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先に「あせび」が「あふひ(葵)」なった理由をみましたが、永機本では「あ介(け)ひ」となっています。
これは「あせひ」の「せ」を「遣(け)」と考え、両者の紛らわしさを避けるため「介(け)」の変体仮名に変えたと考えられます。
註記:
永機は「せ」を「遣(け)」と誤読したが、当然のことながらそれを誤読とは考えませんでした。
つまり永機は「遣(け)」を誤読と考えなかったので、「せ」との紛らわしさを回避するために、「せ」と字形の異なる「介(け)」を使用したと考えられます。
#奥の細道
先に「あせび」が「あふひ(葵)」なった理由をみましたが、永機本では「あ介(け)ひ」となっています。
これは「あせひ」の「せ」を「遣(け)」と考え、両者の紛らわしさを避けるため「介(け)」の変体仮名に変えたと考えられます。
註記:
永機は「せ」を「遣(け)」と誤読したが、当然のことながらそれを誤読とは考えませんでした。
つまり永機は「遣(け)」を誤読と考えなかったので、「せ」との紛らわしさを回避するために、「せ」と字形の異なる「介(け)」を使用したと考えられます。
#奥の細道
松尾芭蕉の「おくのほそ道」の宮城野に次の一節があります。
「玉田よこ野、つゝじが岡は、あせび咲ころ也」
この「あせび」を「葵」とする例が多数あります。その一番の原因は、曖昧な字形にあります。
下図参照
自筆本・曽良本は確実に「あせひ」ですが、西村本では「あせひ」の「せ」が「を」に近い字形になっています。
これにより村治本では「あをひ」と誤読。
蕉門七書や半化坊では「阿(あ)ふひ」となります。これは、「あせひ」を「あをひ」と誤読し、更に歴史的仮名遣いに直し「あふひ(葵)」としたと考えられます。
#奥の細道
松尾芭蕉の「おくのほそ道」の宮城野に次の一節があります。
「玉田よこ野、つゝじが岡は、あせび咲ころ也」
この「あせび」を「葵」とする例が多数あります。その一番の原因は、曖昧な字形にあります。
下図参照
自筆本・曽良本は確実に「あせひ」ですが、西村本では「あせひ」の「せ」が「を」に近い字形になっています。
これにより村治本では「あをひ」と誤読。
蕉門七書や半化坊では「阿(あ)ふひ」となります。これは、「あせひ」を「あをひ」と誤読し、更に歴史的仮名遣いに直し「あふひ(葵)」としたと考えられます。
#奥の細道
先ず自筆本の「重ぬ」は「こ万(ま)ぬ」と読めなくもない。これを意識してか、柿衛本の「(かさ)ぬ」は「重」に似る。
西村本は「重ぬ」だが、元禄・寛政版では「こ王(わ)ぬ」と読める。ここから蕉門七書では「こわぬ」となり、半化坊では「古(こ)者(は)ぬ」となる。
#奥の細道
先ず自筆本の「重ぬ」は「こ万(ま)ぬ」と読めなくもない。これを意識してか、柿衛本の「(かさ)ぬ」は「重」に似る。
西村本は「重ぬ」だが、元禄・寛政版では「こ王(わ)ぬ」と読める。ここから蕉門七書では「こわぬ」となり、半化坊では「古(こ)者(は)ぬ」となる。
#奥の細道