れん
@lencon7.bsky.social
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筆算的に #ライアキ を考えたり生み出したり。恋愛要素薄め、ブロマンス寄り。 色々考えていますが全て妄想です。基本的に文字による呟きにカップリング要素はありません。 スクショはゼンゼロゲーム内や公式SNS等より引用。 作品(不定期更新)👉 https://xfolio.jp/portfolio/lencon
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プロフィールでも追記しましたが、私はカップリングというフィルターを通してあまり呟いていません。今後もし呟くのならその単語を入れて呟きます。

また今後カップリング要素なしでプラスの意味合いで呟く際は「月夜組」「悪態組」「機械組」「人造組」など棲み分けしたいと思います。
最後のワンドロライ、ありがとうございました!

お題「愛を教えてくれた人」で小説を書きました。
シーズン2第3章と第4章の内容が含まれています。また冒頭で少し設定を推測・捏造しています。

50回に及ぶお題、誠にありがとうございました!

#ライアキワンライ
ミアズマと知能水晶体、ズッ友というより生き別れた兄弟。
視認性優先し🐾くんで私は呟いていきます。
とりあえず怪啖屋は
🍊、🐰、🐾、📕、🐙
かな…。
🐾くんの着ていたエプロン、サイズ合っていないように感じたので、誰かの遺品なのかな…。
これまで長らく本当にありがとうございました。
お出しいただいたお題で、大事に作品へ反映させたいと思っています。
本当にありがとうございました。
お身体には十分お気をつけくださいませ。
🔫や🍵の命は有限ですか?無限ですか?
身体性を維持した混沌は、もはや混沌ではないのでは。
あるいは遊園地「混沌」。
ていうか人間は結構あっさり混沌に回帰するよね。例えば集団で炎上起こしたり。集団心理学なんて分野があるほどだし。

混沌は、やめよう。ロゴスを信じよう。はじめにあったのはロゴスじゃなくてカオスだと思っているけれど。
やっぱり人間にロゴスという記号は必要ですよ。執着を分解し飼い慣らすためにも。人間は混沌に同化してはいけない。一時的に逸脱し再起的に記号へ回帰できるのならいいけれど。

それはそうと、ぬるぬるは体験してみたかった。
そもそも人間は有限の命を手にしているわけだから時間と向き合わざるを得ないわけで。
相対性理論から生まれた時間から解放されるべきだとは思っているけれど、己のエントロピーの減少で生まれた熱をどのようなロゴスで表現するか、というのが、まさしく「生きる」ことであり「人生」であり「時間」であり「物語」だと思う。
ロゴスで表現しきれないほどの熱が執着となるのだろうか。まだわからない。
私の中の🔫、もはや童心を持ち続けている仙人。
もしかして🔫は「悟りから自在に距離を取り、また回帰できる」という遡及的な性質を持ち、かつ、「執着さえも制御下に置く」境地を持っていたりする?
そんな「全てを超越した自在さ」である🔫こそが、老荘の掲げる無為自然の「道」の体現だったりする??
物語中毒者と言われれば、まあ確かにそう。なので執着から解放されたいとは思ってないです。私は執着を飼い慣らします。
私は氏に抗いたい〜!!!いやだ〜〜〜物語から卒業したくない〜〜〜!!ずっと吸っていたい〜〜〜!!
積分的時間の可能性を信じる。微分的時間は機械に任せる。
状態的な時間を形に残したいので人はものづくりをするわけです。状態から固体になった時間を前に、人間は五感を用いて振り返り、凝縮された時間を追体験したいのです。時間は記号であると同時に固体化する可能性を包括した状態でもあるんです。

私は時間を固体化したいわけです。でも状態にすらならず、記号のまま頭の中を漂っている。早く🐺さんと🧡くんの時間を固体化したい。
そういう視点で考えるなら、心(あるいは死)を二項対立で捉えていたヴェロニカ軍医と、そんな心を状態や変化で捉え直した🌱の対比がとても綺麗だった。
論理コアという目に見える形で「心」が定義されているから、ヴェロニカは二項対立を軸に考えてしまったんだと思う。
心は状態だからそもそも生きていればもう既にあるんだと思う。
あることを前提に、どんな状態ならより前向きになれるか、ということを、🧡くんは🌱に必死に語りかけていた印象だったな。

とてもいい秘話だった。
🌱の秘話における「心」だけど、軍医のヴェロニカだけ「心の二項対立」を軸に話していて、そのほかは「心があることを前提にどんな状態ならより前向きに生きられるか」という軸で話していた印象だった。

🌱父は、そうだね、ちょっと二項対立寄りに語っていたかもしれない。でも全体を俯瞰すると二項対立(心の存在の有無)ではなく心の状態や変化を濃密に語っていた印象だったな。
人間と機械の重なり合う時間というのが、🌱の秘話における「円環」なのかもしれない。
機械の時間は止まった。もう生成されることも創造されることもない。🌱は歩み続け父を通り過ぎる。けれど時間は円環だから、また🌱は父に会う。そうして🌱は蓄積する時間を噛み締め、自我を濃密にしていく。
父に再び会うため🌱は心を縁起の理に開き、時間を包括し、自我を濃密にし、そうして意識を前に向かせる。
🔫が悟っているかどうか問題ですが、彼に思い出という大切な時間があるのなら、悟ってない可能性が出てきました。

とはいえ、「無為自然」を彼が実践しているのではとも思っているので、仏教ではなく老荘思想を軸に考えるのならまた話は別なのかもしれない。
時間の概念を理解した時、悟りからだんだん離れていくのかもしれない。
機械は最初から悟っているので時間を委譲されても「お、そうか」みたいな感じで栄養とはみなさないのでは。

と思ったけど、ヤサイボンプのイベントを見て「機械に時間という概念を理解させたら尚更人間からの時間を欲しがってしまうな」と思い直しました。
機械に時間を委譲して、その機械が時間の概念を理解し栄養とみなしたのなら、人間は再び時間創造の存在に戻る。人間が記号から完全に解放されることはないかもしれない。
じゃあ私は物語という時間を生み出しているかというと全然生み出せてないので振り出しに戻るわけです。

そう簡単に時間は創造できないし、創造できたものを機械に委譲してしまえるほど私は個を確立しきれてない。