3bekochang.bsky.social
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ドーナツ至上主義🍩
自己治療のための省察メモ(なので誤植はたいがい放置)
「解釈一致」という言葉の意味がいまだによくわかっていない。
December 30, 2025 at 6:04 AM
17年ものあいだ小さな補修をしながら着ていたセーター、生地がとうとうきびしくなったので引退。この淡さのパステルブルーはなかなかないのよねえ。
December 29, 2025 at 3:40 AM
よく上の世代のサブカル好きな人で「ナンシー関が生きていたら」みたいなことをいう人もいたけど、あと10年生きて時代に追いつかれてたらあんなに評価されなかったんじゃないかなとは思う。
December 28, 2025 at 8:02 AM
社会学系のEMCA者に「言語学」の便利な概説はないか聞かれることが数年に1回あって答えに困ってたんだけど、棚を片付けてたら見つけた加賀野井『20世紀言語学入門』がよい気がする。ヨーロッパの構造主義の流れもアメリカ言語学の流れもチョムスキーをめぐる論争までおさえられていて、かなり切り詰めた内容ではあるけど新書サイズの見取り図という意味ではなかなか類書は思いつかない。
December 28, 2025 at 3:23 AM
参照する可能性があって『ミル・プラトー』開いてるけど、アジテーション要素を割り引けばわりと腑に落ちる部分もあるのよね。
December 24, 2025 at 12:34 PM
この社会、働く人の待遇をよくすることが「その待遇改善のぶんを超えて働かせてよい」ことを意味してしまうことがしばしばあると感じる。
December 20, 2025 at 5:52 AM
「けっきょく誰が正しい人なのか」みたいな発想から抜けない限り、ある人がある件では被害者でありつつ他の件では加害者でもあることは適切に扱えないから、何らかの人権侵害を政治的に正当化することになる。
December 18, 2025 at 8:21 PM
きょうはかなり挫折感あったなあ。ちょっと世の対人異性愛主義を甘く見ていたかもしれない。
December 15, 2025 at 1:48 PM
『アンラーニング質的研究』を薦められたが気が重いな。
December 15, 2025 at 11:34 AM
「非-人間」にわざわざ焦点化する議論がヒューマニスティックになるなら、それは存在者をあらかじめ「どれくらい人間から遠いか(非-人間的か)」という尺度から規定していて、そのときの範例的存在者が人間だからでしょうね。
December 13, 2025 at 5:37 AM
SNSでたまにインタビュー録音の文字起こしをアプリで自動化している話とかを見るんだけど、アップロードするときに外部サーバーにデータを送るなら基本的にアウトじゃないのかな。社内会議とかなら参加者に同意をとるだろうけど、学術目的のインタビューではその点の同意をとらないだろうし。
December 11, 2025 at 11:16 AM
明らかにダメそうな意見Aに対して、その「対極」にあるように見える意見Bは正しい(はずだ)という感覚で議論にコミットするのは誤りのパターンね。
December 9, 2025 at 2:52 AM
人文社会科学系の大学教員が(大学の)語学の教員をバカにする発言を聞くたびに、知的インフラを貶めるという意味では「文系なんか潰せ」論者と大差ないと思う。
December 5, 2025 at 12:55 AM
「自慢じゃないけど」「差別するつもりはないけど」という前置きには、ひとが思いの外、言葉を使って摩ることとその効果を的確に捉えているんだなと感じさせられる。
December 4, 2025 at 10:20 AM
電車の車両内ディスプレイで、「いちかわ」が「ちいかわ」のアナグラムであることに気づいた。
December 2, 2025 at 2:41 PM
おそらく加害という意味でも被害という意味でも最も身近な暴力の一形態であるにもかかわらず、異性愛化されたジェンダーロールが「恋愛」で温存されながら大学生世代にすら性暴力(や性的同意)についての知識がほとんどない、というのは大変に大きな問題だなあと改めて。
December 2, 2025 at 4:11 AM
自分の「優秀さ」が「アイデンティティ」の一部になっている人が後進を教育するときに、「自分のような人(自分のコピー?)」を作りたがっているように見えるときがある。
December 2, 2025 at 1:33 AM
知り合いゼロの研究会に参加してきたけど、やっぱりみんな「知り合いの知り合い」ではあるのよね。
November 29, 2025 at 12:24 PM
記述にあたって同時に視点を転換してもらわないといけない場合以外には基本的に(とくに会話分析の)テクニカルタームを使わないようにしているのは、用語系(語彙群)の違いを現象の差異として過大に見積もられたくないという気持ちがあるからなのよね。
November 27, 2025 at 3:27 AM
断る選択肢をとりづらい強引な誘いに対して「いいけどそっちの期待した役割からはみ出しても失望して怒りださないでね?」と言う訓練。
November 26, 2025 at 5:28 AM
「『自己責任』論批判」に、この社会で弱い立場の人を守るという政治的な意義があることはほぼ全面的に認めつつも、選択の社会的条件付けの問題と責任帰属の問題とを区別すべき場面でも(自由意志/決定論という、語にへばりついた「哲学的」残留物の作用で)区別できなくしてしまうことがしばしばあるのは政治的にも学問的にも副産物が大きいとずっと思っている。
November 26, 2025 at 4:44 AM
推し活的なものを殊更に持ち上げるのもどうかと思う一方、「他人を応援する消費が生き甲斐なんて資本主義に毒されている」みたいな話を聞くと、そうした人が従事して「生き甲斐」にしていそうな労働や家族生活だってべつに資本主義の「毒」を回避できているとも思えないし、社会的に正当化なものと認められた生き甲斐をお持ちなくらいで偉そうにされましても、とは思う。
November 12, 2025 at 4:04 AM
よくわかっていない複雑な問題について考えや知識を寝かさずに過度に断定的に話してしまうのはなぜなのか、と考えると、そういう場合は世間話のなかで断定したいという欲求に動機づけられて学んでいるということなんだろうなあ。
November 7, 2025 at 3:40 AM