Amazon primeで久しぶりに見ました。
いまこういうテーマ曲の映画って珍しいですよね。
「楽しんで見てね」感が伝わってきて大好きなのです。
amzn.to/3wpthgu
Amazon primeで久しぶりに見ました。
いまこういうテーマ曲の映画って珍しいですよね。
「楽しんで見てね」感が伝わってきて大好きなのです。
amzn.to/3wpthgu
事情があって公表をあきらめて、
ただ自分で家で眺めています。
事情があって公表をあきらめて、
ただ自分で家で眺めています。
2009年に折ったエイリアンとまた違った良さがあります。
2009年に折ったエイリアンとまた違った良さがあります。
奇抜な演出や凝った演出を採用する必要がある時。
観客は物語や主人公たちに感情移入すると同時に
「この演出凝ってるなあ!」 とかも思うものですが。
もし後者の感想の方が強かったり、
場合によっては後者一辺倒だったりすると、
これはもう演出の敗北です。
演出家が芝居より自分の手柄を優先してしまっていることになり、つまり駄目です。
奇抜な演出とか凝った演出は、 俳優やスタッフや時には「物語そのもの」や観客にも苦労を強いますから。
ちゃんと皆の手柄になるよう、演出を設計しなければいけない。
…ということを私も心がけてはいるのですが。しくじることもあります。
奇抜な演出や凝った演出を採用する必要がある時。
観客は物語や主人公たちに感情移入すると同時に
「この演出凝ってるなあ!」 とかも思うものですが。
もし後者の感想の方が強かったり、
場合によっては後者一辺倒だったりすると、
これはもう演出の敗北です。
演出家が芝居より自分の手柄を優先してしまっていることになり、つまり駄目です。
奇抜な演出とか凝った演出は、 俳優やスタッフや時には「物語そのもの」や観客にも苦労を強いますから。
ちゃんと皆の手柄になるよう、演出を設計しなければいけない。
…ということを私も心がけてはいるのですが。しくじることもあります。
折り紙は物理的作品でもあるけど、それよりもまずは
「考え方」そのものが作品です。
思ろうとした気持ち、試行錯誤、ひらめき、たどり着いた興奮、すべてが折り紙の中に入ってて、それを折るたび機能します。つまりずっと生きている箱のようなものです。
折ると、当時の自分に出会うことができます。
11才の時の作品「サソリ」を久しぶりに折りました。
子供が創作したとは思えない、良い作品です。
折り紙は物理的作品でもあるけど、それよりもまずは
「考え方」そのものが作品です。
思ろうとした気持ち、試行錯誤、ひらめき、たどり着いた興奮、すべてが折り紙の中に入ってて、それを折るたび機能します。つまりずっと生きている箱のようなものです。
折ると、当時の自分に出会うことができます。
11才の時の作品「サソリ」を久しぶりに折りました。
子供が創作したとは思えない、良い作品です。
という感じ。
辛くはない。ポケットの中に幸福が常にあるので。
詩ではなく、日記です。
という感じ。
辛くはない。ポケットの中に幸福が常にあるので。
詩ではなく、日記です。
私はSFが好き、とはしょっちゅう思います。
私は折り紙を好きかどうかは、まあ好きなんですけど、それよりも、「折り紙が私を好きかどうか」の方が大きな問題で、答えとしては好きでいてくれていると思う。
私はSFが好き、とはしょっちゅう思います。
私は折り紙を好きかどうかは、まあ好きなんですけど、それよりも、「折り紙が私を好きかどうか」の方が大きな問題で、答えとしては好きでいてくれていると思う。
と感じています。
仕方ないとも言える。アートは人類の行いの中でも、人類の知の領域のフチあたりに発生するものであり、既存の分類にあてはまらない種類のことだからです。
ギリギリ、アートのビジネス側面が法律に補足されてはいるけど、あまりアーティストの魂に優しくはない。
仕方ない。
私は私の演出手法をアートだと考えていますけれど、これもまた。
と感じています。
仕方ないとも言える。アートは人類の行いの中でも、人類の知の領域のフチあたりに発生するものであり、既存の分類にあてはまらない種類のことだからです。
ギリギリ、アートのビジネス側面が法律に補足されてはいるけど、あまりアーティストの魂に優しくはない。
仕方ない。
私は私の演出手法をアートだと考えていますけれど、これもまた。
まだ誰も私をフォローしていない。
まだ私は誰もフォローしていない。
まだ誰も私をフォローしていない。
まだ私は誰もフォローしていない。