ソロモン王は全イスラエルから役務者を徴用した。役務者は三万人であった。
ソロモンは、彼らを一か月交代で一万人ずつレバノンに送った。一か月はレバノンに、二か月は家にいるようにした。役務長官はアドニラムであった。
(列王記 第一 5:13-14)
◇徴用とは、「戦時など非常時に、国の公権力で国民を強制的に動員し、特定の業務に従事させること」。人びとがあふれるほどにささげたモーセの幕屋を思います。
ソロモン王は全イスラエルから役務者を徴用した。役務者は三万人であった。
ソロモンは、彼らを一か月交代で一万人ずつレバノンに送った。一か月はレバノンに、二か月は家にいるようにした。役務長官はアドニラムであった。
(列王記 第一 5:13-14)
◇徴用とは、「戦時など非常時に、国の公権力で国民を強制的に動員し、特定の業務に従事させること」。人びとがあふれるほどにささげたモーセの幕屋を思います。
神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。
(列王記 第一 4:29)
◇神さまがこれほどにも、ソロモンに与えてくださいました。ただ、神さまへの「愛」に言及されていないのが、不思議なのです。
神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。
(列王記 第一 4:29)
◇神さまがこれほどにも、ソロモンに与えてくださいました。ただ、神さまへの「愛」に言及されていないのが、不思議なのです。
ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた。
(列王記 第一 3:3)
◇「ただし」とあります。ソロモンは主に礼拝をささげたのですが、イスラエルは、後にバアルやアシェラといった異民族の神々を「高き所」で祀るようになりました。ただ神のみが私たちに信仰を与え、与え続けます。
ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた。
(列王記 第一 3:3)
◇「ただし」とあります。ソロモンは主に礼拝をささげたのですが、イスラエルは、後にバアルやアシェラといった異民族の神々を「高き所」で祀るようになりました。ただ神のみが私たちに信仰を与え、与え続けます。
私たちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になること、このことも私たちは祈っています。
(コリント人への手紙 第二 13:9)
◇完全、それは神と人を愛する愛の完全。正確には愛するために我を忘れる、姿勢の完全です。
私たちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になること、このことも私たちは祈っています。
(コリント人への手紙 第二 13:9)
◇完全、それは神と人を愛する愛の完全。正確には愛するために我を忘れる、姿勢の完全です。
その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
(コリント人への手紙 第二 12:7-9)
◇パ
その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
(コリント人への手紙 第二 12:7-9)
◇パ
これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者として、自慢できると確信して話します。
(コリント人への手紙 第二 11:17)
◇主によって話すのではなく!びっくりさせられます。けれども、やはりパウロは主によっています。その愛において。
これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者として、自慢できると確信して話します。
(コリント人への手紙 第二 11:17)
◇主によって話すのではなく!びっくりさせられます。けれども、やはりパウロは主によっています。その愛において。
あなたがたを倒すためにではなく、建てるために主が私たちに与えてくださった権威について、私が多少誇り過ぎることがあっても、恥とはならないでしょう。
(コリント人への手紙 第二 10:8)
◇パウロは、自分に与えられた権威を誇ることなどしたくはありませんでした。けれどもコリント教会の問題を知って黙っていることができませんでした。愛ゆえに。
あなたがたを倒すためにではなく、建てるために主が私たちに与えてくださった権威について、私が多少誇り過ぎることがあっても、恥とはならないでしょう。
(コリント人への手紙 第二 10:8)
◇パウロは、自分に与えられた権威を誇ることなどしたくはありませんでした。けれどもコリント教会の問題を知って黙っていることができませんでした。愛ゆえに。
あなたがたに対する私たちの愛の心は、狭くなってはいません。むしろ、あなたがたの思いの中で狭くなっているのです。
(コリント人への手紙 第二 6:12)
◇狭くなった愛を広げるのも愛。いつか、きっと。キリストの願いだから。
あなたがたに対する私たちの愛の心は、狭くなってはいません。むしろ、あなたがたの思いの中で狭くなっているのです。
(コリント人への手紙 第二 6:12)
◇狭くなった愛を広げるのも愛。いつか、きっと。キリストの願いだから。
私たちが正気でないとすれば、それは神のためであり、正気であるとすれば、それはあなたがたのためです。
というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。
(コリント人への手紙 第二 5:13-14)
◇キリストの正気でないほどの愛によって。十字架の愛によって。
私たちが正気でないとすれば、それは神のためであり、正気であるとすれば、それはあなたがたのためです。
というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。
(コリント人への手紙 第二 5:13-14)
◇キリストの正気でないほどの愛によって。十字架の愛によって。
主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。
すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
(コリント人への手紙 第二 4:14-15)
◇復活の時に現れる神の栄光は、もうすでに始まっています。そして、ますます現れていきます。今ここで。私たちを通して。
主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。
すべてのことは、あなたがたのためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためなのです。
(コリント人への手紙 第二 4:14-15)
◇復活の時に現れる神の栄光は、もうすでに始まっています。そして、ますます現れていきます。今ここで。私たちを通して。
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
(コリント人への手紙 第二 3:17)
◇この自由は、愛する自由。愛を妨げるすべてから解き放たれて。
主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。
(コリント人への手紙 第二 3:17)
◇この自由は、愛する自由。愛を妨げるすべてから解き放たれて。
私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうか、試すためでした。
あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もそうします。私が何かのことで赦したとすれば、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
(コリント人への手紙 第二 2:9-10)
◇もちろん、パウロに対する従順ではありません。キリストへの従順、愛への従順です。
私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうか、試すためでした。
あなたがたが何かのことで人を赦すなら、私もそうします。私が何かのことで赦したとすれば、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。
(コリント人への手紙 第二 2:9-10)
◇もちろん、パウロに対する従順ではありません。キリストへの従順、愛への従順です。
神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。
聖徒たちのすべての教会で行われているように、
女の人は教会では黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。律法も言っているように、従いなさい。
(コリント人への手紙 第一 14:33-34)
◇女性蔑視ではありません。当時、なにかの事情でこのような制限が必要だったと考えられます。後に女性蔑視のために用いられることになりまきたが。
神は混乱の神ではなく、平和の神なのです。
聖徒たちのすべての教会で行われているように、
女の人は教会では黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。律法も言っているように、従いなさい。
(コリント人への手紙 第一 14:33-34)
◇女性蔑視ではありません。当時、なにかの事情でこのような制限が必要だったと考えられます。後に女性蔑視のために用いられることになりまきたが。
一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
(コリント人への手紙 第一 12:26-27)
◇私はキリストのからだであることを喜びます。ともに喜び、ともに苦しむ仲間といっしょに、キリストと共に働けるのですから。
一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
(コリント人への手紙 第一 12:26-27)
◇私はキリストのからだであることを喜びます。ともに喜び、ともに苦しむ仲間といっしょに、キリストと共に働けるのですから。
みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。(コリント人への手紙 第一 11:29)
◇当時は聖餐と愛餐が続いて行われていたようです。わきまえるとは、たがいに愛のうちに配慮し、分け合うこと。
みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。(コリント人への手紙 第一 11:29)
◇当時は聖餐と愛餐が続いて行われていたようです。わきまえるとは、たがいに愛のうちに配慮し、分け合うこと。
ですから、食物が私の兄弟をつまずかせるのなら、兄弟をつまずかせないために、私は今後、決して肉を食べません。(コリント人への手紙 第一 8:13)
◇動機は愛。
ですから、食物が私の兄弟をつまずかせるのなら、兄弟をつまずかせないために、私は今後、決して肉を食べません。(コリント人への手紙 第一 8:13)
◇動機は愛。
妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。しかし、そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです。これは私の意見ですが、私も神の御霊をいただいていると思います。(コリント人への手紙 第一 7:39-40 )
◇パウロの個人的意見が、聖書に!御霊によって。なんと自由な神さま。
妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。しかし、そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです。これは私の意見ですが、私も神の御霊をいただいていると思います。(コリント人への手紙 第一 7:39-40 )
◇パウロの個人的意見が、聖書に!御霊によって。なんと自由な神さま。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。(コリント人への手紙 第一 6:20)
◇淫らなことをするのではなく、愛するために生きること。それが神の栄光です。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。(コリント人への手紙 第一 6:20)
◇淫らなことをするのではなく、愛するために生きること。それが神の栄光です。
外部の人たちをさばくことは、私がすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。(コリント人への手紙 第一 5:12)
◇さばきと愛は対立しません。愛ゆえの断固。
外部の人たちをさばくことは、私がすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。(コリント人への手紙 第一 5:12)
◇さばきと愛は対立しません。愛ゆえの断固。
たとえあなたがたにキリストにある養育係が一万人いても、父親が大勢いるわけではありません。この私カパウロが、福音により、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。(コリント人への手紙 第一 4:15)
◇パウロは自分の功績を誇っているのではありません。次章の問題を抱える仲間たちになんとか届こうと必死なのです。愛。
たとえあなたがたにキリストにある養育係が一万人いても、父親が大勢いるわけではありません。この私カパウロが、福音により、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。(コリント人への手紙 第一 4:15)
◇パウロは自分の功績を誇っているのではありません。次章の問題を抱える仲間たちになんとか届こうと必死なのです。愛。
あなたがたはそれぞれ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っているとのことです。キリストが分割されたのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。(コリント人への手紙 第一 1:12-13)
◇ひとつのからだである私たち。からだはひとつなのです。
あなたがたはそれぞれ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っているとのことです。キリストが分割されたのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。(コリント人への手紙 第一 1:12-13)
◇ひとつのからだである私たち。からだはひとつなのです。