プロテスタンティズム倫理と資本主義の精神bot
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1904-05年発刊、マックス・ヴェーバー著、3時間毎に1回ランダム+αにつぶやく仕様です。
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改革派の信徒たちもまたルターと同じように信仰によって救われることを願ったのだった。しかしカルヴァンはすでに単なる勘定や気分は、それがどれほど崇高なものであっても欺瞞的なものであるという見解を示している
November 13, 2025 at 9:52 AM
正統ルター派の発展はこの傾向をさらに強めた(略)すなわち禁欲的な義務を重視することで世俗的な義務が軽視されるというカトリックの伝統的な姿勢が否定されただけだった。一方では政府への服従と与えられた生活状態への順応が説かれることになったのでありこれが唯一の倫理的な収穫だった
November 13, 2025 at 6:52 AM
歴史的にみると、合理主義の発展は、個々の生活領域で並行して進展してきたわけではないからである。(略)18世紀では現世を重視する合理主義的な哲学が優位を占めたが、資本主義が高度に発展した諸国だけでこうした哲学が支配的であったわけではないし、(略)力が強かったというわけでもない
November 13, 2025 at 3:52 AM
禁欲の精神が正面が対決したのは現世における存在そのもの、そしてそれによって生まれる楽しみにこだわらずに享受するという姿勢だった。(略)この特徴を顕著に示しているのは「娯楽教書」をめぐる闘争である。
November 13, 2025 at 12:52 AM
伝統的なカトリックの教会の支配は極めて穏やかで、ほとんど気づくことはない。単なる形式的な支配だった。
November 12, 2025 at 9:52 PM
敬虔派が育んださまざまな徳性は仕事に忠実な役人、雇人、労働者、家内工場の職人たち、あるいは家父長的な精神の雇い主たちが神に祝福される謙譲のうちで表現できるものだった。これに対しカルヴァン派は厳格で、実直で、活動的な市民的で資本主義的な実業家の徳性と親和性を備えているのである
November 12, 2025 at 6:52 PM
国営の教会の権威主義的な道徳警察としての働きと自由な服従を土台とする教団の道徳警察としての働きには、大きな違いがあることに留意しなければならない。
November 12, 2025 at 3:52 PM
カトリック教会は早くからカルヴィニズムを最大の敵と見定めており、現在でもそのことに変わりはない。最初は純粋に政治的な理由からだった。確かに宗教改革ではルター個人の宗教的な変選と切り離して考えられないし、ルターの人格から長い間強い精神的な影響を受けた
November 12, 2025 at 12:52 PM
こうした実業家は「天職を遂行」すべきであるという非合理的な感情を持っているだけであって、自分のものとしては「何物ももたない」のである
November 12, 2025 at 9:52 AM
それでもカルヴィニズムなしでは外的な持続性を維持することはできなかったはずである。しかしカトリックとルター派の信徒はどちらもカルヴィニズムを嫌悪した。その理由はカルヴィニズムの倫理的な特性のうちに根差している
November 12, 2025 at 6:52 AM
ルター派の信仰にはその恩寵論の帰結として自分たちの生活を特定の方法に基づいて合理化する為に必要な心理的な原動力が欠けていたのである。
November 12, 2025 at 3:52 AM
変革を引き起こした要因は新たな資金が流入したことではなかったのである。私の知っている多くの事例では、親類から借り入れた数千マルクの資金で、この革命的なプロセスの全体が遂行されたのである。変革の原因はむしろ新たな精神が誕生したこと「近代の資本主義の精神」が誕生したことにある
November 12, 2025 at 12:52 AM
再洗礼派の極めてまじめで良心的で方法的な性格の為に信徒たちは、非政治的な職業生活へと進まざるをえなかったのである。
November 11, 2025 at 9:52 PM
例えば18世紀にはメソジスト派の労働者たちは「他の宗派の」労働者たちから嫌われ、いやがらせの的になったが、その原因は、現在の言葉遣いで表現すると、彼らの労働意欲の高さであった。
November 11, 2025 at 6:52 PM
少なくともメノー派とクエーカー派では、軍隊に入隊して兵器を使用する事と、公務員として宣誓することが厳密に拒否されたので、実際には官職につく資格が失われることになり、この拒否は実質的に維持されていたのである。
November 11, 2025 at 3:52 PM
(予定論について)ここにおいて世界を呪術から解放するという宗教的な偉大なプロセスが、ついに完了したのでる。このプロセスは古代ユダヤの予言者と共に始まり、ギリシアの科学的な思考と結びつき、救いの為にはあらゆる呪術的な方法を迷信や邪悪さとして退けるプロセスだったのである。
November 11, 2025 at 12:52 PM
かつて修道院の小さな房のうちで行われていた禁欲が、現世の職業生活のうちに持ち込まれ、世俗内的な倫理を支配するようになった。そしてこの禁欲が、自動的で機械的な生産を可能にする技術的及び経済的な条件と結びついて近代的な経済秩序のあの強力な宇宙を構成するために貢献したのである。
November 11, 2025 at 9:52 AM
富が危険なものとみなされるのは、怠惰や休息や罪深い生活の享受の誘惑となる場合だけなのである。そして罪の追求が危険なものとみなされるのは、将来を心配なしに安楽に暮らすことを目的とする場合だけである。
November 11, 2025 at 6:52 AM
全ての人にだれかれと差別なく天職として一つの職業が与えられているのであって、各人は自分の天職を見いだして、働けねばならないのである。
November 11, 2025 at 12:52 AM
このようにしてみると「資本主義の精神」発達を、合理主義の巨大な発展の一部として考えるのが最もわかりやすい考え方である。人生の究極の問題に対して合理主義の原理に基づいた姿勢をとることによって、資本主義の精神が生まれたと考えるべきなということになる。
November 10, 2025 at 9:52 PM
それとともに世俗的な職業の持つ意味はますます重要なものとなっていった。ルターは修道院で過ごすような生活は、神の前に自分を義とするためには、まったく価値のないものであるのは自明だと考えた。
November 10, 2025 at 6:52 PM
メソジスト派の宗教性の情緒的な性格はドイツの敬虔派のように内的な感情を重視するキリスト教の性格ではなかったのである。そのためこの宗派では罪悪感情はそれほど発達しなかった。
November 10, 2025 at 3:52 PM
ピューリタンたちはこうした営みに極めて深刻な懸念を抱いていたのだったが、その倫理的に決定的な重要性と枠組みを理解する為には、さらには深く考察する必要がある。
November 10, 2025 at 12:52 PM
しかし後のメソジスト派にみられるようにこのような完全な状態に到達するのは普通におこることではなく、各人の完全さの度合いは各人の進歩に段階に応じたものとなると考えられていた。
November 10, 2025 at 9:52 AM
(バクスター)だから固定した職業は万人にとっても最善のものなのである。
November 10, 2025 at 6:52 AM