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昔話や童話や説話、児童文学などを調べているグループです。また、奥の細道の新情報についても発信して行きます。※画像にあるALT(代替)をクリックすると翻刻された文章が読めます。
https://akaitoriakai.blogspot.com/
「あせび」が「あけび」になった理由 No.2

先に「あせび」が「あふひ(葵)」なった理由をみましたが、永機本では「あ介(け)ひ」となっています。

これは「あせひ」の「せ」を「遣(け)」と考え、両者の紛らわしさを避けるため「介(け)」の変体仮名に変えたと考えられます。

註記:
永機は「せ」を「遣(け)」と誤読したが、当然のことながらそれを誤読とは考えませんでした。

つまり永機は「遣(け)」を誤読と考えなかったので、「せ」との紛らわしさを回避するために、「せ」と字形の異なる「介(け)」を使用したと考えられます。

#奥の細道
July 29, 2025 at 5:53 AM
「あせび」が「あふひ(葵)」になった理由 No.1

松尾芭蕉の「おくのほそ道」の宮城野に次の一節があります。

「玉田よこ野、つゝじが岡は、あせび咲ころ也」

この「あせび」を「葵」とする例が多数あります。その一番の原因は、曖昧な字形にあります。

下図参照
自筆本・曽良本は確実に「あせひ」ですが、西村本では「あせひ」の「せ」が「を」に近い字形になっています。

これにより村治本では「あをひ」と誤読。

蕉門七書や半化坊では「阿(あ)ふひ」となります。これは、「あせひ」を「あをひ」と誤読し、更に歴史的仮名遣いに直し「あふひ(葵)」としたと考えられます。

#奥の細道
July 29, 2025 at 2:55 AM
「恨を重ぬ」が「恨をこわぬ」になった理由 Part2

前回は、初期写本と原本を見ましたが、今回は当時の読者が版本を実際にどう読んだか見てみます。

下図を見ると版本以後の写本では「こわぬ/こはぬ」とする例が数多くみられます。

#奥の細道
July 28, 2025 at 7:14 AM
(下図参照)
先ず自筆本の「重ぬ」は「こ万(ま)ぬ」と読めなくもない。これを意識してか、柿衛本の「(かさ)ぬ」は「重」に似る。

西村本は「重ぬ」だが、元禄・寛政版では「こ王(わ)ぬ」と読める。ここから蕉門七書では「こわぬ」となり、半化坊では「古(こ)者(は)ぬ」となる。
#奥の細道
July 28, 2025 at 4:29 AM
「恨を重ぬ」が「恨をこわぬ」になった理由

松尾芭蕉の「おくのほそ道」に次の一節があります。
「呉天(ごてん)に白髪の恨を重(かさ)ぬといへども...」

しかし「重ぬ」が「こわぬ」と読まれた例がかなりありました。
続く
#奥の細道
July 28, 2025 at 4:24 AM
どうして「そぞろ神」が「さそひ神」になったのか? 下記画像参照

芭蕉自筆本では確に「そゝろかミ」なのですが、曽良本では「ろ」の部分が「ひ」とも読めるのです。

それで「そゝひかミ」となります。しかしこれでは意味が通じないので「さそひ神」としたのではないでしょうかね。
#奥の細道
July 26, 2025 at 12:42 AM
「そぞろ神」が「さそひ神」になった理由
松尾芭蕉の奥の細道に「白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて…」という一節があります。辞書には「そぞろ神」とは人の心を誘惑する神とあります。

ところで、江戸末期に書かれた「奥細道通解」では、そぞろ神が、さそひ神となっています。

#奥の細道
July 26, 2025 at 12:34 AM