橙ミャオのあたまのなか🐈💭
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橙ミャオ(https://bsky.app/profile/daidaimyao.bsky.social )があたまのなかで考えてる、よりディープなあれこれをつぶやくサブアカウント的ななにか💭
それがたとえどれだけ普遍的なイデオロギーであっても、そこに対話の姿勢が見られない主義者に対してどうしても抑圧性を感じてしまうその正体は恐らく「多数決的抑圧性」なんだろうなとおもった💭
January 21, 2026 at 3:51 AM
これさ、つまり最近流行りの「冷笑的な態度」ってやつですよたぶん そういう心持ちって大なり小なり誰にでもあるものだし、その良し悪しはけっきょく程度問題であって、適正な分量ならむしろ健全なことだとわたしは考えていますけど、「理解の精度を高めたい」という気持ちまで失せてるのはちょっと適正量超えてる感じがしますね🚫 なんかこう、学問でもそれ以外でもいいとおもうけれど「圧倒的にわからないもの」に自ら触れにいく機会をつくったほうがいいかもしれない💭
January 8, 2026 at 10:06 AM
そうですね、個にフォーカスするならそこには様々な事情があるのは実際そうだと思います💭
とすると、発言者側があくまで個としてのスタンスを取る場合については情状酌量の余地がありうる⚖️ いっぽうで、発言側が「群の代表者」としてのスタンスをとっていた場合……つまり「町のみんなの平和を守るアンパンマン」としてその振る舞いをする場合、そこに「個に関する情状酌量の余地」を介入させることは難しいんじゃないか、という考えかたですね🗡️
January 6, 2026 at 7:21 AM
ねこぜさんが想定されているのが「二者の関係性」にフォーカスしたシーンで、わたしがもともとのつぶやきで想定していたのが「第三者への訴え」というシーンだったので、たぶん前提がズレてる気がしました!
二者の関係性においての暴力に関してはそれこそ司法判断が示すように、個々のケースによって180度変わりうるなとおもっています、それこそ暴力の例外を定義した、正当防衛なる概念もあるわけですしね💭
January 5, 2026 at 10:23 AM
わたし自身、生きかたや持ち合わせる属性のわりにはスタンスが生活保守ライクな部分が大きいなぁという自覚はあったんですけど、それも「群れとしてのニンゲン」に対する負の信頼の厚さから来ているところが大きそう "共同体はどうあってもわたしには毒だから、だったらせめて状態として安定しててね、そしたらこっちも時間かけて抗体つくるから"ってことなのかなとおもった💭
January 5, 2026 at 7:06 AM
倫理に則ることが退くこととイコールになってしまうとそれこそ暴力での自力救済しか手段がなく、それは困るので「法」があるという解釈をわたしはしています💭 逆に言うと、法が存在する前提上での暴力的行動の正当性はかなり制限されるという解釈ですね⚖️
January 5, 2026 at 6:04 AM
この場合の敵対的な立場のヒト、が「ばいきんまん」なのだという広く社会的な合意が本当にあるのなら(共感を得る、という意味では)まだセーフだとは思うんですけど、実際にはそうではない(そのヒトが本当に悪人なのかどうか判断に留保が必要である)ことのほうが圧倒的に多いわけで……すると判断を留保したヒトからの視点では「こいつがばいきんまんだ、と思った相手に暴力を振るいにいく自認アンパンマン」が爆誕してしまうところになり……💭
December 27, 2025 at 8:56 AM
ヒトという生き物が、想像以上に各々が各々の信じたいことを信じる生き物だ、という普遍的なことが浮き彫りになっただけなんじゃないかなとおもう💭
December 22, 2025 at 4:29 AM
いや、問いかけの存在する作品においてその「雄弁さ」を問う考えかた自体は別にいいのか💭 問いかけの「有無」を優劣判断に接続させること対する疑義、というほうが正しい気がした⚖️
December 15, 2025 at 6:17 AM
もちろん、より解像度は高いほうが理想的ではありますね💭 もっとも、そこに思い至るひとであれば、「処方」という発想の必要ない段階だとはおもいます💊
December 12, 2025 at 11:16 PM
心に埋まっていない隙間があるひとはターゲットになりやすいけど、心に(平均的なひとと比較して)欠けがあっても本人なりに満たされているひとの場合は、むしろターゲットになりづらそうです💭
December 12, 2025 at 11:12 PM