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論語はじめ現代において意訳・誤訳で訳出された内容が通説になっている古代漢文書籍を文法的に正しく翻訳して読んでみようという事で 古事記を現在は翻訳中です。
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古事記(322)解説
反正天皇(ミヅハワケのミコト)の見た目は巨人で歯並びが良いという事で、履中(りちゅう)天皇とは異母兄弟になるという事で、都の場所は天皇が変わる度に変わり、天皇の子が次の天皇でないというのがこの時代の混乱を象徴していると思われます。
古事記(322)現代語訳
ミヅハワケのミコトは多治比の柴垣宮(大阪府松原市)で王座に就き天下を治めたのである
この天皇の御身の長は九尺二寸半(身長約280cm)
御齒の長は一寸廣二分(歯の縦の長さ3.6cm)
(歯の)上下は等しく同様にあって珠を貫いたようであり(歯並びが美しい)
天皇は娶丸邇の許碁登臣の娘のツヌイラツメ
御子のカヒイラツメを産み
ツブライラツメを次に(産み)
同臣の娘のオトヒメを娶る事をまたし
御子のタカラ王を生み
タカベイラツメを次に
併せて四王である
天皇の御年は六十歳にし(崩御し)
御陵(墓)はモズノ(大阪府堺市?)に在るのである
古事記(322)直訳
ミヅハワケのミコトは多治比の柴垣宮に坐し天下を治む也
此の天皇の御身の長は九尺二寸半
御齒の長は一寸廣二分
上下は等しく既に齊し珠を貫く如くす
天皇は丸邇の許碁登臣の女のツヌイラツメを娶り
御子のカヒイラツメを生み
ツブライラツメを次【二柱】
同臣の女のオトヒメを娶るを又し
御子のタカラ王を生み
タカベイラツメを次
四王を并せてす也
天皇の御年は陸拾歲
御陵はモズノに在る也
◆反正(はんぜい)天皇

古事記(322)原文
水齒別命坐多治比之柴垣宮治天下也
此天皇御身之長九尺二寸半
御齒長一寸廣二分
上下等齊既如貫珠
天皇娶丸邇之許碁登臣之女都怒郎女
生御子甲斐郎女
次都夫良郎女【二柱】
又娶同臣之女弟比賣
生御子財王
次多訶辨郎女
并四王也
天皇之御年陸拾歲
御陵在毛受野也
古事記(321)解説
ミヅハワケのミコトらはソバカリを自らの手にかけて殺したという事もありその禊祓いのため、都のある倭国領土である石上神宮(奈良県天理市)に入る前に神の宮(遠飛鳥神社:奈良県高市郡?)で神に拝みそれから都に向けて出発したと。ミヅハワケのミコトは墨江中王との関係を疑われており、ここまで天皇と会って話す事はできておらず、墨江中王を討ち取ったという知らせを先に天皇に届けて、天皇がそれを知りやっと都に入り天皇と直接会って話す事ができたと。
天皇の危機を救った阿知直他、功績のあった者らに恩賞が与えられ、旧都である伊波禮之若櫻宮は伊波禮部と若櫻部の二つに分けられて執政部が置かれたと。
古事記(321)現代語訳―②
またこの御世は若櫻部(旧都の執政部)臣等に対して若櫻部の名を与え
ヒメダ君等は姓を与えられる事をまたし、ヒメダの君というのである
また伊波禮部(旧都の執政部)を定めたのである
天皇の御年は六十一歲にし(崩御し)
御陵はモズ(大阪府堺市?)に在るのである
古事記(321)現代語訳―①
都の倭国(国境)に接するに到り(ミヅハワケのミコトは)以下を告げ
今日はこの場所に留り祓ぎ禊い(厄払い)をして明日出発し参上する
神の宮を拝む事をまさにするとし
故にその地の呼び名は遠飛鳥(オンアスカ)というのである
故に石上神宮(奈良県天理市)に出発し参上し
天皇に報告するよう命令し
政変は平定される事を既にし都に参上する事をついにします
それを(天皇が知るのを)待って一同は(宮に)召き入れられて(天皇と直接)語る事を互いにしたのである
天皇はそれら(一連の政変)に対して阿知直をもって藏官(財務大臣?)に任命することを始めてし
また農地を与え
古事記(321)直訳
上の倭に于すに到り之を詔げ
日を今にし此の間に留り祓ぎ禊いを爲して日を明けて出で參る
神の宮を拜むを將にす
故に其の地を號し遠飛鳥と謂う也
故に石上神宮に出て參り
天皇に奏すを令し
政は平にすを既にし上に參るを訖にす
之を侍し爾らは入り召かれて語るを相にす也
天皇は是らに於いて阿知直を以てし藏官を任すを始めてし
亦た粮の地を給り
亦た此の御世は若櫻部臣等に於いて若櫻部の名を賜り
比賣陀君等は姓を賜るを又し比賣陀の君と謂う也
亦た伊波禮部を定む也
天皇の御年は陸拾肆歲にし
御陵はモズに在る也
古事記(321)原文
上到于倭詔之
今日留此間爲祓禊而明日參出
將拜神宮
故號其地謂遠飛鳥也
故參出石上神宮
令奏天皇政既平
訖參上侍之
爾召入而相語也
天皇於是以阿知直始任藏官
亦給粮地
亦此御世於若櫻部臣等賜若櫻部名
又比賣陀君等賜姓謂比賣陀之君也
亦定伊波禮部也
天皇之御年陸拾肆歲
御陵在毛受也
現代でいうと倭国領土は和歌山・三重とはしましたが、奈良県については両者の境界でもあり、倭国領土と出雲領土が入り組んで存在していると思われ、四国や九州については各地域に倭国名と出雲名の二つの呼び方があるように、地域によっては倭国と出雲の領土は入り組んでいたと思われます。
基本的に都が置かれる場所は倭国領土と出雲領土の境界付近であるともいえ、飛鳥時代の飛鳥京(奈良県橿原市)から平安時代の平安京(京都府京都市)の時代までにかけて倭国が境界線を南から北に押し上げたということかと。
古事記(320)解説
ソバカリは墨江中王を殺すという功績は挙げたけれども、あまりにも簡単に自身の主君を裏切ってしまったため、今後も同様の話を持ち掛けられれば簡単に主君を裏切るであろうと判断され、功績には報いるという事で宴を開いて大臣の位と官職を与えられたけれども宴の席で騙し打ちに会いすぐに殺され、罪人として墨江中王と共に次の日に都に行く事になり、都に行くのが今日か明日かという事で、その地の名前は近飛鳥(今明日か:コンアスカ)となったと。
古事記(320)現代語訳―②
すなわちその隼人に対して大臣の位と百の官職を命じ与え隼人は歓喜しありがたがり思いを遂げる事をなしたともってし
一同はその隼人に告げ今日は大臣と共にし同じ杯の酒を飲む事を共にするとし
その時に顔を隱すほどの大きな椀にその勧める酒を盛り
それらに対し王子は飮む事を先にし隼人が飮む事を後にし
故にその隼人は大きな椀で顔を覆われる事をその時にしながら飮み
一同は席の下に置いた剣を取り出しその隼人の頸を斬り
つまり日が明けてから都に行くのが良いとし
故にその地の呼び名とし近飛鳥(コンアスカ)というのである
(320)現代語訳―①
故にソバカリを連れて都は倭国をおいてするのが良いとし
その時に大坂山口(香芝市)に到り
ソバカリは自分には大きな功績が有るといえども、自身の君主を殺す事を既にしそれらは忠義がないことは言うまでもないとし
(ミヅハワケのミコトは)その功に報いないでは信を無くすというべき
(ソバカリは)その信を裏切る行為を既にし(また裏切るであろう)その心情を恐れ
故にその功に報うといえどもその生命を滅ぼすとし
彼らはソバカリに告げる事をもってし
今日はこの場所に留まり大臣の位を与える事を先にする
明日都に行くのが良いとしその山口に留め
すぐに仮の宮を造り大勢で宴をすることをたちまちにし
古事記(320)直訳ー②
乃ち其の隼人に於いて大臣の位百官が令し賜り隼人は喜び歡し拜み志を遂ぐを爲すを以てす
爾らは其の隼人に詔げ日を今にし大臣と與にし盞の酒を同じく飮み飮を共にす
之が時にし面を隱す大鋺にし其の進む酒を盛り
是らに於いて王子は飮むを先にし隼人が飮むを後にし    
故に其の隼人は大鋺が面を覆うを時にし飮み
爾らは席下に置く劍を出だし取り其の隼人の頸を斬り
乃ち日を明けて上が幸とす
故に其の地を號し近飛鳥と謂う也
古事記(320)直訳―①
故にソバカリを率い上は倭に於いてすを幸とし
之が時にし大坂山口に到り
ソバカリは吾は大功有りと雖も己が君を殺すを既にし是らは義せず然りと爲し
其の功を賽せず信を無くすと謂う可し
其の信の還すを行うを既にし其の情を惶る
故に其の功に報うと雖も其の正身を滅ぼすとし
是らはソバカリに詔ぐを以てし
日を今にし此の間に留めて大臣の位を給うを先にす
日を明けて上が幸とし其の山口に留め
即ち假宮を造り樂を豐にすを爲すを忽ちにし
古事記(320)原文
故率曾婆訶理上幸於倭
之時到大坂山口
曾婆訶理爲吾雖有大功既殺己君是不義然
不賽其功可謂無信
既行其信還惶其情
故雖報其功滅其正身
是以詔曾婆訶理
今日留此間而先給大臣位
明日上幸留其山口
即造假宮忽爲豐樂
乃於其隼人賜大臣位百官令拜隼人歡喜以爲遂志
爾詔其隼人今日與大臣飮同盞酒共飮
之時隱面大鋺盛其進酒
於是王子先飮隼人後飮    
故其隼人飮時大鋺覆面
爾取出置席下之劍斬其隼人之頸
乃明日上幸
故號其地謂近飛鳥也
古事記(319)解説
大坂山口(奈良県香芝市)からタギマ道(奈良県葛城市)を行くと元の都である伊波禮之若櫻宮(奈良県桜井市)方面に向かって行くはずですが、実際は逆方向の石上神宮(奈良県天理市)方面に向かってそこに都を置いたという事で、大坂山口で出会った女性の言葉は嘘で罠であると判断したのだと思われます。そういった事もあり、異母兄弟の中にも墨江中王と組んで同様に天皇の座を狙っている者がいるのでないかと疑われたミヅハワケのミコトはその疑いを晴らすため、難波に戻り墨江中王を殺して連れてくると約束し、墨江中王の側近を買収し裏切らせて墨江中王を殺させたと。
古事記(319)現代語訳―②
故にすぐに難波(大阪)に下り返し
近習(側近)としている所の墨江中王の隼人(元来は鹿児島辺りに住んでいた人々)の名はソバカリを欺き
もしあなた方が私の言葉というものに従うなら私は天皇となりあなたを大臣とさせて天下を治めるのはどうかと伝え
ソバカリはその天命のままにと申し上げ答え
(隼人)一同が受け取る俸禄が多くなるとし
その隼人は以下
そういう事であなた方の王を殺すのであるとし
それらの事があってソバカリは自身の王が厠に入るのを密かに伺い矛をもって刺して殺したのである
古事記(319)現代語訳―①
故に都は石上神宮(奈良県天理市)に置くのが良いとしたのである
それらの事があってその異母弟のミヅハワケのミコトに赴き参上し謁見するよう命令し
天皇一同は私は君を疑うと告げるよう命令し
もしや墨江中王と組んで心を同じくするやと
故に(ミヅハワケのミコトは)言葉を違えず(嘘偽りなく言うなら)
私めという者は心を邪にし穢れてはいないと申し上げ答え
また墨江中王と同様でないとし
またそのように(天皇に)告げるよう命令し
下(大阪)に返す事を今からして墨江中王を殺して彼を都に連れて来るとし
私は言葉通りに必ずやするとその時にし
古事記(319)直訳―②
故に即ち難波に下り還り
近習とす所の墨江中王の隼人の名はソバカリを欺き
若し汝らが吾が言なる者に從うなら吾は天皇を爲し汝は大臣と作り天下を治む那何と云い
ソバカリは命を隨にすと白し答え
爾は給るに祿を多くすとし
其の隼人は曰く
然なる者は汝らが王を殺す也
是らに於いてソバカリは己が王が厠に入るを伺い竊み矛を以てし刺して殺す也
古事記(319)直訳―①
故に上は石上神宮に坐すを幸とす也
是らに於いて其の伊呂弟の水齒別の命が赴き參り謁を令し
爾らが天皇は吾は汝がミコトを疑うと詔ぐを令し
若し墨江中王と與にし心を同じくす乎
故に言を相えず
僕なる者は心を邪にし穢れ無しと白し答え
亦た墨江中王と同じくせず
亦た然なる者を詔ぐを令し
下に還るを今して墨江中王を殺して彼を來て上にす
吾は言を相にすを必ずやすと時にし
古事記(319)原文
故上幸坐石上神宮也
於是其伊呂弟水齒別命參赴令謁 
爾天皇令詔吾疑汝命
若與墨江中王同心乎
故不相言
答白僕者無穢邪心
亦不同墨江中王
亦令詔然者
今還下而殺墨江中王而上來彼
時吾必相言
故即還下難波
欺所近習墨江中王之隼人名曾婆加理
云若汝從吾言者吾爲天皇汝作大臣治天下那何
曾婆訶理答白隨命
爾多祿給
其隼人曰
然者殺汝王也
於是曾婆訶理竊伺己王入厠以矛刺而殺也
古事記(318)解説
難波宮(大阪府大阪市)からハニフ坂(大阪府羽曳野市)、大坂山口(奈良県香芝市)へと逃げてきており、さらに南下して元の都である奈良県桜井市方面に向かっていると思われます。歌の内容は前半はハニフ坂から見ると自分がいた建物以外にも火が燃え広がり大火となっている様が見えると。後半は大坂山口(奈良県香芝市)で出会った女性に道を聞くと、この道なりで行くと兵らが待ち構えて道を塞いでいるため、タギマ道(奈良県葛城市)を行くよう言われたと。
古事記(318)現代語訳―②
故に大坂山口(奈良県香芝市)へ行くのが良いとし到り
その時に一人の女性に遇い
その女性は天皇に申し上げ
兵士等をもってそうして山を塞ぐ事を大勢でしており
タギマ道(奈良県葛城市)から迂回して(山を)越し(道を塞がれているのに)対応するのが良いとし
天皇は一同を代表し歌い以下
オホサカニ(大坂山口で)
アフヤヲトメヲ(遭ったおとめに)
ミチトヘバ(道を問えば)
タダニハノラズ(そのまま行かず)
タギマチヲノル(たぎま道を行けという)
古事記(318)現代語訳―①
ハニフ坂(大阪府羽曳野市)において到り
難波宮を遠くに見て
その火はなお燃え盛るようで
天皇は一同を代表しまた歌い以下
ハニフザカ(はにふ坂で)
ワガタチミレバ(私が立って見れば)
カギロヒノ(かぎのひろ)
モユルイヘムラ(燃える家村)
ツマガイヘノアタリ(妻の家のあたり)