちなみに語句は違えど言ってはいる)
飼い犬のエルフが老衰して死んでしまう
主人公はエルフが生きている間、「ずっとずっと大好きだよ」と毎日伝えていたから、亡くなったあともみんなと違って後悔しなかった という話だった
愛や気持ちをきちんと日々伝えるのは大切だとして、では伝えていたら伝えられなくなったあとも後悔がないはずだというのは、そういうものなのかなあとも思う
そもそも愛を伝えるのは自分が後悔しないためなんだろうか
ましてや犬は同じ言語を持たないとされている
毎日言葉にしていたかどうかという切り取りは、本当は自己満足でしかないかもしれない
どうしたらいいんだろう
飼い犬のエルフが老衰して死んでしまう
主人公はエルフが生きている間、「ずっとずっと大好きだよ」と毎日伝えていたから、亡くなったあともみんなと違って後悔しなかった という話だった
愛や気持ちをきちんと日々伝えるのは大切だとして、では伝えていたら伝えられなくなったあとも後悔がないはずだというのは、そういうものなのかなあとも思う
そもそも愛を伝えるのは自分が後悔しないためなんだろうか
ましてや犬は同じ言語を持たないとされている
毎日言葉にしていたかどうかという切り取りは、本当は自己満足でしかないかもしれない
どうしたらいいんだろう
私はどっちのおばあちゃんも嫌いじゃなかった 少なくとも、お別れの時にはもっと悲しくなりたかったのにと思うくらいには
私はどっちのおばあちゃんも嫌いじゃなかった 少なくとも、お別れの時にはもっと悲しくなりたかったのにと思うくらいには
周りの人の悲しそうな顔を見て、その人たちへの同情からくる悲しさなのもしれなくて、結局それはどうなのかわからなかった
無視できるな、と思ったけど、故人が自分の葬式では自分のためにみんなに泣いて欲しいだろうなという人だったので、そのまま少し涙も流した
周りの人の悲しそうな顔を見て、その人たちへの同情からくる悲しさなのもしれなくて、結局それはどうなのかわからなかった
無視できるな、と思ったけど、故人が自分の葬式では自分のためにみんなに泣いて欲しいだろうなという人だったので、そのまま少し涙も流した
友人の歌みたのMVの背景素材に使うつもりで行ったんです
でもあらためて回ったら体力吸われて本当にやりたくなくなっちゃったな
友人の歌みたのMVの背景素材に使うつもりで行ったんです
でもあらためて回ったら体力吸われて本当にやりたくなくなっちゃったな
おほほ、口説いてるんですよ おわかりですか?
いつだって僕のコミュニケーションの宛先は虚空に向かってですから、これはラブレターどころかコミュニケーションとも呼べないシロモノですけど
おほほ、口説いてるんですよ おわかりですか?
いつだって僕のコミュニケーションの宛先は虚空に向かってですから、これはラブレターどころかコミュニケーションとも呼べないシロモノですけど