大田別
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mizutakara.bsky.social
大田別
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「おおたわけ」です。まったく、物部氏は最高だぜ!! 𝕏: https://x.com/mizutakara Blog: https://mononobe.myjournal.jp
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富士宮市史の通史編1(先史・古代~中世)が来年春に刊行予定なんですね。珠流河国…。
www.city.fujinomiya.lg.jp/3010400000/p...
編纂委員の先生方には古代史を専門にする方がいないみたいだけど、執筆担当者は別に呼んであるはずですよね?
旧版(1971年)は古墳文化の後、すぐに富士信仰とかの話になっていて、国造も稚贄屯倉も全部すっ飛ばしてあるから期待がふくらみます
市史編さん事業
www.city.fujinomiya.lg.jp
ただ正直いうと、河合敦氏の「倭の五王」まとめはいらないですわ。もうひとりくらい古代史が専門の方を呼べなかったのかな
『歴史人』2025年10月号を読む。
先月号ですね。特集「新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル」。
各項目が著者不明(ライターの名前が伏せられる)ではなく、名のある研究者によって書かれてるのは良心的。水谷千秋先生率が高いですね…
現在の有力説紹介だけなら西川寿勝氏の部分=邪馬台国纏向説だけでいいんですが(個人的には三角縁神獣鏡のところは理解しがたいけど)、それじゃあおもしろくないわけですね。北部九州説はもちろん、在野研究を含め…というか在野がメインですか…諸説紹介されています。
結果的に過去の説になってしまったものも取り上げざるをえなくなったせいで、研究史的な勉強になるのがよかったですね
むかしの市町村境界マップ hanishina.net/maps/history... がすごくいい。
自分となじみのない地域の合併前の自治体名なんてほとんど覚えてないのですが、これで左側にある年月日を操作してから地図上をクリックするだけで調べられます。
たとえば「浜松市と合併した浜北市の自治体史には遠江の国造について記述があるかな?」と気にすることができる
むかしの市町村境界マップ
合併などで変化した過去の市区町村の境界線を表示できる地図です。平成の大合併・昭和の大合併(一部地域)に対応。
hanishina.net
触れられることはありませんでしたが、前方後円墳という特異な墳形はヤマト政権における被葬者の位置・ランク付けに関係し、それが古墳時代の間、多少変化はしながらずっと意味を失わなかったから形骸化もせず続いたのだと考えられています。とすると、有明首長連合の意思だけで好き勝手に前方後円墳を築けたとも思えず、場所が朝鮮半島だろうとヤマト政権の認可はあったのでしょう。よって、九州勢力が独自にというのではなく、背後にはヤマト政権の意向があったと見られるんじゃあないでしょうか。

そんなぼくはこの本を読んでも在地首長被葬者説支持を改める気になりませんでしたが…
水谷千秋『なぜ朝鮮半島に前方後円墳があるのか』宝島社新書、2025年 を読む。
calil.jp/book/4299064...
書紀における任那についての認識や、伽耶の文化、日朝始祖神話の比較、継体天皇、聖明王など幅広く、しかし重要な点は捨てずにしっかり記述されていて、さすが水谷先生。
表題の栄山江流域の前方後円墳については九州勢力によるものとする。解釈にもよりますが筋は通っていますね。若狭を介した継体とのつながりも背景にあるとのこと。
「なぜ朝鮮半島に前方後円墳があるのか (宝島社新書)」を図書館から検索。
カーリルは全国7000以上の図書館から書籍とその貸し出し状況を簡単に横断検索できるサービスです。
calil.jp
左派SNSにアカウント開設 トランプ米政権、挑発投稿連発 www.jiji.com/jc/article?k...

Blueskyを左派SNSっていうと違和感あるんですが、アメリカではそんな感じの扱いなんでしょうか。この程度ならいいけど、トランプさんは気に入らないと無理な介入も辞さない人らしいから、圧力かけてきたりしなければいいな
左派SNSにアカウント開設 トランプ米政権、挑発投稿連発:時事ドットコム
【ワシントン時事】米ホワイトハウスは、左派に人気のあるSNS「ブルースカイ」に新たにアカウントを開設した。トランプ政権に批判的なユーザーに対し、挑発的な投稿を連発している。
www.jiji.com
あと、他に人間がいないんだから全裸で海水浴する展開に違いないと思ったのに水着だったのは…
スケベオヤジの発想ですか
終末ツーリング、病院の無い世界なんだからもうちょっと事故や怪我のないように体を守る動きをしてほしい…とハラハラするのだった
遠隔複写で取り寄せた論文は読み終わっちゃった…たのしかった。
また物部氏関係のものが溜まったら申し込みたいので研究者先生方、よろしくお願いします。
送料と振込手数料をケチるため細かく入手せず、2年3年溜めるのが習慣化してるけど、それをネタに自分で論文書くわけじゃないんだからいいよね…最新学説の話はできないですが…
「Ⅱ」にはまとめとして編年図も掲載されていて、いろいろ考えさせられますね。やはりともに墳丘長80m級で規模の大きい舟塚2号墳(TK10期)と道場塚古墳(TK43期?)が地域へのインパクトになり、後者が郡庁が置かれる前提になっていくのでしょうが、国造本紀にみる物部系系譜がどのように取り入れられ定着したのか、いずれに画期をもとめるべきか、なかなか難しいです。舟塚2号墳と同時期に小首長の墳墓も一気に増えていることから、近畿・西日本から遅れることなく継体朝ころにこの地域でも部民制がはじまり、各部の管掌者がそれらに葬られたと推測も可能ですが、国造制も同時に来たと解してよいのか
井博幸・横田篤「久慈川中流域の首長墳I -新発見古墳の紹介と星神社古墳採集遺物を中心に-」 婆良岐考古同人会『婆良岐考古』第35号、2013年
井博幸「久慈川中流域の首長墳I(補遺)-道場塚古墳・星神社古墳・五所皇神社裏古墳-」 婆良岐考古同人会『婆良岐考古』第37号、2015年
井博幸「久慈川中流域の首長墳II -常陸太田市大方・大里地区を中心に-」 茨城県考古協会『茨城県考古協会誌』第27号、2015年
を読む。
既知の古墳の情報整理はもちろん、新発見のものや既に消滅した古墳まで個々に広く検討されていて、長者屋敷遺跡(久慈郡衙・郡寺)周辺を知る勉強になります
東大阪の往生院六萬寺に物部守屋の墓がある…みたいことが大阪府全志に書いてあるんですが、いまもあるのかしら
dl.ndl.go.jp/pid/965801/1...
楠木正行の墓の傍らにある?石棺らしいのですが…ネット上には情報ないっぽいですね。二本松古墳をはじめとする六万寺古墳群があるので、石棺自体はあってもおかしくないです
国立国会図書館デジタルコレクション
dl.ndl.go.jp
ブラタモリは明神池の遥拝所のところまでタモリさん行ってましたね…
いま開催中の「高安の古墳とその遺宝」図録がA4版55頁の重量:290g 厚さ:4mmで800円なのに対して、「考古資料からみた 八尾の古代氏族-物部氏-」のときはA4版64頁の重量:315g 厚さ:5mmが450円だったのはずいぶん安かったんだなあ…
カラーページの枚数が違うのかしら?
香取海(原・霞ヶ浦)周縁の中期古墳から出土する滑石製石枕(常総型石枕)の材料って、常陸太田市東南部産の可能性が高いんですね。知らんかったです。驚き。水上交通メインの物流網でつながっていたとのことですが、久慈の豪族がどういった立ち位置だったのか気になるところですね
井博幸「長者屋敷遺跡をめぐる古墳事情」(日本窯業史研究所編『常陸太田市埋蔵文化財調査報告 常陸太田市内遺跡調査報告書第9集 長者屋敷遺跡第7次』常陸太田市教育委員会、2016年)を読む。
最高すぎる。久自国造を考えたい人は全員読むべきですね。長者屋敷遺跡の一帯は具体的な遺構こそまだ出ていないものの、久慈郡衙・郡寺の所在地が確実視されており、その前史を考える上でも古墳の動向は大事ですね。宿町古墳など、いままで未確認だった古墳も取り上げられ、興味ぶかいです。
ここでも崇神朝あたりの国造の祖について被葬者になりそうな古墳の有無を気にしたり、5世紀以前に各地方制度(国造制、部民制、屯倉制)が存在していたかのような理解を前提にしてそうな書かれ方をしたり、やや、素直に受け取ると汎用性が無くて困りそうな記述もありますが、全体としては勉強になります。常陸の全郡を検討してるのがすごいよ…
どの考古的事象が文献と合致しているかしていないのかの判断は難しく、なかなか線引きや比定はできませんね。だからこそ積極的に攻めてもらうとおもしろかったり。このくらいの厳密度が読みやすいとおもいました
千葉隆司「『常陸国風土記』にみる豪族たち(1)-ヤマト政権の地方豪族の動向を考える覚書 新治・筑波・信太・茨城・行方・鹿島郡-」(婆良岐考古同人会『婆良岐考古』第36号、2014年)、
千葉隆司「『常陸国風土記』にみる豪族たち(2)-ヤマト政権の地方豪族の動向を考える覚書 那賀・久慈・多珂郡-」(婆良岐考古同人会『婆良岐考古』第37号、2015年)を読む。
風土記の記述に在地勢力と外部(=ヤマト政権)勢力との関係を見出し、おもに古墳の盛衰からそれぞれの動向をさぐろうという論考
⼋上郡は曳⽥郷(疋田物部)、刑部郷(刑部造・刑部連)、若桜郷(若桜部造)、⽇部郷(日下部)、と物部氏族と重なる郷名が多いですね。他地域だと参河国碧海郡(依網、刑部、采女、大市、谷部)がそうで、国造が物部氏同族なのも共通するのが興味深いです
因幡国八上郡の意非神社の由緒、まず姓氏録右京神別の大炊刑部氏(同神=火明命三世孫天礪目命之後也)に社号の意非を大炊として引っかけることで付会し、天礪目命の先祖天火明命が旧事本紀により饒速日命と同一視されることを利用して、饒速日命後裔を伊福部臣古志で主張する宇倍神社社家(国造家)の伊福部氏とは同族だったんだといいたいのかな?と思ってましたが、どうかな~。矢を放ったのは武内宿禰とされるのも伊福部氏を意識してる感じがします。天饒速日尊じゃなく天饒日尊表記なのはなんでなんだろう