門哉彗遙
banner
suiyomon.bsky.social
門哉彗遙
@suiyomon.bsky.social
47 followers 53 following 270 posts
読書&短歌の横好きおっさん
Posts Media Videos Starter Packs
堺市民芸術祭の堺短歌大会に参加した。詠草は八月に五首送っていたが、残念ながら一首も入選せず。充実した短歌会であった。運営に関わった方々に感謝。

縁先に煙草燻らす父のゐて父の向かふに紫陽花の藍/門哉彗遙

朝涼の庭の盥に洗濯をしてゐる母が微笑む我に/門哉彗遙

星月夜チェリストのごと磨きをり硝子のやすりであなたの爪を/門哉彗遙

冬の朝熱き少女がわれを抜く白き自転車生足ペダル/門哉彗遙

一瞬に全てが赤の信号に 指に触れたし少女の指に/門哉彗遙
『それがわかるのは、わたしも重度のギャンブル依存だったからです。けれど何かに「依存」するのは、楽しいからではありません。ギャンブル依存者にとってギャンブルがもたらすのは実は苦しみです。ではなぜやめられないのか。「生きる」ことそのものが苦しいから、別の苦しさに逃げるのです』
生きることに苦しい人はごまんといるだろう。維新が決行するIRカジノに、そんな人たちが引き寄せられていくだろう。そんな場所には外国人か富裕層しか行かないと言っている人がいるが、そんな訳がない。韓国の事例を知らないのだろう。万博はそんな場所を作るために行ったということも忘れてはならない。
第二次世界大戦時に日本軍の占領下に置かれたパプアニューギニア北部のニューブリテン島。その東部がラバウルで西部がグロスター。その距離は直線で430キロ。歩けば1000キロあり、ラバウルまで撤退する中多くの兵士が亡くなってそうだ。

そしてそのグロスターにまだ不発弾や戦車などがそのままあるようで、焼畑をすれば今も不発弾が爆破するらしい。記事を書いた人も滞在中に爆発したとか。

やはりまだ戦争は終わっていない。

20251016毎日新聞夕刊
政治的手腕もない麻生がボスの座から降りることもなく副総裁の椅子に座る。永田町では政治的成仏することもなく妄執を抱えた人たちが彷徨い続ける。
『その彼らが、我らが汗水垂らして働き、あるいは欲しいものも我慢して、懸命に支払った税金の使い方を差配し、時に政争の道具にする。心底う、腹立たしい』
烈しく同意!
20251015毎日新聞夕刊
読みたい本がいつもいっぱいあって、図書館の予約はいつもマックスの15冊になってしまっていて、それでも予約したい本が出てきた時は、予約数の少ない本をキャンセルして、新しく予約する。そんなことをしているから購入本がいつまでも積読のままなのだ。今月も何冊購入したことか。
折句作ってみました

たかのぞみ
いうわけじゃない
ちっぽけで
ささやかな願い
れいしすと去れ/門哉彗遙
どうぞ宜しくお願いします。
大屋根リングの向こうに見える、林立したクレーン車がおぞましい。本性あらわしたなって感じがする。
石破が「戦後80年に寄せて」のメディアについて語っているところは不十分だと思う。

新聞紙条例〜新聞紙法に触れられていないからだ。メディアはその法律でかなり規制されていて明治時代には多くの新聞社が潰されている。確かに部数を伸ばすために政府方針を盛り上げたのはジャーナリズムとしてどうなのかという面はあるが、その下地が法律によって縛られていたというのは看過できない。

なので以前高市が電波規制法で言論を封じようと脅そうとしたことは許せないし、今のマスコミが、万博の裏にある本来の目的のカジノ建設を見なかったように、ほとんど報道しないのも、なにを忖度しているのかと腹立たしい。
〈全文〉石破茂首相が所感「戦後80年に寄せて」表明 「過去を直視する勇気と誠実さを持ったリベラリズムが大切」:東京新聞デジタル
石破茂首相は10日夕、戦後80年に合わせた先の大戦に関する所感を表明した。退任を間近に控えている上、連立政権を組んできた公明党が「離脱...
www.tokyo-np.co.jp
『新総裁の高市早苗さんがこのまま首相になるのだろう。ふーん、という感じ』

高市の「元米連邦」なんちゃらという肩書きのことや、4年前に「国旗損壊罪」を新設しようとしたことや、「外国人が奈良の鹿に」なんちゃらという発言などについて、『高市氏は権力者としては、事実確認や言動がルーズというほかない。危うい人だと思う。心配ごとのタネが、また増えた』と書いている。

ここまで記者が自社の新聞に書くって素敵だ。他の新聞社ではあり得ないかも。毎日新聞の懐の深さよ。

毎日新聞20251008夕刊
三木清の「人生論ノート」を読んでるが、ぜんぜん頭に入ってこないのである。たぶん挫折する。でも漢字がかわいいのである。たとえば懐疑の懐とか独断の断。

「懷疑が方法であることを理解した者であつて初めて獨斷もまた方法であることを理解し得る」
昨日が十四夜の中秋の名月。
そして今夜は十五夜。
ひさしぶりに一眼を使った。
使い方を忘れて
最初はぼけぼけだったけど
なんとか撮れた。
〈日本が大きく変わったと感じるのは、「ポピュリズム」の台頭/停滞する日本にとって、ポピュリズムも悪いことばかりとは言えない/民主主義の危機ではない。ポピュリズムは民主主義にとって本質的な構成要素/日本に欠けているのは、左派ポピュリズム〉

〈ニューヨークで33歳のインド系ムスリムの社会主義者が市長になることが確実視されている。その公約が、バスや保育の無償化、家賃値上げ停止、公営スーパーの開設。財源として1.5兆円を富裕層に課税〉

〈左派が台頭してこそ、富裕層に課税したり、賃金を上げたり、庶民のための政治の可能性も広がっていく/必要なのは、左派ポピュリズムなのだ〉

20251006毎日新聞
短歌において「名刺の魅力はすぐ分かるが、動詞の妙味を理解するには三年、『てにをは』の玄妙さを理解するには十年かかる」そうだ。

この本を最初図書館で借りていたのだが、マーカーを入れたい箇所がいっぱい出てきたので「いりの舎」から直接購入した。もう他のサイトでは売り切れていたからだ。

「てにをは」の見方が変わった。こんなに奥深いものだったのか。読み終わってなんかワクワクしている。自分も使えるだろうか。この本はバイブルになりそうだ。
寺を継がなかったことを悔やんでいる人に対して、高橋源一郎さんの回答が素晴らしい。
『あなたへの回答は親鸞が800年前にしていますよ。寺なんか継がなくていい。そもそも寺なんかどうでもいい。信仰心や宗教的確信なんかなくていい。死んだ親のことなんか知ったことか。そんなことよりあんたの「生きる」を大切にしろ』
『(親鸞は)「産業化した仏教」に関わる全てを否定しました。必要なのは「たったひとつかけがえのないなにか」を信じること。それは親鸞にとって「念仏」でしたが、実はなんでも良かったのです』
20251004毎日新聞
こんなカッコいい政治家がいたんだ。

斎藤隆夫は「国民は政治を監視し、監督する責任がある」という信念の元、軍部の政治介入に抵抗してきたらしい。

帝国議会で歴史に残る数々の演説があり、その中でも有名な1940年の「反軍演説」では議員を除名され、演説の一部が議事録から削除されたそうだ。

石破はその議事録に拘っている。「戦後80年見解と同じく、政界と世論への警鐘だろう」とこの「土記」には書かれている。

次の首相にこんなことに拘るような人物はいるのだろうか。

20251004毎日新聞


「もちろんアイディアは大切よ。だけど、アイディアが自己表現では物たりない。短歌は抒情詩だもの。ただ、私たちの世代はその気分というものを助詞が一つ、助動詞が一つ入っただけで、ある感情のニュアンスが出ることを知っている。それが、日本語の武器だけれど。今の多くの人はそれをやらないで、アイディアで勝負するということになっていますね。アイディア勝負というのは結局、コマーシャルの世界じゃないかしら」


96歳の歌人、馬場あき子さんが88歳の時のことば。沁みます。

「日本の芸術は型の芸術。型はだれがやっても同じなの。だのに違う。何が違うのかというと、その人の持っている教養、人格、人間性、そういうものが滲み出るのよ、型を通して。(略)その人間の質の高さが芸を決定する」

「私などの考えていた短歌というのは、もっと自分を差し出す、人間を、心を差し出す、自分のどこか真実なものを読者の前に差し出すものだったのに、今、そうではなくて、こんなふうな言い方ってあるよという、言ってみれば文芸的な、知的なニュアンスのおもしろさを差し出そうとしている」

➡︎続く
日々茶番を見せつけられている。
しかしなんでステマバレた?
あんなん政府筋はみんなやってるやろ。

作り笑顔に鳥肌。
一番なってはいけない人物が有力って?
ステマより酷いデマ吐いてる。
類は友を呼ぶだろう。
神谷とくっつくんやろうな。
あかん未来が見える。

党員たちの良識に縋るしかない?

空はこんなに劇的で美しいのに。
以前MさんがFBで薦めてはった本がやっと図書館に入荷され、僕の手元にきた。これはXで投稿されたものを「カタリベの原稿」としてまとめたものだそうだ。森田富美子さんが長崎で被爆された時の様子が書かれている。夫であった人も呉で回天の訓練を受けている時に被爆していたのを晩年になってから娘を通して知ったそうだ。
二)
柳吉も、蝶子をだましてなんども別れようとするけど、いつのまにか元の鞘におさまってる。ずぅーーーっと一生それの繰り返し。最後に法善寺横丁にある夫婦善哉を二人で食って終りっちゅう、たったそれだけの話やねんけどな。やけどでもまぁ、この柳吉、どことのお自分に似てるような気がして、憎めまへんわ。
一)
おださくの「夫婦善哉」読みましたで。初めて読みましてん。映画は見たことありまへん。お店にもまだいっぺんも行ったことありまへん。

しかしなんでんなぁ、維康柳吉っちゅうやつはとんでもない奴でんな。仕事はろくにもせんと、商売してもすぐに飽きてもうて、店をなんど畳んだことか。飽き性やねん。で、ちょっと金が入ったら芸者呼んでどんちゃん騒ぎ、いや、金がのうてもどんちゃん騒ぎ。

そんな男にふりまわされながらも、持ち前の明るさと気丈さで、柳吉をささえる元芸者の蝶子。女遊びして散財してきた柳吉を、その都度、折檻するほどたくましいけど、健気やなぁ、ほんまに。柳吉のどこがええんやろ。
➡︎続く
ちょっと違和感どころかおおいに違和感っていうか腹立たしさまんまん。
・多くの国民が辞める必要を感じていない石破おろしに躍起になる自民議員。
・その自民議員は裏金問題はなおざり。
・マスコミもから騒ぎを好意的に捉えて放送。
・高市が総務相時代に放送局に電波停止という圧力をかけたことを忘れた?
・高市のヘアスタイルなんぞに注目して担当美容師にインタビューするマスコミ。
・こども食堂で食事する茂木の厚顔無恥さ。政府は子ども食堂にどれだけの補助をしたというのか?
・そんなことごとに何も気づかない感覚って?

2025/9/28毎日新聞

だから少しはましな今の世の中にいることができて良かったと思っている。人殺しにならないまま、寿命を終えることができそうだ。

しかし「教育勅語」が良いと言っている政治家がいる。一人は数年前に鬼籍に入ったが、彼の思いを引き継いでいる政治家もたくさんいるだろう。参政党の神谷がそうだし、総裁選にも出ている。彼ら彼女らはまた国民を操り人形にして、戦争をしたいと思っているとしか思えない。国民を操り人形にする方法はいくらでもありそうだから気をつけなければならない。

ということで、この本は付箋とマーカーだらけになった。

65年かけて、集団の規律に疑うことはしない操り人形の人間が出来上がった。内面まで支配され、武力を持って国を守ることを植え付けられた。命の重は鴻毛より軽くなった。

この本には各地で起きた(集団)自決の証言が書かれている。血圧が下がって吐きそうになるくらい生々しい証言だ。

そこで思った。もし自分がその場面にいたらどうしただろうかと。自分の子どもや妻や親を締め殺したり、刃物で首を刎ねたり、崖から突き落としたり出来ただろうかと。

たぶん、しただろうと想像する。軍人であった場合もいっぱい人を殺していただろう。そんなふうに教育されてきたのだったら十分に考えられるから。
➡︎続く