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20代の頃に葛西薫さんと初めて仕事をしたときの話(15:00頃)や建築写真についての考え方(36:00頃)など、60分の長尺に興味深い話がつまってます。
www.youtube.com/watch?v=Rv6H...
20代の頃に葛西薫さんと初めて仕事をしたときの話(15:00頃)や建築写真についての考え方(36:00頃)など、60分の長尺に興味深い話がつまってます。
www.youtube.com/watch?v=Rv6H...
ちなみに写真ではただひとり、萱原里砂さんの作品も8点展示されてます。
ちなみに写真ではただひとり、萱原里砂さんの作品も8点展示されてます。
www.youtube.com/watch?v=W5hj...
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戦争画といっても近代戦は機械戦なので絵にならない、と当時言われていたそうだけど、それに対して接近戦、肉弾戦を描くという方法で情熱的に応えたのが藤田嗣治だそうな。藤田は敗色濃厚となっても「自分でもおもしろいほど、絵が描けてしょうがない」と語ったそうで、画家としての業の深さは小磯良平や宮本三郎らと比べても際立っていると思う。
同じ切り口で「写真家と戦争」の展示も見てみたい。
戦争画といっても近代戦は機械戦なので絵にならない、と当時言われていたそうだけど、それに対して接近戦、肉弾戦を描くという方法で情熱的に応えたのが藤田嗣治だそうな。藤田は敗色濃厚となっても「自分でもおもしろいほど、絵が描けてしょうがない」と語ったそうで、画家としての業の深さは小磯良平や宮本三郎らと比べても際立っていると思う。
同じ切り口で「写真家と戦争」の展示も見てみたい。
葛西薫さんの言葉や立ち振る舞いからは、葛西さんが作られる数々のものと同様の、慎ましさの奥にあるふつふつとした熱をいつも感じます。
葛西薫さんの言葉や立ち振る舞いからは、葛西さんが作られる数々のものと同様の、慎ましさの奥にあるふつふつとした熱をいつも感じます。
目や耳で涼を感じる、みたいな感性は大事にしたいなとは思うものの、それはぎりぎり気温32℃くらいまでのことで、年々増すばかりの夏の暑さに対してはそんな感性まるで役に立たなくなるのではないかとつくづく感じた6月末の京都でした。
目や耳で涼を感じる、みたいな感性は大事にしたいなとは思うものの、それはぎりぎり気温32℃くらいまでのことで、年々増すばかりの夏の暑さに対してはそんな感性まるで役に立たなくなるのではないかとつくづく感じた6月末の京都でした。
それはともかく、最近、美術館でファッションの展示が多い。面白い点もあるけれど、どうせやるならハイブランドだけでなくファストファッションやそれらが安く供給される社会の仕組みとかも掘り下げるようなものをやってくれないと、年間スケジュールを埋めるブランドの協賛ありきの企画?と勘繰ってしまうのが正直な気持ち。
それはともかく、最近、美術館でファッションの展示が多い。面白い点もあるけれど、どうせやるならハイブランドだけでなくファストファッションやそれらが安く供給される社会の仕組みとかも掘り下げるようなものをやってくれないと、年間スケジュールを埋めるブランドの協賛ありきの企画?と勘繰ってしまうのが正直な気持ち。
ガラスブロックを多用して光をとりこむ近代的な面と、しんとした暗がりをもつ様式的な部分が共存する魅力的な建築。これが戦前のものとは。
madoken.jp/series/32362/
ガラスブロックを多用して光をとりこむ近代的な面と、しんとした暗がりをもつ様式的な部分が共存する魅力的な建築。これが戦前のものとは。
madoken.jp/series/32362/
清洲訪問は岐阜からの帰り道。101歳で亡くなった祖父の家が岐阜市内にまだ残されていて、高齢の父に代わって自分が家の片付けを続けているものの、一向に物が減らない。明治末に生まれ、物のない山間部で育った祖父にとっては、物を捨てるなんていう発想はその人生のなかでなかったのかもしれない。納戸から未使用の絵葉書セットが大量に出てきた。
城戸さんの最近の写真の色調は、昔の絵葉書のカラーをすこし彷彿とさせるところがある。
清洲訪問は岐阜からの帰り道。101歳で亡くなった祖父の家が岐阜市内にまだ残されていて、高齢の父に代わって自分が家の片付けを続けているものの、一向に物が減らない。明治末に生まれ、物のない山間部で育った祖父にとっては、物を捨てるなんていう発想はその人生のなかでなかったのかもしれない。納戸から未使用の絵葉書セットが大量に出てきた。
城戸さんの最近の写真の色調は、昔の絵葉書のカラーをすこし彷彿とさせるところがある。
楢橋さんは父親がそのようなネガを遺していたことを遺品整理するまで知らなかったらしい。
父親が冷戦期にソ連や東欧へ滞在したことは昔から知っていたのに、存命中に詳しく聞こうとしなかった娘と、娘が写真家として活動していたのに、自分が写真を撮るのが好きだったことを娘には話さなかった父親。その関係性が60年という時差とネガの劣化による特殊な映像を生んでいるわけで、それもまたこの展示の不思議さの一部な気がする。
楢橋さんは父親がそのようなネガを遺していたことを遺品整理するまで知らなかったらしい。
父親が冷戦期にソ連や東欧へ滞在したことは昔から知っていたのに、存命中に詳しく聞こうとしなかった娘と、娘が写真家として活動していたのに、自分が写真を撮るのが好きだったことを娘には話さなかった父親。その関係性が60年という時差とネガの劣化による特殊な映像を生んでいるわけで、それもまたこの展示の不思議さの一部な気がする。
今年は中西さんの生誕90年の年らしく、ということはもうすぐ89歳になる横尾忠則さんとは1歳しか違わない、ということに今さら気付いて驚く。
今年は中西さんの生誕90年の年らしく、ということはもうすぐ89歳になる横尾忠則さんとは1歳しか違わない、ということに今さら気付いて驚く。
アトリエには昨年の1月から今年の3月まで7回通ったんですが、訪れるたびに作品が増えていって、絵を描く以外にも執筆やらインタビューやらを毎週こなされていて、これで自分の親より年上なんだから驚愕しかありません。
絵としてはもうよくわからないと言う人もいると思うし、じつは自分もそう感じていたけど、何度も見ているとやっぱり面白いんですよね。描かれているものの面白さはもちろんですが、それ以上に、絵に描かされている身体というものを感じます。
アトリエには昨年の1月から今年の3月まで7回通ったんですが、訪れるたびに作品が増えていって、絵を描く以外にも執筆やらインタビューやらを毎週こなされていて、これで自分の親より年上なんだから驚愕しかありません。
絵としてはもうよくわからないと言う人もいると思うし、じつは自分もそう感じていたけど、何度も見ているとやっぱり面白いんですよね。描かれているものの面白さはもちろんですが、それ以上に、絵に描かされている身体というものを感じます。
訳者あとがきで紹介されていた、同じ訳者さんによるエミール・ハビービーの『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』も図書館で借りてきた。
報道でしか知ることができないことはあるけれど、小説という形式からしか知ることができないこともあるような気がしている。
訳者あとがきで紹介されていた、同じ訳者さんによるエミール・ハビービーの『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』も図書館で借りてきた。
報道でしか知ることができないことはあるけれど、小説という形式からしか知ることができないこともあるような気がしている。
こういうことは義母だから手が動くけれど、実の親に対してはもどかしさとかイライラが先行してしまってできないなぁ。親子というのは難しい。
こういうことは義母だから手が動くけれど、実の親に対してはもどかしさとかイライラが先行してしまってできないなぁ。親子というのは難しい。
残された作品はこれからも多くの人の記憶にあり続けるし、自分も作品を前にする度にまた新しい発見をし続けるのだと思う。けれど、舟越さんだったら今の世界をどう見るのかな。その見方がどう作品に反映したろうかな。そんなことを考えたときに、でもそれはもう見れないんだと思うと、やっぱりすこし寂しい気持ちになります。
残された作品はこれからも多くの人の記憶にあり続けるし、自分も作品を前にする度にまた新しい発見をし続けるのだと思う。けれど、舟越さんだったら今の世界をどう見るのかな。その見方がどう作品に反映したろうかな。そんなことを考えたときに、でもそれはもう見れないんだと思うと、やっぱりすこし寂しい気持ちになります。