末法の教主・御本仏・日蓮大聖人の御金言。
創価学会初代会長・牧口先生・2代目会長・戸田先生・3代目会長・池田先生の御指導。
(副教学部長・河合師範御指導/辻副会長御指導)
世間の評判を恐れて臆病に負けたり、
毀誉褒貶に惑わされて傲慢に陥ったり
何よりも、一番大切な信心を見失ってしまう事が、結果として法を下げることに通じていく。
『わが学会は、和合して、広布へ、日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを破ろうとする者は必ず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとするものであるならば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。絶対に出来ぬ。
我々は和合僧なりと心から叫ぶ団体である。幹部は結束してこれにあたっている。
そして破るものも悪いが、これらの者のみだけでなく、破られた方にも(罰が)ある。
これは皆さんの心に、深く気に留めなければならぬ。
確固不動の信心を求める次第である』
『わが学会は、和合して、広布へ、日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを破ろうとする者は必ず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとするものであるならば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。絶対に出来ぬ。
我々は和合僧なりと心から叫ぶ団体である。幹部は結束してこれにあたっている。
そして破るものも悪いが、これらの者のみだけでなく、破られた方にも(罰が)ある。
これは皆さんの心に、深く気に留めなければならぬ。
確固不動の信心を求める次第である』
ほんのわずか疑っても、その一念の揺れが、そのまま結果に現れる。
仏法とはそれほど厳しい因果の理法である。
ほんのわずか疑っても、その一念の揺れが、そのまま結果に現れる。
仏法とはそれほど厳しい因果の理法である。
一日一日の充実には
朝の出発が肝心です。
「朝の勝利」が
一日の勝利です。
その積み重ねが
人生全体の勝利となる。
一日一日の充実には
朝の出発が肝心です。
「朝の勝利」が
一日の勝利です。
その積み重ねが
人生全体の勝利となる。
さらに『役職があればあるほど責任がある。模範でなくてはいけない』と言われた。また『人前でいかに立派なことを言っても、自分が実践しないとすれば、幹部として最低の姿であり、あまりにも独りよがりである』と厳しかった。
さらに『役職があればあるほど責任がある。模範でなくてはいけない』と言われた。また『人前でいかに立派なことを言っても、自分が実践しないとすれば、幹部として最低の姿であり、あまりにも独りよがりである』と厳しかった。
広宣流布の途上に起こりくる難や“煩わしさ”を決して避けてはならない。
それらと戦っていくところに仏道修行があり、宿命転換の道がある。
そして、一つまた一つと苦難の坂を勇んで越えていってこそ、広布の前途は洋々と開ける。
広宣流布の途上に起こりくる難や“煩わしさ”を決して避けてはならない。
それらと戦っていくところに仏道修行があり、宿命転換の道がある。
そして、一つまた一つと苦難の坂を勇んで越えていってこそ、広布の前途は洋々と開ける。
末法の衆生が、なぜ成仏し難いかといえば、本未有善だからである。すなわち、過去になんらの善根も積まず、いたずらに、邪法邪義を繰り返し、貪瞋癡の三毒強盛の、汚れきった生命に生まれ...
末法の衆生が、なぜ成仏し難いかといえば、本未有善だからである。すなわち、過去になんらの善根も積まず、いたずらに、邪法邪義を繰り返し、貪瞋癡の三毒強盛の、汚れきった生命に生まれ...
いまだ誰も果たしたことのない、日蓮仏法の「立正安国」「王仏冥合」という見果てぬ夢の実現。
時機は来た。打つべき手は打った。だが、権力には魔性が棲んでいる。
ここに居並び、これから政界に送り出さねばならぬ弟子たちの、誰一人として気づかぬほどに獰猛で、狡猾で、甘美な魔性が。
いまだ誰も果たしたことのない、日蓮仏法の「立正安国」「王仏冥合」という見果てぬ夢の実現。
時機は来た。打つべき手は打った。だが、権力には魔性が棲んでいる。
ここに居並び、これから政界に送り出さねばならぬ弟子たちの、誰一人として気づかぬほどに獰猛で、狡猾で、甘美な魔性が。
大事なことは、必ず、病魔に打ち勝つぞという、強い強い決意の祈りです。そして、懺悔滅罪の祈りであり、罪障を消滅してくださる御本尊への、深い深い感謝の祈りです。
胃が癌に侵されているというのなら、唱題の集中砲火を浴びせるような思いで、題目を唱えきっていくんです。
さらに、重要なことは、自分は広宣流布のために生き抜くのだと、心を定めることです。
大事なことは、必ず、病魔に打ち勝つぞという、強い強い決意の祈りです。そして、懺悔滅罪の祈りであり、罪障を消滅してくださる御本尊への、深い深い感謝の祈りです。
胃が癌に侵されているというのなら、唱題の集中砲火を浴びせるような思いで、題目を唱えきっていくんです。
さらに、重要なことは、自分は広宣流布のために生き抜くのだと、心を定めることです。
「最初の一歩」が、勇気がいるのです。「〇ゼロから一までの距離」は、「一から百までの距離」よりも大きいと言ってもいい。「千里の道も一歩から」です。
大切なのは「一歩」を踏み出すことです。
「最初の一歩」が、勇気がいるのです。「〇ゼロから一までの距離」は、「一から百までの距離」よりも大きいと言ってもいい。「千里の道も一歩から」です。
大切なのは「一歩」を踏み出すことです。
大切なのは、「これから」どうかである。
今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。
その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。
「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。
すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
ゆえに、一段と信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。
強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。
大切なのは、「これから」どうかである。
今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。
その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。
「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。
すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
ゆえに、一段と信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。
強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。
仏法は、どこまでも人間の無限の可能性を信ずる、最高の人間主義なのです。それゆえに、仏法を内道、内なる道と言います。
仏法は、どこまでも人間の無限の可能性を信ずる、最高の人間主義なのです。それゆえに、仏法を内道、内なる道と言います。
妙法で結ばれた絆は生死を超えて永遠である。
妙法で結ばれた絆は生死を超えて永遠である。
弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない
と述べられている。助け合い、励まし合う、うるわしい同志愛が大切なのである。
また「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」
少しくらい強い者でも一人きりであれば険しい道には倒れてしまう――と。
大聖人はそのように“良き友”との“良き絆”の大切さを教えておられる。誰も自分一人の力で大きくなった人はいない。
多くの人に守られ、支えられて生きている。良き環境は良き人間をつくる。みずから、そうした良き環境、“良き人間のつながり”を求めていく人は、限りなく伸びていける。
弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない
と述べられている。助け合い、励まし合う、うるわしい同志愛が大切なのである。
また「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」
少しくらい強い者でも一人きりであれば険しい道には倒れてしまう――と。
大聖人はそのように“良き友”との“良き絆”の大切さを教えておられる。誰も自分一人の力で大きくなった人はいない。
多くの人に守られ、支えられて生きている。良き環境は良き人間をつくる。みずから、そうした良き環境、“良き人間のつながり”を求めていく人は、限りなく伸びていける。
法華経の行者の祈りは必ず叶う。どんなことがあろうとも、強盛な祈りのある人は「変毒為薬」することができる。何も恐れるものはない。
法華経の行者の祈りは必ず叶う。どんなことがあろうとも、強盛な祈りのある人は「変毒為薬」することができる。何も恐れるものはない。
妙法の智水を、たちどころに毒水に変えてしまう怖さがあるのです。
ゆえに、末法の正師は、謗法の悪を厳しく呵責するのです。
末法は、悪知識に満ちている時代です。仏教の中で、宗教的権威を持った僧が悪知識になる時代です。
その末法に妙法を正しく流れ通わせるためには、権威・権力を恐れず、勇気を持って悪を呵責していくことが、正師の要件になるのです。
仏法が、人間の尊厳性を開く教えである以上、人間蔑視、差別主義、生命破壊の悪の思想とは断固、戦い抜かねばなりません。
悪を滅しなければ、真の善の行為となりません。
妙法の智水を、たちどころに毒水に変えてしまう怖さがあるのです。
ゆえに、末法の正師は、謗法の悪を厳しく呵責するのです。
末法は、悪知識に満ちている時代です。仏教の中で、宗教的権威を持った僧が悪知識になる時代です。
その末法に妙法を正しく流れ通わせるためには、権威・権力を恐れず、勇気を持って悪を呵責していくことが、正師の要件になるのです。
仏法が、人間の尊厳性を開く教えである以上、人間蔑視、差別主義、生命破壊の悪の思想とは断固、戦い抜かねばなりません。
悪を滅しなければ、真の善の行為となりません。
「小さな心のわだかまりを消して下さい。もっともっと崇高なる広宣流布という目的にふさわしい前進をさせて下さい!」
こうお願いしていくべきです。
何でも御本尊に直結すればいいのです。
「小さな心のわだかまりを消して下さい。もっともっと崇高なる広宣流布という目的にふさわしい前進をさせて下さい!」
こうお願いしていくべきです。
何でも御本尊に直結すればいいのです。
「御聖訓には『つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし』(全1124・新1633)と仰せです。無量の智慧をもたらす法華経という剣も、臆病であっては、使いこなすことはできません。
🚨苦手だから避けようと思う心。
仕方ないのだと自らの臆病や怠惰を正当化しようという心――その自分の弱さに挑み、打ち勝つ勇気をもってください。そこに自身の人間革命があり、一切の勝利の要諦があります。
「御聖訓には『つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし』(全1124・新1633)と仰せです。無量の智慧をもたらす法華経という剣も、臆病であっては、使いこなすことはできません。
🚨苦手だから避けようと思う心。
仕方ないのだと自らの臆病や怠惰を正当化しようという心――その自分の弱さに挑み、打ち勝つ勇気をもってください。そこに自身の人間革命があり、一切の勝利の要諦があります。
順調なときこそ、「油断は大敵」である。
日蓮大聖人は、主君の信頼を勝ち得て、苦境を脱しつつあった四条金吾に対して、「心に深く用心しなさい」(📖1176・通解)等と、このようなときこそ心を引き締めていくべきだと教えておられる。
順調なときこそ、「油断は大敵」である。
日蓮大聖人は、主君の信頼を勝ち得て、苦境を脱しつつあった四条金吾に対して、「心に深く用心しなさい」(📖1176・通解)等と、このようなときこそ心を引き締めていくべきだと教えておられる。
勤行・唱題は仏の音声である。その声は全宇宙に届く。荘厳なる儀式なのである。
力強い唱題で、健康・長寿、そして勝利、また勝利の日々を送ってまいりたい。
勤行・唱題は仏の音声である。その声は全宇宙に届く。荘厳なる儀式なのである。
力強い唱題で、健康・長寿、そして勝利、また勝利の日々を送ってまいりたい。
元より凡夫の世界である。況や末法も進んだ濁世である。様々な苦難に遭い「どうしてこんなことが」と思うようなことが起きるのも、ある意味でやむをえない。
しかし、深い「仏法の眼」で見れば全てに意味がある。すべてが御仏意に適った「勝利への前進」の姿に他ならない。根底においては、全て守られながらの、私どもの「広布の旅路」なのである。
元より凡夫の世界である。況や末法も進んだ濁世である。様々な苦難に遭い「どうしてこんなことが」と思うようなことが起きるのも、ある意味でやむをえない。
しかし、深い「仏法の眼」で見れば全てに意味がある。すべてが御仏意に適った「勝利への前進」の姿に他ならない。根底においては、全て守られながらの、私どもの「広布の旅路」なのである。
魔は誰の生命にも潜んでいます。
油断が生じ惰性に陥ると、たちまち魔が動き出し身を破っていきます。
魔はいつもこちらの隙を伺っているからです。
少しでも油断があれば、その隙間から魔は侵入する。
絶えず前進していく信心によってしか魔を破る事はできない。
魔は誰の生命にも潜んでいます。
油断が生じ惰性に陥ると、たちまち魔が動き出し身を破っていきます。
魔はいつもこちらの隙を伺っているからです。
少しでも油断があれば、その隙間から魔は侵入する。
絶えず前進していく信心によってしか魔を破る事はできない。