・VNOS所属・バーチャルライフマガジン副代表渉外担当・VRCボクシング大会運営
VRC内ではチェロ。アイコン:竹流様
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ソ連が「我々は偉大で強い」という物を主張しているとしたら、この曲は「我々のすべき正しい行い」を強く主張しています。
その為(これは敗戦の影響も大いにあるのでしょうが)「勝利や強力な力」というワードは出てこず、「何が責務か」を強調しているのです。
そしてそこから『正しいことをしている者が報われるはずである』という基本的なドイツらしい倫理観というのも見え隠れする気がするのです。(そして過去も現在も現実に後手に回る)
ソ連が「我々は偉大で強い」という物を主張しているとしたら、この曲は「我々のすべき正しい行い」を強く主張しています。
その為(これは敗戦の影響も大いにあるのでしょうが)「勝利や強力な力」というワードは出てこず、「何が責務か」を強調しているのです。
そしてそこから『正しいことをしている者が報われるはずである』という基本的なドイツらしい倫理観というのも見え隠れする気がするのです。(そして過去も現在も現実に後手に回る)
www.youtube.com/watch?v=99n5...
こちらの曲は東ドイツの曲なのですが、とんでもなくプロパガンダがすさまじい曲です。
元の歌詞が作られた時も、この歌詞が作られた時も各陣営の対立がすさまじい時代であり、演説に曲をつけたような内容となっています。
曲調はベースや男性ボーカルにソ連の音楽と共通したものを感じますが、コーラスがしっかりとテンポを刻んでおりすさまじいドイツらしさを感じます。
www.youtube.com/watch?v=99n5...
こちらの曲は東ドイツの曲なのですが、とんでもなくプロパガンダがすさまじい曲です。
元の歌詞が作られた時も、この歌詞が作られた時も各陣営の対立がすさまじい時代であり、演説に曲をつけたような内容となっています。
曲調はベースや男性ボーカルにソ連の音楽と共通したものを感じますが、コーラスがしっかりとテンポを刻んでおりすさまじいドイツらしさを感じます。
www.youtube.com/watch?v=tDrv...
この曲は世界の国家の中でもかなりの異色作で、一番短く一番テンポの遅い曲だと聞いたことがあります。
他の国だと敵を叩きのめしたり自分達が偉大だったりと自分達を鼓舞する曲・歌詞が多い中、この曲は「身内への願い」を中心に取り扱った歌詞となっており、曲調も対外的に在り方を示すことに重点を置いているかのように、士気を鼓舞するような曲調ではないです。
www.youtube.com/watch?v=tDrv...
この曲は世界の国家の中でもかなりの異色作で、一番短く一番テンポの遅い曲だと聞いたことがあります。
他の国だと敵を叩きのめしたり自分達が偉大だったりと自分達を鼓舞する曲・歌詞が多い中、この曲は「身内への願い」を中心に取り扱った歌詞となっており、曲調も対外的に在り方を示すことに重点を置いているかのように、士気を鼓舞するような曲調ではないです。
世界の中でもトップクラスにカッコいい国歌としてファンも多いのですが・・・TVとかで聞くことはもう向こう10年とかないかもしれません。
www.youtube.com/watch?v=xSr5...
基本的にどっしりとした印象を与える低音部が曲の流れを作りのびのびとしたコーラスぶを支え、コーラスが低音部を更に栄えさせます。
この曲は国民にも非常に人気が高く、その人気からソ連が解体されても曲だけは国歌として続投になったと聞くほどです。
世界の中でもトップクラスにカッコいい国歌としてファンも多いのですが・・・TVとかで聞くことはもう向こう10年とかないかもしれません。
www.youtube.com/watch?v=xSr5...
基本的にどっしりとした印象を与える低音部が曲の流れを作りのびのびとしたコーラスぶを支え、コーラスが低音部を更に栄えさせます。
この曲は国民にも非常に人気が高く、その人気からソ連が解体されても曲だけは国歌として続投になったと聞くほどです。
そしてこれはこの時代のロシアの曲全般に言えることで、当時は曲調などですら制限が強く好きに作曲もできなかったというのはまま聞くはなしです。
「何事も順当」「我々は偉大」以外の国家集団イメージを許容できなかったのでしょうね。
その結果統一感のある曲の数々が出来、今も愛好者がそれなりの数居るのであろうというのはアーティストとしては皮肉なところでしょう。
そしてこれはこの時代のロシアの曲全般に言えることで、当時は曲調などですら制限が強く好きに作曲もできなかったというのはまま聞くはなしです。
「何事も順当」「我々は偉大」以外の国家集団イメージを許容できなかったのでしょうね。
その結果統一感のある曲の数々が出来、今も愛好者がそれなりの数居るのであろうというのはアーティストとしては皮肉なところでしょう。