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ペーパーレスが推し進められ、紙媒体がどんどんなくなっていく。たしかに紙はかさばるし、始末が大変だし、あまりいいことはないかもしれない。
でも書籍や雑誌の手触りや重み、紙やインクのにおいといったさまざまな感触が失われるのはやはりさびしい。
ダミアン・ジャレ×名和晃平のPLANET@池袋。舞台美術が強烈。でもダンサーの動かし方はもっと工夫できそうな気がした。ちょっと美術に押された感じ。じっくりと見せたいのだろうけれど。
イスラム教を脅威と感じでいる人は少なくないように思う。でも、私がかつてパリで出会ったイスラム教の人たちはごく普通の人たちだった。
もちろん、困った人たちもいるだろうけれど、それは仏教でもキリスト教でも、無神論者でも同様だと思っている。
ナタリー・ドゥセ、フィリップ・カサールのリサイタル@桜木町。現在の声と歌を通じて演じたいドラマを考えぬいたすばらしいプログラム。表現の幅と豊かさはもちろん、すごいのは彼女のpp。通る声とはこういうことをいうのだろう。耳が追わずにはいられない緊張感。ムーティが言っていたように、まさに芸術。
それに私の場合、死んでも悲しむ人はいない(家族いないし)。政府も自治体も年金や医療費は出したくないだろうしね。あとは人に迷惑をかけないて死ぬ算段をしておかないとね。
やっぱり早く死んだ方がよさそうだ…と感じる今日この頃。私が死ねば温室効果ガスの排出量が微量だけど減る(実際に研究者から「死んじゃえ、死んじゃえ」と言われたこともある)。
円安だけど、株価は好調だし、いいんじゃないという人がかなりいる。でもいわゆる実体経済とはかけ離れているように感じる。株価だけ上がっていくならそれはバブルだし、そうした状況は早晩破綻してしまうのではないか。そして破綻の尻拭いをさせられるのは、国民(つまり私たち)である。
やっぱりいいな、と思うのはホーレワかな。初めて見るココレワもいいダンサー。こういうのを見ると、やはりカンパニーでの公演が見たくなる。
バレエの美神@東京国際フォーラム。A、Bプロともコンプリート(と言っても3公演しかない)。コロナ禍、ウクライナ紛争のために、ロシアのバレエカンパニーの来日がかなわないなか、久しぶりのロシアバレエ。
それでも、このプロダクションでシンデレラを見られるのは僥倖以外の何ものでもない。プロコフィエフのやや単調な音楽の隠れた魅力をここまで引き出せる振付家は稀だと思う。このプロダクションは大切にしてほしいと心から願っている。
アシュトンの振付は独特で、ピシピシ止めるところをうまくこなさないと小気味よさが伝わってこない。それと融けるような、流れるような流麗さが同居しているので難しいのだと思う。これがきっちりできていたのは、唯さん、五月女さん、奥田さんくらいかも。
新国立劇場バレエのシンデレラ千穐楽。唯さんとムンタギロフは本当にすばらしい。アシュトンも喜ぶと思う。道化の木下さんもよかった。サポーティングキャストとコールドバレエはもうちょっとかな。かつて見た時の方が完成度は高かった。
「反日左翼リベラルグローバリズム」と、全てをひとまとめにして書いている人がいた。でも、これ、ひとまとめにできるのだろうか?(←素朴な疑問です)
もちろん音はめちゃくちゃ取りにくいはずだし、混声四部どころか平気で16部とかに分かれる難曲ばかり。でもそれを表情豊かに歌ってくれる。そして醸し出される不協和音の何と美しいこと!私がなぜ合唱がこれほど好きなのか、その原点を聴かせてくれた。アンコールは3曲で何だか涙が出た。
スウェーデン放送合唱団のコンサート@オペラシティ。私にとっては間違いなく今年一番の演奏会。無理のない発声、あたたかなハーモニーに全身包まれるような錯覚に陥る。歌う曲はペルト、リゲティ、サンドストレームのような現代もの(一番ふるいのがR.シュトラウス)。
特に1幕のマルシャリンのモノローグはそのものズバリという感じなので、こういうところはもっと説得力を持たせてほしかった。たぶん要求しすぎなのだろうけれど。
歌手の方々も健闘していたが、表現の幅がもう少しほしかった。少々一本調子に聞こえてしまう。このオペラを聞くたびにホフマンスタールのリブレットのすごさに舌を巻くのだか、それは彼がフッサールやハイデガーの時間論を踏まえて書いているように思えるから。
ウィーン国立歌劇場の薔薇の騎士@上野。演出はオットー・シェンクだけれど、なんか雰囲気が違う。人物の動かし方がやや過剰で品がない。オケは素晴らしかった。ffは極力少なくして、室内楽的な繊細な響きを出していた。
新国立劇場バレエのシンデレラ。このプロダクションはロイヤルから買った古いものだけれど、今これを上回るプロダクションは作れないだろうと思う。読み替えとかそういう要素はなし。意地悪な継母もいない。異母姉たちのみ。でも完全な悪役ではない。全編があたたかみと品のよさに満ちている。
リアプコさんもウクライナ紛争でバレエ学校の先輩だった人をなくしている。自分の故郷が戦争に巻き込まれるなんて、本当に悲しいことだろうと思う。戦争は必要悪だといわれるけれど、人の生命が理不尽に奪われるようなことは、やはりあってはならないのではないか。
かつての彼は身体能力が高く、でも、内面的な表現に深みがないといわれていた。今は経験も豊かだし、そんなことはないと思うけれど、たぶん今でも、ストーリーものより抽象的な作品の方が彼のよさが生きるような気がする。
朝、支度しながら何となくニュースを見ていたら、突然話題がバレエになり、先日見た公演と、よく知った顔が映し出された。リアプコさんだ。ウクライナ語で話すのを初めて聞いた。というか、リアプコさんはもの静かな人で、普段もあまり喋らないからだ。
動きもセリフもきっちり決まっているし、めちゃくちゃスローだったり、何度も繰り返されたりするので、私自身もいろいろ考えることができる。時には休んで、瑣末なディテールを楽しむこともできる。講演の内野先生もおっしゃっていたけれど、これはなかなか真似できないことと思う。