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2月になったばかりでデスクトップマシンがクラッシュしてから,ラップトップで急場をしのいだ。先週末,セコハンのデスクトップマシンを購入し,昨日からセッティングしはじめた。
メールの履歴が一部消えたのを除けば,ほぼ問題なく環境は戻った。
March 6, 2025 at 6:52 AM
学生時代、レポートの課題だったような気がする大塚久雄『社会科学における人間』を捲る。
March 4, 2025 at 1:43 PM
くるりのホームページの何がすばらしいかというと,2005年以降のライブ情報が残されていることで,これは他のミュージシャンのホームページではなかなかみられない。多くが前ばかりを向いた情報発信に追われているのはどうしてだろう。

2013年に新木場 STUDIO COASTで見た,5人→4人→3人体制のくるりのライブの感触が,少し,今回のライブに似ていたように思う。あのときもかなりエクレティックだった。
January 25, 2025 at 4:34 AM
昭和60年代以来の新越谷。様変わりした駅前に愕然。くるりのコンサートは、さながらエクレティッくるり。あっという間の2時間半だった。
January 24, 2025 at 1:25 PM
まだ日本広告主協会という名称だった頃,取材で協会に定期的に出入りすると,広告の世界にまつわるやっかいな話に遭遇したものだ。中には「きれいごとでは済まない」では済まされないものもあったが,あの経験があったから,すすんで広告の世界に近づかなくなったのだと思う。

日本広告主協会は「ぬしきょう」,当時,同じビルには日本広告業協会も入っていて,こちらは「ぎょうきょう」。
January 23, 2025 at 6:41 AM
広告にかかわる者に技術論が欠落していると,碌なことにはならない。
January 23, 2025 at 6:38 AM
週末、友人と飲んでいたところ、鞄から絲山秋子さんの『御社のチャラ男』を取り出して、「今頃読み始めたんだが、無茶苦茶面白いな」と。「人間喜劇なんだよ」とか蘊蓄垂れていると無性に読み返したくなり、買っていた文庫版をひっくり返す。やっぱり面白いな、この小説。

後半、一文一文暗記しなければと思うくらい圧倒的な「イケメンの軸」。「チャラ男の前釜」から続くすごさ。私の学生時代のサークル名が「音楽の父方の妹」というものだったのだが、そこからでも入り込む位置があるというか、その立場ゆえに入り込めるスペースがあったことを痛感した。
November 2, 2024 at 10:45 AM
久世光彦の『一九三四年冬―乱歩』を読んだとき,作中小説「梔子姫」に乱歩っぽさをまったく感じなかったことを思い出す。乱歩ではなく,岸田理生が有沢美喜のペンネームで書いた小説にどこか似ていた。
September 17, 2024 at 7:57 AM
竹内敏晴さんの本が数冊並んでいて,読もうと思いながら読んでいなかった『レッスンする人』を買う。立川の賢治の学校で竹内さんのお別れ会があったときだったか,その後だったかに買おうと思ったものの,そのときは『「出会う」ということ』を手に入れたのだったと思う。
帰りの電車で読み始め,布団に入ってから,ざっと最後まで読み終えた。からだとことばの戦前・戦中史とでもいう内容で,おもしろく読んだものの,同じく藤原書店のセレクションに感じたのと同じく,どうも竹内さんのおもしろさの手前で立ち止まっている本のように感じる。
September 16, 2024 at 8:05 AM
船堀で演劇を観た帰りに森下で途中下車する。7年前,古書ドリスが森下に店を構えていた頃,ネット経由でやりとりが始まった人と森下の古本屋で待ち合わせして飲んだとき以来かもしれない。彼はその後,南から来た円盤回しとして,Loft9の古本市のとき手伝ってくれた。売上をポケットに突っ込み,センター街のTHE ALDGATE British Pubで売れた分だけ飲んだ。なんだかたのしい思い出の初っ端が森下だった。
その頃はまだなかった古書しいのき堂を覘く。古書ドリスからサブカルの臭いを消すとこのような感じの品ぞろえになるのかもしれない。じっくりと棚を眺めてしまう。
September 16, 2024 at 7:55 AM
改装中の旧三笠ホテルを過ぎると旧軽井沢までもう一歩だ。時計の針は13時前をさしている。時刻表での計算よりも10分ほど長くかかってはいるものの,往路に比べると遥かに負担なく移動できた。
私たちがとった経路は,ホテルの案内には出ておらず,ガイドブックにも掲載されているものではない。乗り継ぎがよくないため,途中,1時間以上間が空いてしまうし,何よりも移動には当然だけれども運賃が発生する。にもかかわらず,この経路をとったことに後悔はなかった。記憶は食堂の女性にほとんど塗りつぶされているし,何よりもからだの負担があまりにないからだ。
September 13, 2024 at 4:39 AM
バスの窓から目に入るだけでも,北軽井沢に食事ができそうな店はあった。中には店内が賑わう店もある。1時間前に聞いた食堂の女性の言葉が思い起こされる。目の前の光景すべてにしっかりと繋がってくるその存在感に感心してしまう。よくも悪くもとはいえ。道の曲がり具合は往路に比べ遥かに穏やかだ。
路線バスなので,146号から観光名所である白糸の滝へと入る。ここからしばらくの混雑と,曲がりくねった道さえなければ,復路の選択はより妥当性を増したに違いない。
September 12, 2024 at 12:27 AM
ラーメンは美味かった。みそ味で,麺はたしかに手打ちのようだ。時流とは一線を画してあっさりとしたスープで,バターをひとかけら落とすと,さらに美味くなるような気がしたものの,時間がとにかくない。手分けして1杯のラーメンをほぼ食べ終え,店の女性にお勘定をたのむ。結果,料理はうまいのだけれど,どこかで昨日今日の記憶のほとんどを,店の女性に占められてしまったかのような気がした。
バス停まで戻り,ほぼ定時に乗り込む。幸い前方の席が空いている。席を確保した私たちは,どのような道を辿り旧軽井沢に着くのだろうか。
September 11, 2024 at 4:12 AM
まるでそれは昭和のおわり,「行革を反対する議員は落選させよう」と一面を飾っていた産経新聞のようなありさまだ。
注文する前に,バスの時間は伝えた。「急いでつくるようにマスターに行っておくから」と返事があり,それから20分以上,音沙汰がない。バスの時刻はあてにならない。遅れる分には大勢に影響ないものの,早く来たりしてしまうと,次の便まで2時間ある。乗り遅れるわけにはいかない。バスの到着予定時刻まで20分を切ったあたりでようやくラーメンがサーブされた。
September 10, 2024 at 9:50 AM
店に入り,バスの時間まで何か飲み物をとってしのぐことにした。そのつもりだった。ところが席に着くと同時に,私たちの考えは否定されることになる。店の女性は「うちは麺まで手づくりで,このあたりで手づくりはうちだけ」「北軽井沢まで行っても,あのあたりの店はぜんぶ潰れたから,うちで食べていかないと,食べるところないわよ」。なかなか強烈だ。とりあえずラーメンを1つとドリンクを1杯注文して下がってもらうことにした。
注文してからメニューを眺めると,これだけの種類を手づくりで出すのだろうかと心配になるほど豊富なものだった。壁には手書きの短冊があちこちに貼られている。
September 10, 2024 at 9:47 AM
無料版でTerragenに触れた数か月,こんな画像ばかりが増えた。サブスクのないグローバルビレッジがどうにか生きながらえていた頃のこと。
September 9, 2024 at 1:01 PM
羽根尾駅にも駅員の姿は見当たらなかった。それどころか,ICカードのタッチパネルさえも据えられていない。そのまま改札口を出てきたつけは上野駅まで持ち越すことになる。羽根尾駅はだから,いくつかの忘れることができない出来事と結びついてしまう。いくつかのとても大きな割合を,呼び込みに出てきた女性が占めているのだけれど。
September 9, 2024 at 2:42 AM
移動行程と併せて,羽根尾駅近くで時間を潰すことができそうな場所は探していた。バスの時刻を確認し,その店まで移動する。ロマンチック街道沿いにふさわしいつくりの外観とはいえ,創業50年近くの店からすると未来にいる私たちには輝かしいものには映らない。入口から中を覗こうとすると,待ち構えていたかのように扉が開き,店の人と思しき女性が顔を出す。
September 9, 2024 at 2:28 AM
翌朝,9時45分発のバスに乗り込む。万座・鹿沢口駅まで45分。前日の移動のおかげで,この程度のバス移動が短く感じられるくらいにはなっていた。駅で降りたのは私たち以外に7,8名。その誰もが駅の待合室で吾妻線を待っている。20分ほどしてホームに入ろうとして初めて,駅員の姿が見えないことに気づく。改札にはタッチパネルが表裏に一か所ずつ付いた一台のタッチパネルがあるだけだ。とりあえずSUICAでタッチしてホームに上がる。電車に乗り込み10数分,羽根尾駅に着いた。想像していたよりも遥かになにも見当たらない。
September 9, 2024 at 12:27 AM
不安だったのは羽根尾駅周辺に,時間を潰せそうな場所がほとんどないことだった。計算では,吾妻線を下車し,バスに乗り換えるまで50分ほど時間が空くことだ。加えて,「国道三起点の碑」なるものにほど近いバス停から旧軽井沢までの道は,往路と変わりのない蛇行,高低差,さらに強烈なものかもしれない。明らかな違いは,万座・鹿沢口駅から羽根尾駅までの10数分の移動がバスではないということだ。
September 9, 2024 at 12:18 AM
バスで移動したため,行きの軽井沢駅から万座温泉までの90分,あまりのカーブの多さと高低差にからだがついていかなかった。帰りのために他の経路を探し始めた。数十分後,万座・鹿沢口駅から長野原草津口駅ではなく,羽根尾駅まで行く経路を見つけた。
September 9, 2024 at 12:07 AM
神谷美恵子の『生きがいについて』には,“生きがい”と併記するかたちで“はりあい”という言葉が出てくる。
 ただ,この“はりあい”,話題に上ることはあまりない。生きがいよりも使い勝手は数万倍いいと思うのだけれど。大上段構えて,「生きがいについて」思い巡らすよりも,ときどきの“はりあい”ととも生きながらえていくことのほうが,少なくとも私にとっては現実感を伴う。
September 8, 2024 at 2:12 PM
とりあえず一点だけ。日付を英数大文字で入力するのはみてくれがわるいからやめてほしい。(清水博子:カギ,集英社,2005)
September 8, 2024 at 2:05 PM
中井英夫全集9『月蝕領崩壊』巻末の高橋英理による解説「文人と幻想文学者の間」は,「幻想文学」を「ハードボイルド」におきかえると,矢作俊彦論になってしまうほど,この2人の小説家の共通性を露にする。高橋は「そうした場で書かれた批評と随筆には,旧『文人』的限界を認めた上でも十分な価値が,たとえば永井荷風や石川淳の,そして内田百閒の随筆が時代的制約と偏向偏見に満ちながら今も決して忘れられないというのに等しい持続的価値があると思われる」と記す。
September 8, 2024 at 1:47 PM
僕のようなダダイストにでも,相応のヴァニティはある。それは,しかし世間に対するそれだけではなく,僕自身に対してのみのそれである。自分はいつでも自分を凝視めて自分を愛している,自分に恥ずかしいようなことは出来ないだけの虚栄心を自分に対して持っている。ただそれのみ。もし僕にモラルがあるならばまたただそれのみ。世間を審判官にして争う程,未だ僕は自分自身を軽蔑したことは一度もないのである。(辻潤:ふもれすく,辻潤全集第一巻,p.395,五月書房,1982.)
September 8, 2024 at 1:40 PM