誰しもが、自分の思惑を追うように他人の視線を追う。
他人の思惑を追うようでいて自分の視線で追う。
他人の視線を追う事が悪いというのではないよ。
「自分」と「他人」は役割は違うが、本質的に同じものだという事だよ。役割が起こす錯覚だということに気づくことだ。自分の役割から見えるものしか見えない。
ひと繋がりのものを分けて追う事が、拒絶や分裂、迷いを生んでいるというだけなんだよ。
わたしたちはひとつだ。
意識してもしなくても、また理解しようとしまいが、自分をただ生きる事が──ただ存在している事が、一体性の中での役割を完全に果たしているという事なんだよ。
誰も、何ひとつ間違ってはいないんだよ。