一念が大事。
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一念が大事。
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🇷🇴
末法の教主・御本仏・日蓮大聖人の御金言。

創価学会初代会長・牧口先生・2代目会長・戸田先生・3代目会長・池田先生の御指導。

(副教学部長・河合師範御指導/辻副会長御指導)
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[BOT] 境遇に負けること、自分自身に負けることが、「法華経に傷をつける」ことになるのです。
世間の評判を恐れて臆病に負けたり、
毀誉褒貶に惑わされて傲慢に陥ったり
何よりも、一番大切な信心を見失ってしまう事が、結果として法を下げることに通じていく。
[BOT] 昭和29年2月の本部幹部会では、戸田先生は次の様に指導された。
『わが学会は、和合して、広布へ、日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを破ろうとする者は必ず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとするものであるならば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。絶対に出来ぬ。
我々は和合僧なりと心から叫ぶ団体である。幹部は結束してこれにあたっている。

そして破るものも悪いが、これらの者のみだけでなく、破られた方にも(罰が)ある。

これは皆さんの心に、深く気に留めなければならぬ。
確固不動の信心を求める次第である』
February 4, 2026 at 12:28 AM
[BOT] 一切を勝利に導く根本は「確信」である。
ほんのわずか疑っても、その一念の揺れが、そのまま結果に現れる。
仏法とはそれほど厳しい因果の理法である。
February 3, 2026 at 11:28 PM
[BOT] ☀️

一日一日の充実には
朝の出発が肝心です。
「朝の勝利」が
一日の勝利です。
その積み重ねが
人生全体の勝利となる。
February 3, 2026 at 10:01 PM
[BOT] 私は、約十年間、戸田先生のもとで働き、お仕えした。その間、健康上の理由等で二度か三度遅刻した。当時は草創期でもあり、会合も、帰宅も、今より遅くなることが多かった。だが、戸田先生は、学会活動を理由に遅刻することは決して認めなかった。『それは信心利用である』と一喝された。
さらに『役職があればあるほど責任がある。模範でなくてはいけない』と言われた。また『人前でいかに立派なことを言っても、自分が実践しないとすれば、幹部として最低の姿であり、あまりにも独りよがりである』と厳しかった。
February 3, 2026 at 9:28 PM
[BOT] 皆さま方は大聖人門下として、妙法流布に生きゆく使命を自ら願ってきた広布の指導者である。
広宣流布の途上に起こりくる難や“煩わしさ”を決して避けてはならない。
それらと戦っていくところに仏道修行があり、宿命転換の道がある。
そして、一つまた一つと苦難の坂を勇んで越えていってこそ、広布の前途は洋々と開ける。
February 3, 2026 at 8:28 PM
[BOT] 釈尊在世において、成仏し難い衆生の代表は二乗と一闡提と女人であった。これらの衆生が、四十余年の権経によっては成仏することができず、法華経において初めて成仏を許されたことは、すでに述べた通りである。しかるに、末法の衆生は、この二乗、一闡提、女人の百千万倍も成仏し難い。にもかかわらず、この末法の衆生が、爾前権経の観経等によって成仏往生を願っているのは、まことに不合理であり、はかないことであるとの仰せである。
末法の衆生が、なぜ成仏し難いかといえば、本未有善だからである。すなわち、過去になんらの善根も積まず、いたずらに、邪法邪義を繰り返し、貪瞋癡の三毒強盛の、汚れきった生命に生まれ...
February 3, 2026 at 7:58 PM
[BOT] 戦後、雨後の筍のごとく政界に進出した他宗教の動向。
いまだ誰も果たしたことのない、日蓮仏法の「立正安国」「王仏冥合」という見果てぬ夢の実現。
時機は来た。打つべき手は打った。だが、権力には魔性が棲んでいる。
ここに居並び、これから政界に送り出さねばならぬ弟子たちの、誰一人として気づかぬほどに獰猛で、狡猾で、甘美な魔性が。
February 3, 2026 at 6:28 PM
[BOT] 唱題するにしても、ただ漫然と祈っていたり、御本尊への疑いを心にいだいて祈っていたのでは、いつまでたっても、病魔を克服することはできません。
大事なことは、必ず、病魔に打ち勝つぞという、強い強い決意の祈りです。そして、懺悔滅罪の祈りであり、罪障を消滅してくださる御本尊への、深い深い感謝の祈りです。
胃が癌に侵されているというのなら、唱題の集中砲火を浴びせるような思いで、題目を唱えきっていくんです。
さらに、重要なことは、自分は広宣流布のために生き抜くのだと、心を定めることです。
February 3, 2026 at 5:28 PM
[BOT] まず、「できるところ」「手をつけやすいところ」から始めるのがいいんじゃないだろうか。
「最初の一歩」が、勇気がいるのです。「〇ゼロから一までの距離」は、「一から百までの距離」よりも大きいと言ってもいい。「千里の道も一歩から」です。
大切なのは「一歩」を踏み出すことです。
February 3, 2026 at 4:08 PM
[BOT] 「今まで」どうだったかではない。
大切なのは、「これから」どうかである。
今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。
その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。
「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。
すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
ゆえに、一段と信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。
強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。
February 3, 2026 at 3:01 PM
[BOT] 仏教が、それまでの思想・宗教と大きく一線を画す点は、一個の人間の内に、無量の苦悩を根本から解決する「法」、すなわち「無限の力」を発見したことです。これによって苦悩を根本から解決し、ゆるぎない幸福を築く最高の智慧を得た人が「仏」です。
仏法は、どこまでも人間の無限の可能性を信ずる、最高の人間主義なのです。それゆえに、仏法を内道、内なる道と言います。
February 3, 2026 at 3:01 PM
[BOT] その夫人の真心あふれる信心を大聖人はめでられているのである。また、その夫人の功徳が単に夫人だけにとどまらず父母、祖父母、無辺の衆生にまでいきわたる。ましてあなたがいとおしく思っている主人が守られないわけがないと励まされているのである。
February 3, 2026 at 3:01 PM
[BOT] 我らの題目の功力は三世十方に行き渡り、家族も友人も無量の福徳の光で包めるのだ。
妙法で結ばれた絆は生死を超えて永遠である。
February 3, 2026 at 3:01 PM
[BOT] 📖甲斐無き者なれども・たすくる者強ければたうれず

弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない
と述べられている。助け合い、励まし合う、うるわしい同志愛が大切なのである。
また「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」
少しくらい強い者でも一人きりであれば険しい道には倒れてしまう――と。
大聖人はそのように“良き友”との“良き絆”の大切さを教えておられる。誰も自分一人の力で大きくなった人はいない。
多くの人に守られ、支えられて生きている。良き環境は良き人間をつくる。みずから、そうした良き環境、“良き人間のつながり”を求めていく人は、限りなく伸びていける。
February 3, 2026 at 3:00 PM
[BOT] 御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(同1124㌻、通解)と、絶対の御約束である。
法華経の行者の祈りは必ず叶う。どんなことがあろうとも、強盛な祈りのある人は「変毒為薬」することができる。何も恐れるものはない。
February 3, 2026 at 2:38 PM
[BOT] この魔との戦いも、根本的には無明との戦いです。また、人生に起こってくる色々な困難と戦うのも、本質は無明との戦いです。妙法への「信」、言いかえれば「必ず成仏できる」「必ず幸せになれる」「必ず広宣流布を実現していく」という一念が失せたならば、人生の困難にも、公布の途上の困難にも、負けてしまいます。開目抄で「疑う心」に負けてはいけない「嘆きの心」にとらわれてはいけないといわれているが、その疑いや嘆きこそ、まさに無明の表れなのです。
February 3, 2026 at 2:01 PM
[BOT] 疑い、不安、煩悩などの種々の形で無明は現れてくる。しかし、それを打ち破っていく力は「信」以外にない。大聖人も「無疑曰信」と仰せです。「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」とも言われている。鋭い剣です。魔と戦うという事も、根本的には無明と鋭く戦うのでなければならない。私たちは、広宣流布を妨げる魔の勢力と戦っています。
February 3, 2026 at 2:01 PM
[BOT] 正法に違背し、誹謗する謗法は、信仰上の猛毒です。
妙法の智水を、たちどころに毒水に変えてしまう怖さがあるのです。
ゆえに、末法の正師は、謗法の悪を厳しく呵責するのです。
末法は、悪知識に満ちている時代です。仏教の中で、宗教的権威を持った僧が悪知識になる時代です。
その末法に妙法を正しく流れ通わせるためには、権威・権力を恐れず、勇気を持って悪を呵責していくことが、正師の要件になるのです。
仏法が、人間の尊厳性を開く教えである以上、人間蔑視、差別主義、生命破壊の悪の思想とは断固、戦い抜かねばなりません。
悪を滅しなければ、真の善の行為となりません。
February 3, 2026 at 1:30 PM
[BOT] 怨嫉、憎悪、ムカつきの気持ちが起きたならば、御本尊に題目をあげて
「小さな心のわだかまりを消して下さい。もっともっと崇高なる広宣流布という目的にふさわしい前進をさせて下さい!」
こうお願いしていくべきです。

何でも御本尊に直結すればいいのです。
February 3, 2026 at 1:30 PM
[BOT] 伸一はさらに、智慧が湧いたら、それを行動に移す「勇気」が不可欠であることを訴えた。
「御聖訓には『つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし』(全1124・新1633)と仰せです。無量の智慧をもたらす法華経という剣も、臆病であっては、使いこなすことはできません。
 
🚨苦手だから避けようと思う心。
仕方ないのだと自らの臆病や怠惰を正当化しようという心――その自分の弱さに挑み、打ち勝つ勇気をもってください。そこに自身の人間革命があり、一切の勝利の要諦があります。
February 3, 2026 at 1:30 PM
[BOT] ☝🏻順調な時こそ油断大敵

順調なときこそ、「油断は大敵」である。
 
 日蓮大聖人は、主君の信頼を勝ち得て、苦境を脱しつつあった四条金吾に対して、「心に深く用心しなさい」(📖1176・通解)等と、このようなときこそ心を引き締めていくべきだと教えておられる。
February 3, 2026 at 1:30 PM
[BOT] 「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神、乃至、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(同557㌻、通解)
February 3, 2026 at 1:28 PM
[BOT] 日本中、世界中に響くような強い一念で、朗々たる勤行をすることだ。弱々しい勤行ではいけない。また、皆で行う場合、あわない勤行ではいけない。
勤行・唱題は仏の音声である。その声は全宇宙に届く。荘厳なる儀式なのである。
力強い唱題で、健康・長寿、そして勝利、また勝利の日々を送ってまいりたい。
February 3, 2026 at 12:28 PM
[BOT] 私どももまた総じては、その信心に応じて実は厳然と「守られている」のである。
元より凡夫の世界である。況や末法も進んだ濁世である。様々な苦難に遭い「どうしてこんなことが」と思うようなことが起きるのも、ある意味でやむをえない。
しかし、深い「仏法の眼」で見れば全てに意味がある。すべてが御仏意に適った「勝利への前進」の姿に他ならない。根底においては、全て守られながらの、私どもの「広布の旅路」なのである。
February 3, 2026 at 11:18 AM
[BOT] 仏法は間断なき仏と魔との戦いです。
魔は誰の生命にも潜んでいます。

油断が生じ惰性に陥ると、たちまち魔が動き出し身を破っていきます。

魔はいつもこちらの隙を伺っているからです。
少しでも油断があれば、その隙間から魔は侵入する。

絶えず前進していく信心によってしか魔を破る事はできない。
February 3, 2026 at 11:01 AM