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9/28日、小樽市奥沢の道路端に咲いていたクロッカス。
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本書においては、アイヌを出自として自覚する者の文字による表現をアイヌ文学として捉えている。今日いう日本文学はほとんど日本語文学と重なるが、しかし、アイヌ文学は、アイヌ語をカタカナないしローマ字で表記するものがあり、それは日本語文学ではない。本書においては「日本文学」などという「◯◯文学」の生成根拠を穿つ問題提起が静かになされている。
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須田茂『近現代アイヌ文学史論:現代編』(寿郎社)の第2章は「知里真志保の業績と影響」。東京帝大文学部言語学科を卒業して北大文学部教授の肩書を持つ知里真志保はアイヌ出自の者としてアカデミズムにおいて最も大きな功績を挙げた一人であろう。本章では、その功績を評価するとともに、1958年に「民族としてのアイヌはすでに滅びた」として、存在するのは「アイヌ系日本人」であるとする知里の記述を取り上げる。その上で知里を、和人マジョリティが支配する社会の中でのマイノリティとして、自己を確立し積極的に発信する文学者として捉えているのが、とても注目される。
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資料整理をしていたら、京都の神護寺の案内書が見つかった。手書きメモによると、2000年5月1日に訪ねている。案内書は500円、入山料は400円。この日はちょうど虫干しによる一般公開の初日にあたり、わたしは京都駅からバスで向かったのであった。新緑に囲まれた古刹の階段を登り、創建者とされる和気清麻呂の霊廟を過ぎて、会場で伝源頼朝画像、伝平重盛画像を、ガラスケース越しではなく直に見ることができたのは鮮明に覚えている。
神護寺の後に高山寺に詣り、(松下圭一先生ご夫妻の紹介により)山主の小川千恵さんにお会いしてお話しを伺ったことも懐かしい。25年前のこと。
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9月に続いて、今日も日本民芸館の棟方志功展へ。前回は通り一遍に見ただけの「東北経鬼門譜(とうほくきょうきもんふ)」の板画に注目した。これは、飢餓や貧困に襲われた東北地方への祈りを込めた1937年の作品。「東北経」の「経」は仏典からの発想で「祈り」の意味があるという。この東北経鬼門譜は120点の作品から成り、展示されていたのはその一部であるが、10mに及ぶ大作も展示されていて、その躍動する生命力と凶々しさとに圧倒される思いがした。
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野沢啓「書くことの唯物論的認識:メショニック詩学の投げかけるもの」(『未来』no. 621,2025秋)を読む。野沢は、詩作において、意識が言語に先行するのではなく、言語が意識に先行する言語意識論を展開する。この文章の末尾の一文に共感した。これは詩作についてのみならず、ある種の言語表現についても当てはまると思う。
《詩が詩であるためにはこうした、事前には何をどう書くことになるのかわからないが、それでも何かどうしても書いておきたい衝動があって成立するものであって、それは書かれたあとにのみ書き手にもその内容が知られるという厄介かつ快楽的なシロモノなのである。》
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「札幌ほんぽんぼん」でのトーク(@アダノンキ)収録後、地下鉄と徒歩でJR札幌駅北口の串鳥へ(9/27日17:15分)。2年半ほど前にお会いした詩人の高橋秀明さんが北海道横超会の方々と懇親している場に加えてもらう。同会は、吉本隆明の命日(2012/3/16)にあわせて、追悼イベント・研究会を開催している。その逝去については、中国の大学出版社との協議のために出かけていた北京で知った。もう14年以上も経つ。
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羽田空港から新千歳空港に向かう機上から見えた、下北半島の北東端にある尻屋岬(9/27日)。「しりや」はアイヌ語の「絶壁のある港」の意味だという。石灰岩からなる高さ約20メートルの海食台を指すのだろうか。台地にある、芝生や松林で覆われたでは牛や馬が放牧され、その馬は寒立馬 (かんだちめ) と呼ばれている。30年前の1995年にはは9頭まで激減したが、その後の保護政策により40頭ほどに回復したという。
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ただいま19:30 新千歳空港ラウンジ。7泊8日の小樽・札幌の旅の最終日。北海道立文学館での展示『長谷川四郎とそのきょうだい』のカタログを開いている。冒頭の池澤夏樹「世界の野原をわたる風」、工藤正廣「長谷川四郎さんに捧げる歌」、平良一良「長谷川四郎さんをめぐって」は、三者三様の文体でもって対象の世界をそれぞれに描く、読ませる文章である。
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須田茂『近現代アイヌ文学史論: 現代編』(寿郎社)の第1章「戦後のアイヌ文学の幕開け⸺言論活動の復活」を読む。
一節「高橋真と『アイヌ新聞』の挑戦」、二節「『北の光』と新生北海道アイヌ協会」、三節「進駐軍とアイヌ民族の言論活動」で構成されている。
戦後現代のアイヌ文学と言論活動のスタートを切った高橋真と、北海道アイヌ協会の言論活動とを扱い、さらにGHQとの関連での「幻のアイヌ独立論」についても論究していて、とても刺激的である。著者の博捜にも感心する。
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昨日夕方は札幌駅北口の出版社 寿郎社に、須田茂『近現代アイヌ文学史論: 現代編』を購入するためにアポなし訪問。土肥寿郎さんと歓談もできた。『日本政治学出版の舞台裏』について「近来になく面白く読んだ」と言われ、嬉しい。かつて土肥さんが晩声社に務めていた時に、『舞台裏』に鼎談者として登場する石井彰さんの興した国際書院の初期の本3冊(武者小路公秀はじめ)を作る手伝いをしたということもお聞きした。これはビックリ
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昨夕は『暗夜の礫をかみ砕く 生誕100年・上西晴治『十勝平野』を読む』を制作した方と札幌駅北口の焼き鳥屋で会食。『社会文学』最新号(62号)に、神村和美が「物語・戦争・身体: 上西晴治『十勝平野』におけるエスニック・アイデンティティをめぐって」と題する本格的な論考を載せているという。また新刊の須田茂『近現代アイヌ文学史論: 現代編』(寿郎社)は、一節を上西晴治に当てているという。生誕100年を契機として上西晴治と『十勝平野』に関心が寄せられることを期待する。
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札幌ほんぽんぼんat 古本とビール アダノンキ 第8回その1
『日本政治学出版の舞台裏』をめぐって、本と出版社の話をしました(9月27日)。つづきも近々アップされる予定です。

jpn01.safelinks.protection.outlook.com?url=https%3A...
第8回その1 竹中英俊さん『日本政治学出版の舞台裏』出版トーク
竹中英俊さんトーク その2は現在編集中につき未アップです。アップロード次第、この欄にリンク先URLを追加します。 『日本政治学出版の舞台裏 編集者竹中英俊の闘い』 岩下明裕/竹中英俊 共編 花伝社 2025年4月刊 竹中英俊(たけなか・ひでとし) 1952年宮城県大崎市生まれ。早稲田大学卒。1974年に財団法人東京大学出版会に就職。委託製作部門、編集局編集部、2000年に編集局長、2005年に常務理事・編集局長、2012年3月退任、同会常任顧問(2015年3月まで)。2015年4月より竹中編集企画室を主宰(今日まで)、2017年5月より北海道大学出版会相談役 ---------- 札幌で、ビール片手に本の話を。 「札幌の片隅で、古書店主と本のギークが本(時々ビール)のことをぼそぼそ呟いていきます。「ほんぽんぼん」とは、本のことを時に奔放に、時にぼんやり語っていきたい、という意味をこめました。ぼそぼそがわいわいにつながっていくといいな。」
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昨夕は、札幌市の南2条西八丁目の「たかさごや」で友人と飲み会。出版社編集者、ブックデザイナー、ノンフィクション作家の面々。種類豊富な手作りの品々と、ビールと日本酒とで、美味しい時間を堪能させていただきました。
ところで、この店の道路向かいは、演劇作家の久保栄(1900-58)の生誕地だった。栄の父は札幌市商工会議所会頭。実業家であった祖父・父は、正月の年頭の事業方針挨拶と宴会をこの地にあった広壮な屋敷で行ったというが、もちろん今はその片鱗もない。
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長月晦日の札幌は、13度〜22度、爽晴。10時頃の北大構内。年齢も国籍も性も異なる多数のツーリストが闊歩する姿が見えるのは、とても良いですね。
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今朝8:20分、小樽市の奥沢墓地にある小林家の墓に参りました。
 前日は、この奥沢墓地まで歩いて30分の距離にある松ケ枝の宿に泊まりました。今朝7時半に宿を出て、歩いて奥沢墓地に向かいました。
 旧天神小学校の横から墓地に入り、およその場所の検討をつけて歩きましたが、何の標識もなく、ほとんど諦めかけました。急な坂を登ったところに少しだけ平らなところがあり、そこで一休みしていましたら、山側20メートルほど先に「小林家之墓」が見える! それも、写真で見ていた書体だ‼︎ これだと思ってそばに行きましたら、全くその通り‼️
 多喜二が1930年に父親のために建立した墓に、その遺骨は埋葬されたわけです。
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今朝の北海道新聞の「読書の秋 くらしの良書」欄で、道立文学館副館長の苫名直子さんが伊藤整の『日本文壇史』を薦める快挙! 全18巻。秋から冬にかけての夜長にふさわしいお薦め。同館展示中の「長谷川四郎とそのきょうだい」の案内も。
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午前、小樽文学館で開催中の「自転車ぎこぎこ、人生の道のり 伊藤礼追悼展」へ。礼は偉大な文学者である伊藤整の次男として整についての著作や日記の編集をしたことで知っていた。この展示は、それも含めて、ユーモアと哲学にあふれた90年の生涯を送った全貌に迫るもの。なかなか楽しい。
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ただいま羽田空港ラウンジ。札幌に向かう旅のお供は都築勉『政治学の運命:高畠通敏・佐々木毅・三谷太一郎の政治学』(吉田書店)。再読。「第二章 佐々木毅と政治学の運命」が気になって。
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大井赤亥「日本政治における「改革」の意味と機能:ポスト冷戦期の行政・政治・経済をめぐって」(『政治批判の原理を求めて』国際書院)を読む。1990年代以降の日本政治における最も顕著な言語象徴である「改革」という言葉に着目し、その時代背景を明らかにした上で、行政、政党政治、産業をめぐって、その輻輳した「改革」を概観するもの。末尾で「公共性」の再定義を訴えていることが強い印象に残った。そうなんだ。
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大園誠「政治学者・田口富久治における理論と実践:戦後日本における「批判主義的政治学」の一類型」(『政治批判の原理を求めて』国際書院)を読む。
南原繁研究会編『南原繁における学問と政治』(横浜大氣堂2022)に収録の大園「戦後日本における「批判主義的政治学」の諸類型:南原繁・丸山眞男・田口富久治」に続くもの。
加藤節の言う「批判主義的政治学」と田口の言う「批判的政治学」とは、田口の曲折もあって、同じものとは言いがたいところがあるが、大園論文は、田口政治学の転換も含めて考察したものであり、批判主義的政治学の一類型として位置づけることに成功していると思う。
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川口雄一「富山県射水郡長・南原繁の郡治とその理念:「教養主義」的官僚の思想形成に関する一考察」(『政治批判の原理を求めて』国際書院)を読む。『南原繁 「戦争」経験の政治学』(北大出版会)の著者による本論考は、南原の内務官僚時代のうち特に富山県射水郡長時期(1917-19)を対象として、南原の郡治の核心は社会教育事業にあったことを確認し、その事業への情熱を支えた思想的基盤として、新渡戸稲造、中村春二、筧克彦との関連を探ったもの。
地元の複数の新聞や雑誌を博捜した上で、青年団活動などとの南原の深い関わりを明らかにして、「教養主義」的官僚の思想形成を探った注目すべき考察である。
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『政治批判の原理を求めて』(国際書院)に収録されている鈴木規夫「尾崎秀実の〈東洋哲学〉」を読む。
「はじめに」に次いで「1 尾崎秀実と北条霞亭:日本における20世紀コミュニストと19世紀儒者との間」、「2 尾崎秀実と井筒俊彦との間: 〈東洋哲学〉への道」、そして「おわりに」という構成。
ゾルゲ事件の尾崎と、霞亭および井筒がどう結びつくのか。また大川周明の『回教概論』が「基本的には井筒によって著された」ことが紹介されるなど、スリリング。
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8月初めに、睡眠時のクーラーのせいか、軽い風邪をひき、咳と痰とに悩まされた。風邪はおさまったのだが、咳と端が続き、これまで通りの市販薬を服用したが、治らない。日常生活にも支障が出るようになったので、今日、辻堂の呼吸器内科に行って、診察を受けた。診察結果は「確実に喘息」。喫煙歴から言って、肺気腫の可能性もあったが、そうでもないらしい。さっそく処方薬をいただき、飲んだら、覿面の効果。咳と痰とがほぼおさまる。
喘息の原因までは特定できていないが、パートナーによれば、原因はハウスダストだと言う。確かに、江戸期の和書を含めて古書を収集し置いている我が部屋は、紙ほこりも多いなあ。