父⇒カラオケスナックを営む個人事業主。80代半ば。
他に身内は無し。近所ではあるものの、互いの仕事にも生活にも干渉せずに30年余り。
2024年に入り、急に衰えてきた父を支えざるを得ない状況になり、仕事も生活も一変。
介護と仕事の両立を模索する日々
父は術後の問題もなく、病院でリハビリに励んでいる。
私の負担は多少減って、体力的に少しは楽になったが、代わって費用の工面の心労が。
本当にまったく蓄えの無い父。今までどうやって乗り切ってきたのだろう。
店の仕入れの支払いとか、光熱費とか、全然足りてないやん
父は術後の問題もなく、病院でリハビリに励んでいる。
私の負担は多少減って、体力的に少しは楽になったが、代わって費用の工面の心労が。
本当にまったく蓄えの無い父。今までどうやって乗り切ってきたのだろう。
店の仕入れの支払いとか、光熱費とか、全然足りてないやん
父、脳血腫の手術。
脳外科医にとっては簡単な手術らしく、昨日サラッとすすめられた。
血腫は転んでできたのか、血腫があったから転んでしまったのかは不明だが、手術によって手足の動きは改善されるかもしれないとのこと。
この3日間、なんとか自分の仕事の後父の病院に行き、戻って店を開ける、というタスクをこなしている
父、脳血腫の手術。
脳外科医にとっては簡単な手術らしく、昨日サラッとすすめられた。
血腫は転んでできたのか、血腫があったから転んでしまったのかは不明だが、手術によって手足の動きは改善されるかもしれないとのこと。
この3日間、なんとか自分の仕事の後父の病院に行き、戻って店を開ける、というタスクをこなしている
深夜3時、父から「便秘でお腹が苦しい」と架電。
数年前から便秘気味ではあったが、今年に入ってから苦しくて病院に、駆け込み処置してもらうのは3回目。
午前5時頃処置が終わり帰宅するが、外階段で転倒し出血、再度救急車を呼んでもとの病院へ戻る。
傷はそれほど深くないが、CTでクモ膜下血腫が見つかる。
少し離れた専門医に搬送され、そのまま入院となった。
言語・意識は明瞭だが数日経過観察するとのこと。
いったん帰宅し必要品を揃えて再度病院へ。
戻って自分の仕事をし、そのまま父のスナックを開ける。
20時間寝てないが、大丈夫か?私
深夜3時、父から「便秘でお腹が苦しい」と架電。
数年前から便秘気味ではあったが、今年に入ってから苦しくて病院に、駆け込み処置してもらうのは3回目。
午前5時頃処置が終わり帰宅するが、外階段で転倒し出血、再度救急車を呼んでもとの病院へ戻る。
傷はそれほど深くないが、CTでクモ膜下血腫が見つかる。
少し離れた専門医に搬送され、そのまま入院となった。
言語・意識は明瞭だが数日経過観察するとのこと。
いったん帰宅し必要品を揃えて再度病院へ。
戻って自分の仕事をし、そのまま父のスナックを開ける。
20時間寝てないが、大丈夫か?私
父は一昨日からお箸が持てなくなった。
昨日からひとりでトイレまで行けなくなった。
生まれてから徐々に身に着けて行った生活のための技術を、だんだんと失って行くのが「老いる」ということなのか。
父がひとつ失う度に、私の労力と時間も奪われる。
父は一昨日からお箸が持てなくなった。
昨日からひとりでトイレまで行けなくなった。
生まれてから徐々に身に着けて行った生活のための技術を、だんだんと失って行くのが「老いる」ということなのか。
父がひとつ失う度に、私の労力と時間も奪われる。
深夜3時に父より架電。
トイレに立った際に転んで、床に仰向けにひっくり返ってしまった、とのこと。
こうなると、自力ではどう頑張っても立ち上がれない。
同じ理由で深夜に駆けつけるのは3度目。
老いて痩せた体とはいえ、私ひとりで持ち上げるのはかなりの重労働。
1時間ほどかけ、少しずつ座高の高いところに移動させ、なんとかいつもの椅子に座らせた。
下着も床も、私もお小水まみれ。
明るくなりかけた空のもと、疲れ切って帰宅。
数時間後にはまた、父のもとへ戻らねばならない。
深夜3時に父より架電。
トイレに立った際に転んで、床に仰向けにひっくり返ってしまった、とのこと。
こうなると、自力ではどう頑張っても立ち上がれない。
同じ理由で深夜に駆けつけるのは3度目。
老いて痩せた体とはいえ、私ひとりで持ち上げるのはかなりの重労働。
1時間ほどかけ、少しずつ座高の高いところに移動させ、なんとかいつもの椅子に座らせた。
下着も床も、私もお小水まみれ。
明るくなりかけた空のもと、疲れ切って帰宅。
数時間後にはまた、父のもとへ戻らねばならない。
サービス担当者会議。
介護サービスを提供してくれる各事業者が集まって、連携を図る場。
訪問看護や訪問リハビリをしてくれるスタッフさんとも初対面。
介護関連職の人は、みんな優しくて穏やかで感じが良い。
時々、父の言動にイラッとしてキツいことを言ってしまう自分に反省。
とりあえず、当面の介護体制が決定した。
父本人は色々なケアが入って快適になるはず。
でも、私の負担はほとんど変わらない
サービス担当者会議。
介護サービスを提供してくれる各事業者が集まって、連携を図る場。
訪問看護や訪問リハビリをしてくれるスタッフさんとも初対面。
介護関連職の人は、みんな優しくて穏やかで感じが良い。
時々、父の言動にイラッとしてキツいことを言ってしまう自分に反省。
とりあえず、当面の介護体制が決定した。
父本人は色々なケアが入って快適になるはず。
でも、私の負担はほとんど変わらない
以前から手の痺れを訴えていた父。ここ数日は「腕が重い、痛い」と言うように。
お箸を使うのが辛いらしく、スプーンでの食事に切り替えた。
2週間前の脳波検査の結果は異常なしとのこと。
手足の衰えは病気ではなく、加齢に伴う老化現象、というのが医師の所見。
病気が無いのは良いことだが、日々衰えて行く父を見守って行くのは切ない。
以前から手の痺れを訴えていた父。ここ数日は「腕が重い、痛い」と言うように。
お箸を使うのが辛いらしく、スプーンでの食事に切り替えた。
2週間前の脳波検査の結果は異常なしとのこと。
手足の衰えは病気ではなく、加齢に伴う老化現象、というのが医師の所見。
病気が無いのは良いことだが、日々衰えて行く父を見守って行くのは切ない。
父、83歳の誕生日。
父中心の生活になり、毎日があっという間に過ぎて行く。
この生活をどこかに記録しておこう、と思い立ち、登録しただけで使っていなかったblueskyに書くことに。
父の誕生日は、店のお客様たちがお祝いしてくれた。
「いつまでも元気でお店を続けてね!」と言ってくれるお客様の言葉はありがたいが、この生活があとどれだけ続くのだろう、と思うと複雑な心境。
父、83歳の誕生日。
父中心の生活になり、毎日があっという間に過ぎて行く。
この生活をどこかに記録しておこう、と思い立ち、登録しただけで使っていなかったblueskyに書くことに。
父の誕生日は、店のお客様たちがお祝いしてくれた。
「いつまでも元気でお店を続けてね!」と言ってくれるお客様の言葉はありがたいが、この生活があとどれだけ続くのだろう、と思うと複雑な心境。
2024年6月18日
父が初めてのデイサービスへ。
久しぶりにゆっくりお風呂に入れたことで、本人は大満足。
私も久しぶりに数時間、父のことを気にせずに友人とランチに行き、良い気分転換に。
6月22日
約3か月、記録⑦のような生活を1日も休みなく続けてきた影響か、ひどい腰痛に。
それでも、休むことはできないので、湿布を貼りまくって何とかこなす。
父に「月1日でもいいから店休日を作らないか」と打診するが、良い顔をされず。
父は「迷惑かけてすまない」とは言ってくれるが、「休め」とは言ってくれない。
2024年6月18日
父が初めてのデイサービスへ。
久しぶりにゆっくりお風呂に入れたことで、本人は大満足。
私も久しぶりに数時間、父のことを気にせずに友人とランチに行き、良い気分転換に。
6月22日
約3か月、記録⑦のような生活を1日も休みなく続けてきた影響か、ひどい腰痛に。
それでも、休むことはできないので、湿布を貼りまくって何とかこなす。
父に「月1日でもいいから店休日を作らないか」と打診するが、良い顔をされず。
父は「迷惑かけてすまない」とは言ってくれるが、「休め」とは言ってくれない。
2024年6月15日
父とデイサービス施設を見学。
深夜までスナックの営業をしているので、午後から半日のデイサービスを希望していたが、多くの施設が9時~5時ぐらいで1日のプログラムを組んでいるため、半日だけ、といった融通が利く施設は意外と少ない。
ケアマネさんがあちこち当たってくださり、少人数でアットホームな感じの施設を見つけてくれた。
スタッフも感じの良い人ばかりで、父も気に入り、さっそく翌週から通うことに
2024年6月15日
父とデイサービス施設を見学。
深夜までスナックの営業をしているので、午後から半日のデイサービスを希望していたが、多くの施設が9時~5時ぐらいで1日のプログラムを組んでいるため、半日だけ、といった融通が利く施設は意外と少ない。
ケアマネさんがあちこち当たってくださり、少人数でアットホームな感じの施設を見つけてくれた。
スタッフも感じの良い人ばかりで、父も気に入り、さっそく翌週から通うことに
2024年6月7日
介護認定を受け、担当ケアマネさんと初対面。
これからの介護サービスについていくつか提案を受ける。
私のためにも、週に1回位、店を休んでショートステイを利用してはどうか、と提案してもらったが、「店だけは絶対休みたくない」という父の意志は変わらず、拒否される。
入浴とリハビリを目的としたデイサービスに通う方向で話が進む。
6月10日
父の処方箋をもらいに行った病院で、訪問診療について相談。すぐに在宅医療担当者を呼んでくれ、説明を受ける。
病院からケアマネに連絡をしてくれ、訪問診療+訪問看護&リハビリの体制が取れることに。
スタートは7月。
2024年6月7日
介護認定を受け、担当ケアマネさんと初対面。
これからの介護サービスについていくつか提案を受ける。
私のためにも、週に1回位、店を休んでショートステイを利用してはどうか、と提案してもらったが、「店だけは絶対休みたくない」という父の意志は変わらず、拒否される。
入浴とリハビリを目的としたデイサービスに通う方向で話が進む。
6月10日
父の処方箋をもらいに行った病院で、訪問診療について相談。すぐに在宅医療担当者を呼んでくれ、説明を受ける。
病院からケアマネに連絡をしてくれ、訪問診療+訪問看護&リハビリの体制が取れることに。
スタートは7月。
2024年5月下旬
父のMRI検査では脳梗塞の跡などは見つからず。
ただ、やはり脳全体の萎縮があるため、担当医が脳神経外科から脳神経内科に変わり、少しずつ認知症が進んでいる、との診断。
認知症を遅らせる「ドネベジル」という薬を処方された。
おなかが緩くなる副作用がある、と聞いていたが、これがテキメンに現れた。
急に便意を催すが、早く歩けないためトイレまで間に合わずに床に垂れ流す状態に。
掃除はさすがに精神的ダメージが。
薬に慣れるまでの3週間ほどの間に、昼間の垂れ流しが3回。寝ている間に布団を汚していたことが7~8回。
介護用防水シーツを購入。おむつ着用は断固拒否。
2024年5月下旬
父のMRI検査では脳梗塞の跡などは見つからず。
ただ、やはり脳全体の萎縮があるため、担当医が脳神経外科から脳神経内科に変わり、少しずつ認知症が進んでいる、との診断。
認知症を遅らせる「ドネベジル」という薬を処方された。
おなかが緩くなる副作用がある、と聞いていたが、これがテキメンに現れた。
急に便意を催すが、早く歩けないためトイレまで間に合わずに床に垂れ流す状態に。
掃除はさすがに精神的ダメージが。
薬に慣れるまでの3週間ほどの間に、昼間の垂れ流しが3回。寝ている間に布団を汚していたことが7~8回。
介護用防水シーツを購入。おむつ着用は断固拒否。
2024年5月
365日年中無休が、父の経営方針のため、当然私も年中無休。
私の1日
9時起床 洗濯・食事・仕事の準備
11時半 父の布団上げと食事
12時半 私の事務所に移動して仕事
16時半 父の買い物・食事・開店準備
18時 帰宅してシャワー・仮眠・食事
21時 父の店に出勤
0時 閉店・片付け・父寝かし付け
1時 帰宅・仕事・夜食
3時 就寝
5月上旬、父に「要介護1」の認定がでる
2024年5月
365日年中無休が、父の経営方針のため、当然私も年中無休。
私の1日
9時起床 洗濯・食事・仕事の準備
11時半 父の布団上げと食事
12時半 私の事務所に移動して仕事
16時半 父の買い物・食事・開店準備
18時 帰宅してシャワー・仮眠・食事
21時 父の店に出勤
0時 閉店・片付け・父寝かし付け
1時 帰宅・仕事・夜食
3時 就寝
5月上旬、父に「要介護1」の認定がでる
2024年4月上旬~中旬
呂律が回らない、幻覚を見る、といった症状が認知症を連想させるため、かかりつけの医師に相談し、検査のために大病院に紹介状を出してもらう。
また、ひとりで父をサポートする不安もあったので、地域包括センターに相談に行き、介護認定を受けることに。
4月半ばにMRI検査。介護認定の審査は4月末とのこと。
手続きや相談、病院の付き添いなどで、自分の仕事をする時間はそれまでの3分の1ほどに。
毎晩、父のスナックにも出るようになったので、帰宅は深夜1時、就寝は3時ごろ、という生活が定着
2024年4月上旬~中旬
呂律が回らない、幻覚を見る、といった症状が認知症を連想させるため、かかりつけの医師に相談し、検査のために大病院に紹介状を出してもらう。
また、ひとりで父をサポートする不安もあったので、地域包括センターに相談に行き、介護認定を受けることに。
4月半ばにMRI検査。介護認定の審査は4月末とのこと。
手続きや相談、病院の付き添いなどで、自分の仕事をする時間はそれまでの3分の1ほどに。
毎晩、父のスナックにも出るようになったので、帰宅は深夜1時、就寝は3時ごろ、という生活が定着
2024年4月上旬
一時的(30分程度)に呂律が回らない現象は2~3日続いたが、その後はなくなった。しかし今度は幻覚を見るようになり、ひとりで店にいる時に「男が10人ぐらい入ってきた」「誰かが後ろに立っている」などと言うようになる。
「誰もいないよ」と言っても納得しないので、「それは幽霊だよ、お父さん、急に霊感に目覚めたのかも。他の人には見えてないんだよ」と言うと、何故か腑に落ちた様子。
それでも、ひとりで店で接客させるのは不安だったので、私の仕事は夕方で切り上げ、父のスナックに毎日出ることに
2024年4月上旬
一時的(30分程度)に呂律が回らない現象は2~3日続いたが、その後はなくなった。しかし今度は幻覚を見るようになり、ひとりで店にいる時に「男が10人ぐらい入ってきた」「誰かが後ろに立っている」などと言うようになる。
「誰もいないよ」と言っても納得しないので、「それは幽霊だよ、お父さん、急に霊感に目覚めたのかも。他の人には見えてないんだよ」と言うと、何故か腑に落ちた様子。
それでも、ひとりで店で接客させるのは不安だったので、私の仕事は夕方で切り上げ、父のスナックに毎日出ることに
2024年3月30日
店内でも、どこかにつかまっていないと歩けないほどに脚が衰えてきた。
それでも、会話にも支障はなかったし、店でのお金の計算もきちんとできていた父がこの日、夕方様子を見に行くと、ろれつが回らず、必死に話しかけてくるものの、何を喋っているのか全く分からない状態に。
驚いて近くの救急病院に連れて行き、CTと血液検査。
異常は見つからず、しばらくするともとどおり正常に話せるようになった。
病院から一晩入院しての経過観察を勧められたが、父が固く拒否。
私が一晩泊まり込んで様子を見ることに。
この日、父の店は2016年に入院した時以来の休業に
2024年3月30日
店内でも、どこかにつかまっていないと歩けないほどに脚が衰えてきた。
それでも、会話にも支障はなかったし、店でのお金の計算もきちんとできていた父がこの日、夕方様子を見に行くと、ろれつが回らず、必死に話しかけてくるものの、何を喋っているのか全く分からない状態に。
驚いて近くの救急病院に連れて行き、CTと血液検査。
異常は見つからず、しばらくするともとどおり正常に話せるようになった。
病院から一晩入院しての経過観察を勧められたが、父が固く拒否。
私が一晩泊まり込んで様子を見ることに。
この日、父の店は2016年に入院した時以来の休業に
2024年1月~
店の閉店後の片付けや洗い物が億劫になってきたようで、翌日の夕方に行っても、カウンターの上に放置されていることが増えてくる。
夕方、開店前に食事を届けに行き、洗い物と、必要な買い物するのが私の日課となる。
私の教室の営業時間は13時~21時だったが、やむを得ず16時~18時を一時閉めることで対応。
2024年1月~
店の閉店後の片付けや洗い物が億劫になってきたようで、翌日の夕方に行っても、カウンターの上に放置されていることが増えてくる。
夕方、開店前に食事を届けに行き、洗い物と、必要な買い物するのが私の日課となる。
私の教室の営業時間は13時~21時だったが、やむを得ず16時~18時を一時閉めることで対応。
2023年10月頃~
父はほとんど終日、店の中で過ごすようになり、買い物や銀行の支払いなど、ほぼすべてを私に頼んでくるように。
私が仕事中でもお構いなしに電話してくるので、イラっとしてキツイ応対をしてしまうことも。
スナックの営業はひとりでできるものの、混雑時などは常連のお客様に助けていただくこともある様子。
2023年10月頃~
父はほとんど終日、店の中で過ごすようになり、買い物や銀行の支払いなど、ほぼすべてを私に頼んでくるように。
私が仕事中でもお構いなしに電話してくるので、イラっとしてキツイ応対をしてしまうことも。
スナックの営業はひとりでできるものの、混雑時などは常連のお客様に助けていただくこともある様子。
2023年6月
82歳になった父。それまで自分で行っていたスーパーやドラッグストアへの買い物を頻繁に頼まれるようになってくる。
自分で行くのは、店の向かいのコンビニぐらいで、極端に行動範囲が狭くなる。
歩くのがかなりつらい様子。
2023年6月
82歳になった父。それまで自分で行っていたスーパーやドラッグストアへの買い物を頻繁に頼まれるようになってくる。
自分で行くのは、店の向かいのコンビニぐらいで、極端に行動範囲が狭くなる。
歩くのがかなりつらい様子。