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ノワールのプロデューサー特集4回目。リンズレー・パーソンズはモノグラム、アライド・アーチスツ専属のプロデューサーで、ジョン・ウェインの下積み時代を支えた人物として有名ですが、今回は彼が製作した2つのノワールに焦点を当てます。また、ルドルフ・C・フロソーはコロンビアのプログラム・ピクチャー専門のプロデューサー、今回は「ザ・ホイッスラー」について触れます。
ノワールの製作者:パーソンズとフロソー
フィルム・ノワールのプロデューサー達。今回は、モノグラム/アライド・アーチスツで活躍したリンズレー・パーソンズと、コロンビア・ピクチャーズで「ホイッスラー」シリーズを製作したルドルフ・C・フロソーを取りあげる。
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December 21, 2025 at 7:01 AM
第二次世界大戦前後の映像技術や工学をながめていると、この頃から、《見えるもの》と《見えないもの》の境界を曖昧にするテクノロジーが徐々に社会に浸透し始めている様子が見えてくる。可視の外側の現象が、平然と可視の領域に滑り込んで、ヒトは自らの知覚が広がったかのような錯覚に囚われ始める。赤外フラッシュ写真や赤外線フィルムを使った映画などが登場してくる。
赤外線フィルムの時代
第二次世界大戦前後の映像技術や工学をながめていると、この頃から、《見えるもの》と《見えないもの》の境界を曖昧にするテクノロジーが徐々に社会に浸透し始めている様子が見えてくる。可視の外側の現象が、平然と可視の領域に滑り込んで、ヒトは自らの知覚が広がったかのような錯覚に囚われ始める。この錯覚は時としてとても危険なものになりうるのだが、視覚に不自由を感じないヒトはすべての感覚のなかで視覚を無防備に無批判に信望していて、その危なかっしさを見逃しがちである。
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December 16, 2025 at 12:00 PM
ティモシー・ケリーは20世紀後半のハリウッドにあらわれた《怪優》のなかでも、最も厄介な人物だ。信じがたいエピソードに事欠かない。その彼が脚本、監督、主演をした映画『最も罪深き男』についてです。
最も罪深き男
ティモシー・ケリーの問題作と、そこから見えるティモシー・ケリーの《後継者》について。
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December 15, 2025 at 5:00 AM
今回は、ロシアとカナダのアニメーターの交流、映画監督、畢贛のインタビュー、などについてです。
硝子瓶(二十二)
今回は、ロシアとカナダのアニメーターの交流、映画監督、畢贛のインタビュー、などについてです。
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December 14, 2025 at 7:01 AM
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Emmanuelle Riva on location, during the filming of "Hiroshima Mon Amour" in 1958. pen-online.com/culture/hiro...
December 14, 2025 at 4:19 AM
軍産複合体の美学

冷戦初期のアメリカ。一見平穏に見えるこの時代に、よく見ると、大衆文化の片隅に兵器の存在が不穏な形で現れてきます。1950年代から60年代の雑誌広告をみると、軍需企業が武器の製造を誇示し、新型車のプロモーション映画には戦闘機が見え隠れする。アイゼンハワー大統領が警告した軍産複合体は、すでに社会の組織に深く入り込んでいました。モダニズムの美学のなかの兵器についてみてみます。
軍産複合体の美学
冷戦初期のアメリカ。一見平穏に見えるこの時代に、よく見ると、大衆文化の片隅に兵器の存在が不穏な形で現れてきます。1950年代から60年代の雑誌広告をみると、軍需企業が武器の製造を誇示し、新型車のプロモーション映画には戦闘機が見え隠れする。アイゼンハワー大統領が警告した軍産複合体は、すでに社会の組織に深く入り込んでいました。モダニズムの美学のなかの兵器についてみてみます。
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December 8, 2025 at 5:00 AM
アメリカの公共ラジオ放送局は、トランプ政権の財源カットでどこも運営が苦しくなっている。もともとリスナーの寄付金は重要な財源だったが、今はそれに頼るしかない。普段からリスナーに寄付を呼び掛けたり、寄付特別週間をやったり、「要らなくなったクルマを寄付すると一言言ってくれれば、手続きはこっちでやるよ」みたいなのもアナウンスしていたりしたが、それが最近はかなり頻繁で露骨になってきた。今朝ニューヨークのWQXRを聞いていたら「あなたの遺言にWQXRの名前を加えてもらえないだろうか」とか言っていて、しばらく言葉を失った。「discreet」という言葉はもうどこかに埋もれてしまったんだな、と思いました。
December 8, 2025 at 12:09 AM
フィルム・ノワールを多く製作したプロデューサーの第3弾。今回はB級映画の帝王、サム・カッツマンに焦点をあてます。『人類危機一髪! 巨大怪鳥の爪(1957)』ばかりが取り上げられるサム・カッツマンですが、やはり映画プロデューサーとしての嗅覚は圧倒的に優れていた。だからこそ、フィルム・ノワールを見限るときも見事なタイミングだったと言わざるを得ない。彼のフィルモグラフィ全体から見ると、あまり多くないノワール作品から2作品を紹介します。
ノワールの製作者:サム・カッツマン
フィルム・ノワールを多く製作したプロデューサーの第3弾。今回はB級映画の帝王、サム・カッツマンに焦点をあてる。 B級映画の帝王 もし「B級映画の帝王」の「王冠」があるとすれば、その王冠が最もふさわしいのは、やはりサム・カッツマン(Sam Katzman, 1901-1973)だろう。低予算映画のプロデューサーとしての彼の業績は驚くべきものである。1933年の『His Private Secretary』から1972年の『The Loners』まで、40年もの長い活動期間のあいだに240本もの映画を製作した。そのほぼすべてが安上がりで早撮りの映画だ。カッツマンの代表作と言えば、出涸らしのようなネタばかりのコメディ映画の『イースト・エンド・キッズ』シリーズ[❖ note]❖ ブロードウェイのヒット作(1935)、そしてそれを映画化した、ウィリアム・ワイラー監督の『デッド・エンド(Dead End, 1937)』に出演していた少年達を、ワーナー・ブラザーズが「デッド・エンド・キッズ」というグループにして、彼らの主演作をシリーズ化した。このデッド・エンド・キッズは、ワーナーでのシリーズが終了したあと、ユニヴァーサルで「リトル・タフガイズ」という名前で映画シリーズを開始、さらにはモノグラムで「イースト・エンド・キッズ」という別シリーズに出演していた。ギャラ交渉でカッツマンと決裂したあと、アライド・アーチスツで「バウリー・ボーイズ」シリーズに出演し続けた。、ジョニー・ワイズミュラー主演の『ジャングル・ジム』シリーズ(1948-1955)、たわいもないが、非常に中毒性の強い『スーパーマン(Superman, 1948)』のような連続活劇、数限りないホラー映画、SF映画、みすぼらしい西部劇、それに『ロック・アラウンド・ザ・クロック(Rock Around the Clock, 1956)』をはじめとするティーンエイジャー向けのロックンロール映画まで、ありとあらゆるジャンルの映画が挙げられる。流行や時流の最先端を突っ走り、観客が欲しいものを、欲しいその瞬間に、スクリーンに投影すれば、少々キズがあってもバレないだろう、それがカッツマンの映画づくりだった。『人類危機一髪! 巨大怪鳥の爪(The Giant Claw, 1957)』のように、時には、そのキズがあまりに大きすぎて底が抜けてしまうことがあるが、それで彼のキャリアにキズがつくようなことはない。カッツマンは映画作りの隅々にまで精通した正真正銘のショーマンであると同時に、映画ビジネスのリアリティを深く理解していた数少ない人間だった。パイン゠トーマスはモンスターかもしれないが、サム・カッツマンはキング ──あるいは悪魔── だった。 カッツマンのフィルム・ノワール カッツマンのフィルモグラフィのなかで《Film Noir》のタグが付与されているのは、全部で11本で、パイン゠トーマスと並んで2番目に多かった。 サム・カッツマンが製作したフイルム・ノワール作品 IMDBのデータより 彼のことを知る者によれば、カッツマンは《ハリウッドの敏腕プロデューサー》《コストカットの鬼》といったイメージからは程遠い、温かく、優しい人間だったという 。彼は常に撮影現場に顔を出し、監督、スター、スタッフに陽気に語りかけていた。彼の息子によれば、カッツマンは雰囲気づくりの上手い助監督のような感じだったという。だが、彼はある一点だけは曲げなかった。撮影は6日間で仕上げること。それ以上はなし。どんな理由があろうとも、6日間しか撮影期間は与えられなかった。 まず、カッツマンの《Film Noir》のフィルモグラフィのなかから『The Houston Story (1955)』を見てみよう。これはテキサスの石油産業を背景に、マフィアの闇のビジネスをテーマにした典型的なプログラム・ピクチャーである。物語は、元石油採掘技術者のフランク・ダンカンが、もうけ話をマフィアに話を持ち掛け、黒いビジネスに手を染めていく様子を描いている。ヒューストンを舞台にして、傾斜掘削による原油盗掘をマフィアたちが計画するという点においては、確かに独創的な話かもしれない。だが、物語はやがて裏切りと殺人で充満し、定型にそったB級映画の展開を見せていく。一方で、「平凡な男が、戦後アメリカの繁栄の機構を出し抜いて一攫千金を狙うが、惨敗する」物語でもある。このタイプの《Film Noir》には『オーシャン通り711(711 Ocean Drive, 1950)』『事件の死角(Shield for Murder, 1954)』などが挙げられるだろう。 『The Houston Story』の監督、ウィリアム・キャッスルが製作時のトラブルについて語っている。キャッスルと撮影クルーはヒューストンでロケを行っていたが、主役のフランク・ダンカンを演じていた俳優のリー・J・コッブが、8月のテキサスの熱にやられてしまい、心臓発作を起こして倒れてしまった。キャッスルは、自分が背格好や雰囲気がコッブに似ていてよく間違えられたので、顔さえ映らないように工夫すれば、自分がコッブの代わりをやっても、なんとかごまかせるだろうと考えた。結局、残りのロケ撮影は、キャッスル自身がコッブのスタンドインとして乗り切った。ハリウッドに戻ってからも、コッブの回復を待っていたが、コッブが再度倒れてしまう。しびれを切らしたカッツマンがジーン・バリーを連れて来て、彼で残りの室内シーンの撮影をすると言い始めた。キャッスルは結局カッツマンの指示に従って、バリー主演で映画の大半を撮影せざるを得なかった。だがしかし、テキサスで撮ったフッテージはどうするのか?キャッスルは、出来上がった映画をみて驚いた。コッブ、キャッスル、バリーの3人が主役のフランク・ダンカンを演じているのだ。ヒューストンの街中を走る遠景はウィリアム・キャッスル、それに続いてリー・J・コッブが走り続けて、ドアを開けて建物に入る。続いてジーン・バリーが殴られる近景、倒れそうになるウィリアム・キャッスル、床に倒れるリー・J・コッブ、と編集でつないでいたのである。さすがのキャッスルもその酷さに頭を抱えたという[❖ note]❖3人の主役 ウィリアム・キャッスルがここで描いているようなシーンは、実際の映像では確認できなかった。。 The Houston Story (1956) ヒューストンでのロケ撮影があまり活用できなかった作品。 私が見ることができたサム・カッツマンの《Film Noir》の数作のうちでも『Chicago Syndicate (1955)』は、かなりよくまとまった出来の映画だと思う。プロデューサーとしてカッツマンはクレジットされていないが、彼のClover Productionsが製作会社としてクレジットされている。監督はフレッド・F・シアーズ、脚本はジョセフ・ホフマン、主演がデニス・オキーフという、実に枯れた組合せの映画だ。
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December 7, 2025 at 7:00 AM
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日本の(長尺ものの)アニメ映画の歴史は太平洋戦争プロパガンダから始まったのでアニメで戦場の現実を描くことはとても意義のあることなんである。というわけで良い映画。このごろ力作野心作を送り出しては玉砕しまくりだった東映配給作としては久々にちゃんとお客さんも入ってるようで安心。

アニメに人は救えるか映画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』感想文
www.niwaka-movie.com/archives/19349
アニメに人は救えるか映画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』感想文 | 映画にわか
太平洋戦争の南方戦線ものだが日帝に留まらず現在までしっかり続いているように見える日本人の敗北認められない病みたいなものを突いている観もあり、アニメ・漫画のプロパガンダ利用にも切り込んだ力作と思う。
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December 7, 2025 at 3:40 AM
『オズの魔法使』のカンサスパートは、どのようにしてセピアトーンにされたのか。1930年代に一時的に流行したウラン化合物によるセピア調色の話です。
『オズの魔法使』とウラン
1930年代のハリウッドで一時的に流行したセピア調色。どのようにして登場し、なぜ廃れたのかについて。
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December 4, 2025 at 5:00 AM
第二次世界大戦直後のアメリカの映画批評を通して、ハードボイルドな《タフ》な映画がどうとらえられていたか、また『我等の生涯の最良の年』をどう同時代の人たちは評価したか、を見ていきます。
第二次世界大戦直後の映画をめぐって
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December 1, 2025 at 12:41 PM
硝子瓶(二十一)

久しぶりの硝子瓶です。今回はフィルムが発見された95年前のホラー映画、フィルム・ノワールに頻繁に登場するビーチハウス、ディズニー・プラスの《色》について、などのリンクです。
硝子瓶(二十一)
久しぶりの硝子瓶です。今回はフィルムが発見された95年前のホラー映画、フィルム・ノワールに頻繁に登場するビーチハウス、ディズニー・プラスの《色》について、などのリンクです。
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November 30, 2025 at 7:00 AM
『ノマドランド』を絶賛する映画評を見て感じた違和感から、ベビーブーマーと労働について掘り起こして考えてみました。『ノマドランド』が描いている近景だけを見ていると分かりにくいのですが、その向こうにある遠景を目を凝らして見てると、少し違う風景が見えるのではないかと思うのです。かなり長いですが、あの映画の撮影・製作スタイルにも言及して考えています。
『ノマドランド』と労働の時間
マッケンジー 先生はホームレスになったってママがいってたけど、本当? ファーン 違うよ。私はホームレスじゃない。ハウスレスよ。同じじゃないでしょ?
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November 25, 2025 at 7:00 AM
FILM NOIRの製作者を紹介する2回目。今回はパイン=トーマス・プロダクションズを紹介します。全部で11作に《Film Noir》のタグが付いていました。あまり、馴染みのないプロデューサーコンビですが、ハリウッドのメジャー・スタジオでのB級映画製作を代表する2人組です。
ノワールの製作者:パイン&トーマス
《Film Noir》タグが2番目に多かったプロデューサーは、ウィリアム・H・パインとウィリアム・C・トーマスのコンビ、「パイン=トーマス・プロダクションズ」である。 パイン=トーマス 製作者として、《Film Noir》に関わった数が2番目に多かったのが、二人のプロデューサー、ウィリアム・H・パインとウィリアム・C・トーマスである。彼らは「パイン=トーマス・プロダクションズ」というコンビを組んで製作にあたっていた。 パイン=トーマス・プロダクションズは主にパラマウント・ピクチャーズのBユニットとして、1941年から1957年まで、低予算映画を担当していたチームだ。全部で81本製作したが、このうち《Film Noir》とタグが付けられているのは11本である。81本中11本という比率は、流行のスタイルやジャンルを予算の許す限り追いかける、概して総花的な、このチームの製作姿勢が良く表れている。製作費の制御を徹底して、「損した映画はない」というのが自慢の製作チームである。 パイン=トーマスが製作したフイルム・ノワール作品 IMDBのデータより ウィリアム・H・パインも、ウィリアム・C・トーマスもパラマウントで広報担当として働いていたが、1941年に製作会社をおこして、俳優リチャード・アーレン主演の航空映画3本をプロデュースした。それ以降、1年に5本くらいのスピードで製作していた。彼らは低予算映画製作における、ありとあらゆるメソッドを駆使したプロデューサーだった。盛りを過ぎた俳優を安い出演料で交渉し、安い脚本を更に買いたたき、セットを何度も使いまわす、といった常套手段だけでなく、あらかじめ脚本を徹底的に分析し、いかに安く仕上げるかを考えぬき、詳細な指示を準備した。その結果、60~70分程度の添え物映画を極めて短い製作期間と安い製作費でひねり出すことに成功したのである。 パイン=トーマス・プロダクションズの映画のなかで《Film Noir》とタグ付けされたものでも、戦時中の作品『ワイルドキャット』『友情に賭けた命』『Dark Mountain』などのストーリーはありふれた犯罪アクションもので、《Film Noir》的特色を探すとすれば、ローキー照明主体の撮影スタイルぐらいだろう。これも、戦時中の物資規制が遠因になっているのは間違いない。製作費が絞られているなか、セットは必要最小限のものとなり、照明を巧みに使って低予算であることを隠蔽するやり方はハリウッド全体にひろがっていた。 初期のパイン=トーマス・プロダクションズの作品で《Film Noir》の要素、特にビジュアル的要素について考察するとすれば、それよりも前に製作された航空映画二作『Power Dive』と『Forced Landing』に注目したい。実はこれらの映画は、《Film Noir》のタグが付けられていないが、アルゼンチンからハリウッドに戻ってきたばかりのジョン・オルトンが撮影監督をつとめており、ハリウッドの《Film Noir》を語るうえで極めて重要な作品なのである。その独創的なビジュアルは、公開時にハリウッドの撮影監督のあいだでは相当話題になった作品だった。 『Power Dive』の総製作費は、他の映画で飛行機を一機レンタルするレンタル料より安いだろう。総製作費は78,000ドルで撮影期間は10日間だったと聞いてる。しかし、この若いプロデューサー達は、製作費に対して十分お釣りのくるものを得られたと言ってよいだろう。『Power Dive』は単なるプログラム・ピクチャー・エンターテイメントではない。撮影監督ジョン・オルトンの芸術性と技術によって、この程度の限られた時間と資金でできるものを遥かにしのぐ作品が出来上がった。確かに早撮りの作品だが、大作に見られるような撮影技術がすべて詰まっている。 American Cinematographer [1] 厳密に映像という観点だけからいえば、『Forced Landing』は研究するに値する映画だ。視覚的には極めて素晴らしい。すべてのシーンが構図の上で平均以上であり、ただ見た目が良いというだけでなく、物語上の役割としても力強い。撮影スタジオで鍛えられた眼からすれば、この映画は、クリエイティブな技術者にかかると、最小限の資源から「製作価値(プロダクション・バリュー)」をどれだけ絞り出せるかという問いを、深く考えるうえで重要なレッスンになるだろう。 American Cinematographer [2] 『Forced Landing』が公開されたときは、《低予算にもかかわらず素晴らしいビジュアル》という点が高く評価され、監督のゴードン・ワイルズ(Gordon Wiles, 1904-1950)[❖ note]❖ ゴードン・ワイルズは、もともと美術監督としてキャリアをスタートした人物で、ウィリアム・キャメロン・メンジーズのもとで研鑽を積んだ。ワイルズが美術を担当した『Translatlantic (1931)』はジェームズ・ウォン・ハウの見事なカメラワークと共に、セットの並外れた独創性が話題を呼んだ作品だ(アカデミー賞受賞)。破産前のフォックスの力を示す作品として再公開が待たれる。の製作過程に関するメモが発表されるほどだった [3]。撮影監督のジェームズ・ウォン・ハウは、戦時中の物資統制に対応する方法について論じた文章で、『市民ケーン』と『Forced Landing』を比較して、製作前の入念な準備でコスト削減しつつも素晴らしいビジュアルを達成できると述べた [4]。「撮影に入る前に徹底的に準備することで、製作費を最大限に抑えることができる」という思想は、この時からパイン=トーマス・プロダクションズの基礎となったのである。 『Forced Landing』撮影前のデッサンと実際のシーン デッサンには、カメラのレンズアングルと高さが記入されている。American Cinematographer [3] しかし、それ以降のパイン=トーマスのプログラム・ピクチャーは業界の話題になるようなことはなく、入念な準備はもっぱらコスト削減のために行われていた。例えば『狙われた女(Manhandled, 1949)』は、ドロシー・ラムーア、ダン・デュリエという、スターではないが、集客力もある手堅い俳優を揃えたものの、どちらかと言えば古臭いミステリの部類に属する作りで、パラマウントも不満だったようである。彼らの映画としては珍しく、製作費を回収するまでにかなり時間がかかったとも言われている [5]。 『暴力の街』は、パイン=トーマスのフィルモグラフィのなかでも最も異彩を放ち、時を経てその価値が再認識されるようになった映画である。ジョセフ・ロージー監督、ダニエル・メインウェアリング[❖ note]❖ダニエル・メインウェアリング(Daniel Mainwaring, 1902-1977)はジェフリー・ホームズ名義で『過去を逃れて(Out of the Past, 1947)』の原作小説と脚本を書いている。脚本の、人種差別とコミュニティの問題を取り扱った作品だ。ジョセフ・ロージー(Joseph Losey, 1909-1984)はウィリアム・パイン/ウィリアム・トーマスのもとで監督として働くことを次のように表現している。 …
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November 23, 2025 at 7:03 AM
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ジェリー・ウォルド製作のジョーン・クロフォード主演映画のうち、日本で劇場公開されたのは『ユーモレスク』(1949年公開)『失われた心』(1950年公開)であった。
前回に続き、フィルム・ノワールのフィルモグラフィの分析をしています。IMDBのタグ分析をもとにフィルム・ノワールを最も多く製作したプロデューサーは誰だったのかを分析しています。そして、最多の14本を製作したジェリー・ウォルドの作品を見ていきます。
ノワールの製作者:ジェリー・ウォルド
ハリウッドの古典フィルム・ノワール期に、最も多く《ノワール》を手掛けたプロデューサーは誰だったのか。IMDBのタグ分析をもとに割り出した《ノワール・プロデューサー》達を見ていく。今回は最多の14本を手掛けたジェリー・ウォルドについてみていく。
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November 16, 2025 at 2:28 PM
映画「関心領域」のあの庭には腐臭は漂っていなかったのか。ホロコーストと臭い、そこから生じる「知っていたのか」という問いについて考えます。
関心領域
死の臭いは、殺された者たちが、殺した者たちに触る、唯一の方法である。
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November 18, 2025 at 5:00 AM
前回に続き、フィルム・ノワールのフィルモグラフィの分析をしています。IMDBのタグ分析をもとにフィルム・ノワールを最も多く製作したプロデューサーは誰だったのかを分析しています。そして、最多の14本を製作したジェリー・ウォルドの作品を見ていきます。
ノワールの製作者:ジェリー・ウォルド
ハリウッドの古典フィルム・ノワール期に、最も多く《ノワール》を手掛けたプロデューサーは誰だったのか。IMDBのタグ分析をもとに割り出した《ノワール・プロデューサー》達を見ていく。今回は最多の14本を手掛けたジェリー・ウォルドについてみていく。
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November 16, 2025 at 7:00 AM
冷戦時代の米ソの間に起きた「博士の異常な愛情」も顔負けの事件の数々。あともう少しで世界は破滅していたかもしれない。あの日、フィンランドのテレビ局が「続エマニュエル夫人」を放映していたら、間違って核ミサイルが発射されていたかもしれない。
「博士の異常な愛情」的世界
冷戦の時代、米ソ大国間の応酬の足元では《ストレンジラヴィアン》なことが起き続けていた。米ソ首脳ホットラインの度重なる切断、核ミサイル防衛システムの故障、そして民間人による思わぬ妨害。冷戦を切り抜けられたのは奇跡だったのかもしれない。
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November 6, 2025 at 5:00 AM
日中戦争後、日本政府は海外の映画の輸入規制をはじめます。『オーケストラの少女』の大ヒットは逆効果となって、アメリカ映画への反感が一層煽られます。国会では「アメリカ文化への依存」が問題視され、メディアでも議論が展開されていきます。その様子を見てみます。
美少女と九六陸攻
日中戦争後、日本政府は海外の映画の輸入規制をはじめます。『オーケストラの少女』の大ヒットは逆効果となって、アメリカ映画への反感が一層煽られます。国会では「アメリカ文化への依存」が問題視され、メディアでも議論が展開されていきます。その様子を見てみます。
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November 3, 2025 at 5:00 AM
フィルム・ノワールについて、IMDBのデータをもとに分析してみると、未知の世界がひらけてきました。今回は「フィルム・ノワールを量産した映画監督トップ13」を見てみたいと思います。
フィルム・ノワールの監督たち
フィルム・ノワールについて、IMDBのデータをもとに分析してみた。今まで視野に入ってこなかったトレンドや監督、そして映画製作会社の動きなどが浮かび上がってきた。今回はまず、「フィルム・ノワールを量産した映画監督トップ13」を見てみたい。そして、知られていない《フィルム・ノワール》監督を2人ピックアップする。
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November 2, 2025 at 7:01 AM
おぞましい野蛮が飛び出すとき

SNSによって保守派とリベラルの対立が深刻化していると言われていますが、その「2極対立」のエンターテインメントの歴史について考えてみます。最も影響を与えたのが1968年のウィリアム・F・バックリー・Jrとゴア・ヴィダルの討論番組でしょう。そしてCNNなどのニュース・エンターテインメントがそれをさらにおし進めていきます。ポリティカル・コレクトネスをめぐる議論は、この「2極対立」のフォーマットにすっぽりはまってしまったのです。
おぞましい野蛮が飛び出すとき
SNSによって保守派とリベラルの対立が深刻化していると言われていますが、その「2極対立」のエンターテインメントの歴史について考えてみます。最も影響を与えたのが1968年のウィリアム・F・バックリー・Jrとゴア・ヴィダルの討論番組でしょう。そしてCNNなどのニュース・エンターテインメントがそれをさらにおし進めていきます。ポリティカル・コレクトネスをめぐる議論は、この「2極対立」のフォーマットにすっぽりはまってしまったのです。
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November 1, 2025 at 5:00 AM
丸山真男の「日本の思想」を読み始めたら、深いラビットホールに落ちた話。
丸山真男のラビットホール
丸山真男の「日本の思想」を読み始めたら、深いラビットホールに落ちた話。
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October 26, 2025 at 5:02 AM
エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」は、彼の数ある作品のなかでも最も有名な作品でしょう。夜の都会の片隅で見かけるダイナー。蛍光灯に煌々と照らされた店内。寂しいような、落ち着くような、不思議な場所。都会に住んだことがある人なら似たような場所をきっと見かけたことがあるだろう、そんな作品。しかし、これは描かれたとき、存在してはいけない風景だったというのはあまり知られていないと思います。どうして存在してはいけなかったのか。戦争が始まった頃のアメリカの話です。
エドワード・ホッパーと戦争
エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」は、彼の数ある作品のなかでも最も有名な作品でしょう。夜の都会の片隅で見かけるダイナー。蛍光灯に煌々と照らされた店内。寂しいような、落ち着くような、不思議な場所。都会に住んだことがある人なら似たような場所をきっと見かけたことがあるだろう、そんな作品。しかし、これは描かれたとき、存在してはいけない風景だったというのはあまり知られていないと思います。どうして存在してはいけなかったのか。戦争が始まった頃のアメリカの話です。
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October 22, 2025 at 12:00 PM
『オズの魔法使』のカンサスパートは、どのようにしてセピアトーンにされたのか。1930年代に一時的に流行したウラン化合物によるセピア調色の話です。
『オズの魔法使』とウラン
1930年代のハリウッドで一時的に流行したセピア調色。どのようにして登場し、なぜ廃れたのかについて。
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October 22, 2025 at 7:11 AM
「四季」派についての吉本隆明の批判から、戸坂潤にさかのぼっていくと見えてくるものは何だろうか。一見矛盾のように見える感性の世界秩序が、実はこの酷い世界をやり過ごすための平面、プロパガンダが機能する平面だということを考えてみたい。
プロパガンダの平面
わたしたちの果てなき切望 (17) 「四季」派についての吉本隆明の批判から、戸坂潤にさかのぼっていくと見えてくるものは何か。そして、一見矛盾のように見える感性の世界秩序が、実はこの酷い世界をやり過ごすための平面、プロパガンダが機能する平面だということを考えてみる。
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October 19, 2025 at 10:00 AM