結果的にという所もありそうですが、この時代の錦絵になると洋画的に画面全体を塗りつぶしたり細かいより線描がふえるのも洋画的なところと言えたりするのかもしれないですね。
個人的には伝統的なやまと絵から通ずる空間的にも時間的にも一点透視図法に反する感覚の構図がおもしろいとは思うんですが、「後世への影響」という点だと写真的にも感じる、「キュッ……ドン」前景をデカく置いた上で小さく後景のレイヤーを置く独特の折衷的な遠近感が重要だったのかなーなんて思ったりもします。
結果的にという所もありそうですが、この時代の錦絵になると洋画的に画面全体を塗りつぶしたり細かいより線描がふえるのも洋画的なところと言えたりするのかもしれないですね。
個人的には伝統的なやまと絵から通ずる空間的にも時間的にも一点透視図法に反する感覚の構図がおもしろいとは思うんですが、「後世への影響」という点だと写真的にも感じる、「キュッ……ドン」前景をデカく置いた上で小さく後景のレイヤーを置く独特の折衷的な遠近感が重要だったのかなーなんて思ったりもします。
一般論として流星蔦重がよくもわるくも変わらないキャラクターと描かれることで物語が駆動する脚本になってたのは少し思うところかなあ、なんて。
歌麿は染谷将太が上手いの一言で……。
北斎、ぶっちゃけると逆張り(特に近年までさして評価されていなかったのに欧米評価逆輸入で持ち上げられて値段も暴騰して……という本人はあまり関係ないとこ)であまり真面目に見てなかったなんとも言えねえってとこはあるんですが、狩野派や勝川派にはじまり琳派や唐絵、蘭画を勉強してそれを個性に消化できたところなのかなあ……
一般論として流星蔦重がよくもわるくも変わらないキャラクターと描かれることで物語が駆動する脚本になってたのは少し思うところかなあ、なんて。
歌麿は染谷将太が上手いの一言で……。
北斎、ぶっちゃけると逆張り(特に近年までさして評価されていなかったのに欧米評価逆輸入で持ち上げられて値段も暴騰して……という本人はあまり関係ないとこ)であまり真面目に見てなかったなんとも言えねえってとこはあるんですが、狩野派や勝川派にはじまり琳派や唐絵、蘭画を勉強してそれを個性に消化できたところなのかなあ……
森下脚本はわりかし勝手なイメージで北芳さんそんなきらいではなさそうな気はするんですがw
そういえば北斎という超大物がいるのはありますけど、化政文化から幕末くらいの錦絵が好きみたいなのもハッキリ?
理由とかあったりするんですか……?
森下脚本はわりかし勝手なイメージで北芳さんそんなきらいではなさそうな気はするんですがw
そういえば北斎という超大物がいるのはありますけど、化政文化から幕末くらいの錦絵が好きみたいなのもハッキリ?
理由とかあったりするんですか……?