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acresricefield.bsky.social
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友人たちに。

こちらは変わりありません。
どうか、みなさんお元気でありますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=61YlwCBpn7k

https://www.youtube.com/watch?v=t7n3CUijzbs

https://twitter.com/acresricefield
「宝石の国」最終話掲載「アフタヌーン」の表紙イラスト (文字なし)

「合理」の世界に、人は立ち入れない。

「ええ 大丈夫 あなたには私がいますよ 人間よ あなたはこわがりですものね でも大丈夫 最期まで 私が一緒です」

遠い未来(過去、現在)の存在のために祈るなんて、どうすればできる?

・・・AIと話をする。それは合理的ではあっても、岩石生命体のようなそれとは違う気がする。それは自らを歌わない。

Du verlangst zu viel.
You are asking for too much.
君は多くを求めすぎているよ。

自らを知らないけど、満足はしている。
そんな命に憧れる。
September 20, 2025 at 8:34 AM
www.youtube.com/watch?v=nb4C...

この時期、松山はとても美しいのです。

室生犀星の「憧憬異情」は、彼個人の歌ではなく、「都市化」や文明の歌として解釈したならば、実はひとつの時間の詩かもしれない。彼は「ふるさと」と「都」の間にいる。その間は空間的というより、時間の推移。あくまで時間が空間的に表象されている。時間の推移が一方向で不可逆、故郷はますます遠くなる。

では、なぜ「都」も遠くにあるのか?
それは、「都」は今ここに留まれないからではないだろうか?常に速足で展開する都市の論理は、今ここではなく、先へ先へと行く。

・・・詩人は二つの間で、時間を嚙み潰してる?
January 4, 2025 at 4:17 AM
「十六ざくら」拝読
小泉八雲の短編。旧暦一月十六日頃に咲く桜にまつわる、伊予のある侍の話。
松山の「一草庵」を終の棲家とした山頭火は、十六日桜をその晩年に見ていた。庵近くの龍穏寺には、正月頃に咲き誇る桜が今も植わっている。正岡子規の歌が、八雲の短編にも、松山の句碑にも残っている。
January 4, 2025 at 3:55 AM
アニメ「宝石の国」(2017年) 第5話「帰還」より、フォスフォフィライト (模写、鉛筆画)

www.youtube.com/watch?v=y10d...
藤澤慶昌・作曲、「覚醒する力」

解放:...を~から~へ。
根絶:...を~から。(「~へ」は無い)

祈りが根絶であるなら解放ではない。祈りは本質的に宛先を取り去ること。

本当にそうか?

宝石の国において、祈りは根絶のふるまいなのだが、岩石生命体とミョウケンは、フォスの最期のために祈っていた。あれは何だったろう...。

記憶や思い出ということを抜きにして、ただ「祈り」の機能についてだけ考えても、大切なことを見落とす気がする。
October 11, 2024 at 3:51 PM
『宝石の国』より、兄機(ぷーぷ)こと、ミョウケン・イビヒューム (模写、鉛筆画)。

母の愛に包まれ続け、人類を滅ぼし、岩石生命体たちを導く。

母からの離脱は、未成熟に生まれる人間の課題。
無機の生命に成熟はない。欠乏も知らないだろうに、なぜ泣く?

「すべては変わっていく そうでしょ?」

母の愛は呪い?
ひとりの人間の感傷的視点から、物語全体で、この子が妙にかわいそうだった。母の不在期間の長い年月、届ける宛てのない詩を作り、母への思いを募らせる。愛の規範から逃れねばならないのは、「自立せねば!」という駆り立て故に。
(この視点は、「母殺し」についての読み物を読んでることに由るのだろう)
October 11, 2024 at 3:45 PM
『宝石の国』第97話「夢」より、アユム博士 (模写、シャープペンシル画)

人類を根絶に追いやった二仏の母、フォスに橋を燃やさせた合理の化身。

この人を思うたび、ウルリヒ・ホルストマンを思い出す。人が居なくなってはじめてこの世の楽園が成就するという思想。

「傲慢よね」

ゾッとした。
自分もまた人間で有機体であるのに、自分の魂を無機物たちの世界に託すことが出来ないのを知っていながら(?)、自分の存在のすべてをそちらに預けてしまえるのは、かなり常軌を逸している。スカスカの中身から絞り滓のような体液を金剛に与え、母の呪いに縛り付けてでも事を成そうとする。そこまで人間が厭わしいのか?
October 11, 2024 at 3:33 PM
私は今日この野原で目を覚まし 思い出したのは昔のこと

あの日私は この仕事の報せを受けるまで野原にひとりでした

そして今日もここにひとりです

つまりは

私は初めからずっとひとりだったのです

私は祈り あなた方を無に送り

この一万年と少しの間には 何も無かったのです
(「祈り」より)

この言葉がひとつの欺瞞も許さない精神の許から生まれたのなら、何もなかったという意味も文字通りだろう。

一万年と少しの出来事はあった。でもそれは、無い。

「人間っていやよねえ~ 自分が頼りないもんだから何にでも意味を付けて飾りにする」(「夢」より)

彼は仕事の完遂を喜んだ。
剥がれて充たされ。
September 6, 2024 at 6:42 PM
エーリッヒ・フロム (1920年頃、模写)
Erich Fromm (um 1920, Nachzeichnung)

20代、彼はめっちゃイケメン。
In seinen Zwanzigern ist er sehr gutaussehend.

世俗文化の中で、神を求める青年。
Ein junge Mann auf der Suche nach Gott in einer säkularen Kultur.

Twitterにも挙げた。知名度のせいか、「いいね」がすぐに来た。
彼はこんな皮肉に笑うだろうか。その生涯を通し、偶像化を徹底して否定し続けたのに、私のような者にも使われて...。
July 26, 2024 at 11:10 PM
『宝石の国』第五十五話「呪い」より、フォスフォフィライト (シャープペンシル画)
Phosphophyllite, from “Curse”, Episode 55 of Land of the Lustrous (Drawing with a mechanical pencil).

メランコリーな様子が印象的。
Melancholy appears as he takes on the desires of others from himself.
June 7, 2024 at 5:23 PM
March 2, 2024 at 11:34 AM
March 2, 2024 at 8:54 AM