ぴょん(聖体奉仕会)
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湯沢台の庭に住む野うさぎです。ここから眺めたことや感じたこと、お知らせしたいことをつぶやきます
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アヴェマリア

おとめが神に心を打ち明け語らい、祈っていた。

その前に現れた大天使は、おののくおとめをなだめ、厳かに言う。「めでたしマリアよ、あなたは恩寵に満ち満ちたお方。主はあなたとともに…」

「私はイスラエルの女のうちで一番小さい者では? それにどうして私が救い主の母になりえましょう、男の人を知りませんのに」

天使ガブリエルはおとめのことばに感嘆しつつ、神のみ旨を静かに説く。

その時マリアの顔は太陽のように輝き、その前に、天使の光さえ色あせるほどになった。
「おことば通りこの身になりますように」

聖母よ、ありがとう。この涙の谷にあってあなたを慕う私たちを導いてください!(M師)
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ロザリオの月に入りました。ロザリオという尊く力強い祈りを教えてくださったマリア様。ロザリオの祈りによって私たちはどれほどたくさんのお恵みをいただいてきたことでしょう。私たちの祈りはつたなくても、マリア様は必ずそれを受け取って御子イエス様に伝えてくださいます。
ひとりで唱えるのが難しい時には例えばこのようなロザリオ動画もあります。
すべての人の救いのために一緒に祈っていきましょう。
ロザリオの祈り歌 - 栄えの神秘 - 水曜日・日曜日
YouTube video by SAKURA TERESA
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昨日おいでになったシカゴ在住ポーランド人巡礼団の方が、聖ヨハネ・パウロ二世教皇様が亡くなる前に抱いて祈られた十字架を持って来られました。

ミサの終わりに神父様がその十字架で私たち皆に祝福を与えてくださいました。ぴょんも特別な願いを込めて祝福を受けました🙏✨

写真右は聖ヨハネ・パウロ二世教皇様、左は今回の巡礼団添乗員ドロタ・ハワサさん。
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ポーランド🇵🇱からの50人の巡礼団ミサ。今年もポーランドからの巡礼団が本当に多い🚌
何だかとてもポーランドに親しみを覚えます。
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「私たちは十字架の中に主の苦しみと死を見つめますが、そこで終わりではありません。主の愛のささげものによって、永遠の命の扉が私たちの前に開かれるのです。このメッセージは秋田で特に深く響きます。なぜなら秋田は主の母マリアが特別に崇められる場所だからです。マリアは誰よりも深く御子の十字架の神秘を生き抜きました。だからこそマリアは復活の栄光の喜びを味わうことができたのです。
今日私たちは十字架を祝います。キリストの苦しみを礼拝するだけではなく、死を命に、十字架を復活へと変えてくださった主イエスを崇めるためです。
希望の母マリアと共に私たちの人生を神に委ねましょう」
東京のレンボ司教様巡礼団ミサお説教
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今日は聖母マリア様の誕生の祝日、そして私たち聖体奉仕会の設立記念日(55周年)でした。

福島のカトリック野田町教会のマティアス神父様が45人の信徒の皆さんを引率して巡礼においでくださいました。東京、葛西教会のチャーリー神父様の小グループや、韓国からの巡礼者方もともにミサ。やはり「あめのきさき」は世界共通の聖歌ですね♪
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「司教の日記」を更新しました。コルカタの聖テレサ(マザーテレサ)の記念日に当たり、神の愛の宣教者会のみなさんを始め大勢の方と、カトリック足立教会でミサを捧げました。
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コルカタの聖テレサの祝日@足立教会 - 司教の日記
9月5日はコルカタの聖テレサの記念日でした。コルカタの聖テレサというよりは、カル...
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イエスは議員の家で食事に招かれたとき、集まってきた人たちが、良い席に着こうとする姿をご覧になり、「婚宴に招待されたら、上席についてはならない」仰せになりました。

私たちも食事の席に招かれています。それは神様からの天国の宴席という大群衆の宴会、この世の宴会とははるかに違うものです。

神様は、そのような宴会に与る資格のない者に目をとめて招いてくださいます。招かれた者のとるべき態度は、自分の小さい存在をありのままに認めること。ただ大きな恵みに、謙遜になって喜びと感謝を持ってご招待を受け入れることです。

私たちは、常に感謝することにいたしましょう。(M師)
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「狭い門から入りなさい」

相当頑張らねば救われないのか? 救われる人は少ないのか? 

自分は人より先だと思っている人が後になり、自分は後だと思っている人が先になるかもしれません。神様の計算は人間の計算を超えてきます。

狭い門から入るとは、ひたすら隣人愛を優先することです。善を選択していくのは容易なことではありません。でも神様が必ず何とかしてくださる。そう信じて神様からの招待状を受け取りましょう。

イエス様と一緒に食べたり飲んだり、教えを受けるだけでは足りません。人生のままならない苦難をイエスと共に担い、共に死に、復活に生きること。聖霊に聞き従い、狭い門から入るよう努めましょう。(I師)
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昨日は秋田市のカトリック土崎教会とカトリック秋田教会の合同聖年巡礼ミサが、聖体奉仕会聖堂で行われました。
薬物依存症回復のための自助グループ、秋田ダルクの皆さんも参加してくださり、120人を超える人が集いました。

まず全員でロザリオの祈りを唱え、続くミサの冒頭には、この聖年の間、新潟教区の各教会・修道会を回っている「十字架リレー」が聖体奉仕会から秋田教会へとバトンタッチされました。

「私たち自身の回心=心を神様へと方向転換させること、がまず必要です。兄弟姉妹といっしょに歩むことで天国への巡礼の道を全うできます」とエジルソン神父様がお説教くださり、最後は聖体賛美式で締めくくられました。
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昨日、今日と聖体奉仕会を会場にベトナム人青年の聖年巡礼と集いが行われました。

若者たち自身の企画と運営で、秋田、仙台、名古屋、東京などから135人が集まりました。

昨日は庭園張られたテントで秋田の聖母像のおみこし。ロザリオの祈りや踊りの奉納のあと、野外ミサが行われ、夜は音楽ライブと聖体賛美式で一日が終わりました。

今日は庭で十字架の道行、成井司教様のご講話のあと、聖堂でミサ。昨日からのベトナム人の神父様方に加え地元秋田の神父様方もおいでくださいました。

青年たちの捧げる歌の力強さ、心のこもった典礼の美しさに心が動かされました。

巡礼地のあり方を今一度考えさせられた楽しい二日間でした。
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昨日、今日の二日間、ここ聖体奉仕会を会場に秋田、仙台、名古屋、東京などからベトナム人青年135人が集まり、秋田の聖母聖年巡礼と集いが行われました。

青年たちが企画し、新潟教区の成井司教様やベトナム人の神父様方、地元秋田の神父様方もたくさん参列され、朝から晩遅くまでの祈りと音楽、踊り、自炊のお食事、聖書クイズなど盛りだくさんの二日間でした。青年たちの信仰とそれぞれの役割を精一杯果たす奉仕の精神、若さ溢れるパワーと笑顔に、私たち姉妹もたくさんの希望と元気をもらいました。

青年たちがこれからも世にあってキリストの愛と平和を広めていく存在となっていくようエールを送る司教様のお言葉も印象的でした。
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キリスト者とは目を覚ましている者です。目を覚ましていることがキリスト者のしるし。

聖パウロは「あなたがたはすべて光の子。夜にも暗闇にも属していません」と書いています。

夜は盗人の時間。悪が活発にうごめく時。でも太陽が昇り昼となるなら、悪は活動をやめざるをえません。

目を覚ましているとは、闇の中でも希望を失わす、信仰に基づいてしっかりと立つことです。

今、日本のカトリック教会は平和旬間にあたっています。平和が脅かされているような時代にまた来ています。平和に対する思いが強まりますように。私たちも置かれた場所で、平和のために私たちにできることを始めてまいりましょう。(I師)
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「司教の日記」を更新しました。平和旬間です。8月6日には広島で平和祈願ミサ、今日の長崎の原爆忌には、もちろん長崎でも平和祈願ミサが捧げられていますが、東京でも、東京カテドラル聖マリア大聖堂で平和祈願ミサを捧げました。説教原稿です。
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2025年平和旬間:広島、そして東京教区平和祈願ミサ - 司教の日記
日本の教会は毎年、8月6日から15日までを平和旬間と定めています。今年は特に戦...
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何かを所有し、将来の安定を得ようとする時、貪欲がひそんでいるかもしれません。金持ちが「これで安楽に暮らせる」と言った言葉は、コヘレトの「何というむなしさ」とも響き合います。

イエスさまのおっしゃる「どんな貪欲にも注意しなさい」とは、単なる戒めではありません。清貧に生きるとは単に物をもたないことではなく、神の愛によって満たされていると信じる姿勢。神への信頼のうちに自分をあけ渡すこと。それは神の前に豊かになることです。

どんな貪欲にも注意しなさいとは、「もっと自由に、もっと深く神の愛に生きよ」という神からの招きなのです。

おとめマリアが私たちの道を導いてくださいますように。(F師)